第34話 癒しとはなんだろう
癒されたい。。
ストレスに晒され続ける現代人にとって、「癒し」とは一種魔法の万能薬のようなイメージすら感じられる言葉である。もっとも、本当の意味で癒されるという決着がつかないからこそ、その望みも消えることがない。
癒されるとはストレスからの解放を意味するが、だからと言ってストレスから完全に解放されるわけではない。
ストレスは日常生活において常に感じる風のようなものだ。
強い日もあれば弱い日もある。
強いところに住む人もいれば弱いところに住む人もいる。
敏感に感じ取る人もいれば鈍感な人もいる。
癒しとは、その風から一時的に待避させてくれるシェルターのようなものなのだと思う。
それは、実際に風を防ぐケースもあれば、風を忘れさせてくれるケースもある。
しかし、ストレスそのものを無くしたり、ストレスに対して直接的な防御をするものではない。
癒しがもたらすのは、杞憂のごとく常にストレスに対して畏れを抱き続けている心を、その囚われから解放してくれることであろう。
癒しとは、囚われた心の解放ではないだろうか。
実際に解放されるわけではないのだが、一時的にそれを忘れさせる。
刹那の安息。
逆に言えば、癒しを求めると言うことは単にストレスを感じるだけでなく、そのストレスへの畏れが本来ストレスを感じなくても良い時間まで浸食していることを意味するのかもしれない。
私達は、良いことよりも悪いことの方が記憶しやすい。
もちろん中には都合の良いことばかりを記憶できる人もいるのだろうが、おそらくそれも表面的なことであると思っている。心の深いところには、辛く厳しい思いの方が鋭く突き刺さる。
突き刺さった記憶は、何かのたびに蘇ってくる。
さらに、ストレスは繰り返し外部からもたらされ続ける状況であり、心の奥に仕舞い込むという手段が使えない。
癒しとは、ストレスを受けているときではなく、ストレスをフラッシュバックする時間を少しでも減らそうと言う自己防衛的に求める事象なのである。
だから、ある意味ストレスを思い出さなければ何でも良い。
その場合、別の刺激によりストレスを気にならなくするという方法もある。
上手く行けばこれも一種の癒しになるが、一般的に刺激は小さなストレスを生むものであって、ストレスを増加させる場合もある。すなわち、一種の賭と考えた方が良さそうだ。
他方、確実に癒されると感じられる安静があればいいのであるが、こちらもストレスのフラッシュバックを忘れさせられるほどのものでなければ、やはり効果は薄い。
どちらにしても、平常心を維持するために用いているものであり、その先に幸福感まで見据えている。
癒しとはストレスを忘れるための行為であるが、私達は単なる苦痛の忘却だけでなく幸福感を得るところまで期待している。
癒されたと感じる内容は人によって様々であって、幸福感まで得なければ癒されたとは感じられないとすると、ある意味それは不幸なのかもしれない。常に癒しを追い求め続ける放浪者のようになってしまうのだから。
「理想は、ストレスをストレスを感じないようになること。それが容易ではないので癒しが求められる。」
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