第33話 家族と親友の違い



 当然のことながら家族は生活を共にし、友人は生活を異にする。

 だから異なるのは当たり前ではあるが、私が言いたい部分はそのことではない。

 言いたいことは、相手に対しての打算の程度についてである。


 家族も友人も基本的には打算を超えた関係と考えたいところではあるものの、そうも言い切れないのが現実であろう。もちろん、どちらかと言えば肉親である家族の方がその打算の程度は相対的に低いかなとは思っている。

 極論を言えば、自らの子供に対しては全く打算がないとは言わないものの、打算が行動を左右することは非常に少ないと自分では思っている。

 一方で、友人について。。。特に親友と呼べるレベルであっても、そこには打算が全くないとは言えないと考える。もちろん、単純な打算ではない。親友と呼べるレベルには、家族と同様という関係もあれば、尊敬しているという関係もある。家族同様は家族と見なすとして、尊敬している相手との付き合い。そこには、打算を超えた打算があるのではないかと思うのだ。

 その友を持つことによって結果的に自らを高める行為。

 単純に自らだけが有利になるという打算ではなく、お互いに有利になるという打算。

 それを打算と呼ぶのが適当かどうかはわからないのだが、なんらかの自分を含んだ成長が見られる。


 家族でも、子供にとっての親はそれに近い。

 一方、親からする子供は原則として親のメリット想定した打算の介在する部分は非常に少ない。


 いや、あくまでこれは私の考えだ。

 当然家族関係でも打算が勝つ人もいるだろう。

 しかし、そこに打算が働けば働くほど、それは家族と言うよりは友人関係に近づいていく気がしている。


 なぜこんな話を書くのか?

 近年の家族において打算の少ない関係は増えているのだろうか?

 それとも減っているのだろうか?


 それは、引きこもりや幼児虐待などの近年多く報道される現実を見て、その点に興味が向いたのだ。

 もちろんその数は殺人がそうであるように昔の方が多かったのかもしれない。

 虐待などは、報告される事例が増えただけで昔からあったと考えられないことはない。

 あるいは虐待の定義や内容にも時代と共にいろいろと変化があるようにも思う。


 これもおそらく特殊事例なのかもしれないが、若い(といえるかどうかは微妙だが)女性が同年代の男性ではなく安定した40〜50代の男性を結婚相手として選ぶ事例が増えているとの記事も見かけた。収入の不安定な同年代の男性よりは収入が安定している方を選ぶ。これも打算の一つだろう。

 いや、将来性を選べるのであれば若い方がもちろん良い。将来性が期待できないくらいならという現実的な選択と言えるのだろうが、個人的には少々近視眼的すぎる気もする。

 別の場所で、エイジレス化が進んでいるとのエントリを書いたりもしたが、それも後押ししていると思う。

 40〜50年前の40代、50代の男性で若い女性の結婚相手の対象となるような人は、今よりはおそらく少なかったであろう。

 家族になろうというところまでは、打算が十分働くのはある意味当然かもしれないのだが。


 その延長に、契約結婚的な感覚があるようにも感じている。


 ちょっと気になった。それだけのことである。


「打算が愛を超えるような家族。。それを超える何かを人々は求め続けてきた。その結論が現状だとすれば、やはり悲しい。」

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