第31話 感情を利用する



 感情的という言葉は、一般的なイメージではポジティブなものではない。

 どちらかと言えば融通の利かない、身勝手な行動を引き起こすであろう状態を示している。

 しかし、人間は感情の生き物である。

 どんなに理性的に行動しようとしても、感情のくびきから逃れることはできない。


 人はいつも感情にまかせてしまったことを後悔し理性を保つように努力するが、その理性を打ち砕くのは感情の爆発的なエネルギーである。

 では感情はなるべく抑えるべき存在なのか?と問われれば、これもそうとは言いきれない。

 私達は、様々な場面で感情の力を借りているのも事実なのである。

 それは言い換えれば感情を利用していると言っても良い。


 以前、ある場所で感情とは個人的な都合による論理だと書いた。

 対立する理性は、社会的なバランスを考慮した論理というわけである。

 ところが、理性というのはいつも適切な解決策を有しているとは限らない。

 それどころか、多くの場合には理性によっていくつかの案に整理できるものの、その中のどれを選択するのが最も良いかという決断を導けないことが多い。

 それは、判断するに十分な情報が得られていないため。


 簡単な判断であれば悩む必要もなく決定できるが、決断できないような難しい判断をしなければならないときに、理性は私達に何も力を貸してはくれない。

 貸してはくれないと言い切るのは必ずしも適切ではないだろう。それは、判断を下すのに十分なデータを得ていないのだから、より十分なデータを得ればよい。より確からしい何かを見付ける努力をすればよい。

 ただ、往々にしてタイムリミットが存在する。それを見付ける猶予を与えてもらえないのだ。


 だとすれば、判断のための情報が不完全だとはわかりながら、何らかの決断を下さなければならないと言うことである。

 さて、どうすべきであろう?


 多くの場合、こうした決断の場面では感情が最後の一押しをする。

 多少論理性に欠ける判断であっても、こうした事例は多い。

 だから、開き直ってとか、思い切ってとか、、、そういう感覚を得る。

 こうした場合、事前情報は理性的に分析しているので、闇雲に感情的な振る舞いをしているわけではない。

 理性では容易ではない最後の一押しを感情に委ねている。

 これは、感情の利用手段としては比較的正しいと私は思う。

 いつまでたっても決断できず堂々巡りを続けるよりは、前に進んだ方が結果的には上手く行くことが多いからである。ただし、早期に決断すればそれで良いわけではない。論理的になんども考察するという時間は、腹をくくるために必要な時間でもある。


 また、感情を上手く利用する場面としては、他にもモチベーションの維持などの場面が考えられる。

 馬の鼻先ににんじんではないが、理性よりは感情の方が人は力が出るものだ。

 だからこそ、力を大きく出さなければならないときには、感情を如何に上手く利用できるかが鍵になる。

 感情は、自分に対して利用する分にはいろいろとメリットを感じられることもある。

 しかし、それが他人に向けられる時にはメリットとなるケースは限定される。

 感情は、人の行動の推進力である。

 それは自分の行動を後押しするが、他人の行動を後押しすることはできない。

 結果として、他人に向けられる感情は他人に対する圧力となる。

 それも上手く利用できれば相手の感情を操作できるかもしれないが、あまり積極的にそれをするのは個人的にはお勧めしない。


 さて、自らに対するネガティブな感情は自らも拘束してしまう。

 如何にポジティブな感情を自らに課すか、そしてそれを利用しているという意識を有するか。

 このあたりが、感情を利用する上で重要なことだと思う。

 感情は、理性により制御されれば大きな力を発揮する。

 それが理性の制御から離れれば、力が大きいだけに暴走する危険性が高くなると言うわけだ。

 それ故に、意識して感情を利用する。

 容易なことではないが、そこには意味があるのだろう。


「馬鹿も感情も使い方次第。」

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