第30話 恋と愛の違い



 「恋」と「愛」の違いについては、昔から議論されてきている問題でもある。

 よくある意見としては、「恋は求めるもの、愛は与えるもの。」などというものがある。

 あるいは、「恋は下心、愛は包み込む心」などと漢字の「心」の位置をもって表現するものもいる。


 一般的には、恋愛は「恋」に始まり「愛」に進展すると考えられる。

 だとすれば、恋愛という大きな流れの内で初期を「恋」、一定以上関係性が深まれば「愛」と言ってもおかしくない。しかし、そうは言いながらも時期による定義付けは今ひとつしっくり来ない。


 元々、言葉があって行為が当てはめられたわけではない。

 行為や現象があって、そこに言葉がつけられる。

 だとすれば、やはり「恋」と「愛」には決定的な差異があるのだろう。


 直感的なイメージで言えば、「恋」は淡く、「愛」は濃く深い。

 すなわち、「恋」は軽く、「愛」は重い。

 「恋」は一方的に思い描くもので、「愛」は二人の関係が明確である。


 だとすると、「恋」は恋愛の初期でかつお互いに相手の愛情を完全には認め切れていない場合ではないだろうか。

 もちろん片思いのケースは当然「恋」になる。

 初々しいカップルは、お互いに相手のことが好きであってもそれを自信を持って認めきれない。

 その危うさが、「恋」の特徴なのだと思う。

 「恋しい」という言葉がある。これは、夫婦でも用いることがある。

 それは相手の気持ちがわからなくなっているからこそ出てくる言葉なのではないかと思う。


 では「愛」はお互いの気持ちをお互いに十分認識しているのであろうか?

 実を言えばそれを言い切れるのかどうかはわからない。

 ただ、自己認識としてそれを確信していたならば、それは「愛」なのではないだろうか?

 人間であるから、究極的には他人の考えることは恋人であっても夫婦であっても完全にわかるものではない。

 それでも、お互いにわかり合っていると信じることができるならば、それは立派な「愛」なのだと思う。

 子を思う親の気持ち。それもこのことを全て知っている(実際はそうではないが)という強い気持ちが、それを愛情にしている。もっとも、親子間に「恋」という感情はない。。はずである。

 親子の関係は、好き嫌いの問題ではないからである。

 それ故、ストーカー行為であっても相手の心を無理矢理信じれば、それは「愛」なのだ。


 「愛」はあらゆることを持って相手を深く理解しようとする。

 信じるための何かを欲し続ける。

 それが、笑顔であったり、気持ちの通じ合いであることもあれば、喜びや悲しみの共有ということもあろう。

 あるいは、快楽の共有であったり、場合によれば罪の共有と言うこともある。


 「愛」が深くなればなるほど、人はそれを重荷に感じやすい。

 しかし、「恋」では満足できない。

 それ故、「恋」と「愛」の間を揺れ動き続けている。


「人は恋に焦がれ愛を欲する。そして、恋に飽きたらず愛を疎む。恋にも愛にも偏らず、その中を揺れ動くのが真実に近そうだ。」

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