第29話 別れは人を育てるか?



 最近の人は恋愛に臆病になったと言われている。

 家の縛りから解き放たれた若者達は、本来であればもっと自由に恋愛を繰り返して良いはずなのに。

 それは、恋愛よりも楽で快適な遊びを覚えたから?

 あるいは、自らが傷つくことを過度に恐れるようになったから?

 その両者とも当てはまるとは思うのだが、今回は傷つくこと=「別れ」について考えてみたい。


 基本的に、どんな場合であっても別れは寂しく悲しいものである。

 それは、自分を構成する要素が抜け落ちるから。

 恋人であれ、夫婦であれ、家族であれ、深く結びついててかけがえがなければないほど、別れにより開いた心の穴を埋めるのは容易ではない。


 その別れによるショック、それを和らげるためには2つの選択肢がある。

 一つは、その穴を埋めてくれる新たな何か(誰か)を見つけること。

 ただ、それは容易なことではない。開いた穴の形は新たにくるものとは異なるために、そのピースがたやすくは埋まらないのだ。

 では、別れは経験しない方がいいのか?

 それには多くの人が違うと言うと思う。

 なぜなら、大なり小なり一生のうちには人は数多くの別れを経験するものであるから。

 人間が社会と関わりを持つ以上は、そこから逃れる術はないのだ。


 しかし、やはり心に痛みを負うことからは可能な限り逃げたいと思うのが人間である。

 その結果、人間は次のような方法でその痛みを和らげようとする。

  ・慣れる

  ・無視する

  ・人との関係性を薄くする


 恋愛に臆病になるというのは、まさに人との関係性を薄くする方法であろう。

 誰とも真剣には付き合わない。そうすれば、別れの痛みも小さなもので済む。

 しかし、その結果人々は孤独を感じる。

 今の社会が孤独に溢れているのは、別れを畏れるが故の結果でもある。

 もちろん、人との関わりが煩わしいというケースも数多くあるのは知っている。

 年齢を重ねれば、当然個人的な相性による煩わしさもあるだろう。しかし、若いうちからそれを言うとすれば、詭弁のように感じられるのだ。


 別れの悲しさから目を逸らすこととそれに慣れるは実を言えばそれほど違いがない。

 どちらも別れに対処するための自分なりの方法である。

 少なくとも別れの原因となる出会いを拒んではいない。


 別れは、心に大きな痛みを伴う。

 その失ったものへの痛みは、経験により和らげることが出来る。

 しかし、その能力を得るためには別れを経験しなければならない。

 一生全ての別れから逃げ続けられるわけではない。


 かつては、人は別れから逃げることなど出来なかった。

 だから、強制的にでも慣れなければならない状況下に置かれた。

 ところが、今の社会は別れから(あくまで一時的にではあるが)逃げることができる。

 それは、その人にとって有意義なことなのだろうか?

 社会にとって意味があることなのだろうか?


 人間社会は、多くの人の関わりにより成立している。

 その関わりが希薄になればなるほど、社会の活力は失われていく。

 その関わりが濃くなればなるほど、社会は生き生きとしていく。

 もちろん、その活力は別れを知るからこそ新たな出会いに対する期待を抱けることによって生まれている。

 別れから逃げないと言うことは、それだけ多くの意味ある出会いを経験できることでもある。

 単純に数が多ければいいわけではない。

 しかし、出会いの数が増えれば良い出会いをする機会も増えるのだ。


 そして、私達は多くの経験を身につける。

 その経験は、良い思い出のみではない。

 しかし、別れを乗り越えてきた経験ならば、少なくとも強さを備えている。


 別れは人に深みを与える。

 そして、社会に活力を与えるのだ。

 別れは社会を育てるのだと思う。

 今の日本は、別れが足りないのかもしれない。


「別れは人の心を鍛える。日本に不足しているのは心を鍛える場所や機会ではないかと思う。」

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