第27話 できちゃった婚を考える



 今では、できちゃった婚は決して珍しいものではない。

 芸能界でもよく見かけるし、知り合いの中でもよく聞く。

 知り合いの場合で言えば、いつかは結婚するだろうという二人だったので、結果的にそれが結婚を後押ししたのではないかと予想するが、きっかけとなったのか諦めとなったのかは判別しがたい。


 ところで、日本の結婚観というのはいつ頃現在の状況になったのだろうか?

 江戸時代や明治時代など、町と田舎では結婚観がかなり異なっていたようにも聞いている。

 更に過去に遡れば源氏物語など夜這い上等の世界観もあり、今の結婚観が日本の歴史を貫く伝統的なものではないのは間違いない。


 例えば、正座。

 これも本当に日本人に広がったのは第二次世界大戦時。

 それまでは、公式な場所でもあぐらが普通だった。

 歴史物のドラマなどではよく見かける。

 正座という姿勢はあったのだが、正座という言葉も明治時代になってから生まれたという。

 第二次世界大戦時に戦時の困窮に耐えようという政治的宣伝で正座が広められた。


 結婚観も、おそらく西洋の伝統が入ってきて大きく影響されたのではないかと思う。

 もちろん、今の日本のように(一定範囲内ではありますが)平等が広がったのはおそらく戦後であろう。だから、現在の結婚に対する倫理などわずか数十年で作り上げられたものであると言えなくもない。


 いや、不倫バンザイなどと言うつもりは全くない。

 一方で、結婚するまで童貞処女を死守せよとも思わない。

 日本のように出産率の低い国では、できちゃった婚は国家的には必ずしも悪い話ではない。

 なにせ、日本の子供が少ない理由は結婚しない男女が多いからである。

 できることなら、もっとバンバンと結婚してもらいたい。

 それが、できちゃった婚によるものであろうがかまわない。


 もちろん、それに至るパターンが多くのDQNを生み出している。あるいは、そういう人ほどできちゃった婚になってしまう。その可能性は認める。

 おそらく、生活能力もないのにできちゃった婚に至る(あるいはそれにすら行き着けない)ケースも少なくないだろう。

 だから、なんでもかんでもOKとは言わない。


 一方で、一定の能力を持ち稼ぎがある人であれば、OKじゃないかと思う。

 もしかしたら、勢いで結婚してしまいすぐに離婚になる可能性も否定はできないが、それでも子供はかすがいとなりやすく家庭をつなぎ止めるのは確かだろう。


 私は、生活能力のない親の元に生まれた子供は、ドンドンと養子で生活能力のある人の元にいけるようにすべきだと思っている。

 悪い言い方をすれば、子供を産むのはDQNにも任せるが、その後の養育はは適性配分をする。

 もちろん、それを推奨するつもりはない。

 本来、親子の結びつきを無理矢理切るのもおかしな話である。

 ただ、結果としてそれでも虐待の対象にあるのであればそれはもっとおかしい。


 極端なことを言えば、子供の養育権をDQN親から買い取りそれを子供が必要な人に売る(親権の斡旋)。

 なんてシステムも考えるべきかも知れない。

 悪い言い方をすれば人身売買だが、それをきちんと育てられない人から育てられる人への移譲だと考えればニーズはあるだろう。

 子供の移譲元、移譲先はヒミツ。子供が成人した時に子供にのみ公開される。

 子供を金に換えるようなDQN親に育てられるよりは、国を担う人材として成長してもらえればと思うのだ。

 実際、生活保護世帯で育った子供は十分な教育の機会も与えられず、自らも生活保護になってしまう率が非常に高い。負のループを打ち切る意味でも何らかの仕組みを望みたい。


 日本という国の将来を考えたとき、現状のように未婚率が30%を超えているような社会はやはり望ましくない。

 それは、生物の本能から外れた行為に私には見える。

 ひょとすれば、人間という種が今後消えていくための自然の摂理なのかもしれないが、そこまで悲観的には思いたくない。


 できちゃった婚。。。いいではないか。

 社会がそれをポジティブに受け入れられればいいのである。


「社会を活性化する刺激剤は、制度や社会システムが生み出せるものではない。それは人間の予想外の営みによりもたらされるのだ。」

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