第18話 素直は美徳か?



 恋人間では素直であることが重要なのか?

 私達は、夫婦間や恋人間では素直であることが重要であると思っている。

 少なくとも、素直でないよりはその方がずっと良いというニュアンスが、この記事には間違いなく現れている。


 ところで、素直であるとはどういうことであろうか?

 考えてみればいろいろとありそうだ。


 素直。。。。この言葉に隠されているニュアンスは、別の言葉にたとえようとしてもなかなか難しい。


 嘘をつかない。。。あるいは誤魔化さない。。。これは、素直のイメージに該当する。

 ただ、恋人間で全てを打ち明けると言えば表面的には良いことのように思えるが、逆に言えば全てがあからさまにされることでもある。それは、汚いものも悪いものも包み隠さない。

 そう考えてみると、普段思っている「素直」とは少し違う感じがする。


 言葉通りな「素直」は、私達が望む「素直」とは少し違う。

 素直であるということは、駆け引きすらない。直言直球。

 この素直は、非常に厳しそうである。

 恋人関係が開けっぴろげだとはしても、その素直さを続けるのはかなり痛い。


 別のイメージでは、「反抗せずに、従順である」といったニュアンスが含まれている気もする。

 それは、素直な子供。。。などと呼ぶ場合に使われることが多い。

 上記のむき出しのイメージとは全く逆だ。

 従順であることを素直だとすれば、それはおそらく素直ではない。


どうやら、私達が普段使っている「素直」という言葉には、実際のところ全く相反するイメージが内包されているらしい。そう考えてみると結構興味深いものである。


「素直になれなくて」・・・・歌のタイトルでも用いられるような言葉ではあるが、これは素直になれない自分を悔いている歌である。ただ、そんな自分を徹底的に批判したものではない。

 相手に対して素直ではないが、自らに対しては素直。。。そうした状況を悩んでいる。そこに、歌に込められた意味があるように感じる。


 恋人間に用いる「素直」は、相手にとって素直でいられるかどうか、要するに自分を殺して相手に合わせることを目指すものである。

 そう考えてみると、最初に提示した2つのシチュエーションは、「自分に素直」と「相手に素直」ということで見事に説明できる。私達は、2つの素直を使い分けている。


 自分に素直な人は、それが周囲に迷惑をかけない範囲では「自分に」素直な人との評価を受ける。しかし、それが閾値を超えれば単なる「わがまま」に変わり果てる。自分にいくら素直であってもそれは他者から評価されるわけではない。もちろん、忌憚なき意見を言うものとしての評価は受けるであろうが、愛らしい存在にはなれないだろう。


 他人に素直な人は、確かに人当たりはよい。異を唱えないのだから、人間関係はスムーズになる。しかし、他方で言えばそこには個がない。その人の存在感が薄くなる。恋人という関係は、お互いの存在感を認め合う行為により成立する。

 完全な依存関係は、それを恋人と呼んで良いかどうかは疑わしい。


 私達が、「素直」という言葉を使うとき、この自己に対するものと他者に対するものを、幾分かのバランスで使い分けられる人を、そう評するようだ。このバランス関係を突き詰めるといろいろと面白いことも考えられそうではあるが、今日はこれ以上は長くなりそうなので止めておく。


 ただ思うこと、何事も行き過ぎれば美徳などではない。

 それは「素直」であることも同様である。


「素直とはあくまで従属的な存在であることにある。それは手段であって目的とはなり得ない。」

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