第19話 知りたいのは、つきあう素晴らしさではなく、素晴らしくつきあうための方法



 素晴らしい人間関係(=つきあい)が出来たなら、それに優るものはないだろう。

 しかし、つきあうためには理由が必要だ。

 恋愛もそうだし、友情でもそうだ。


 その理由が曖昧なままに、単純につきあった方がいいよね。。。こんなに素晴らしいんだもの。


 なんて、議論はこれまた無意味なものだ。

 そりゃあ、息が合い、気が合う相手とのつきあいは最高だろう。素晴らしい相手を得たと言っても過言ではない。

 しかし、両者ともそう思うケースなど、砂漠でコンタクトレンズを探すようなものだともう。


 私自身、相手に思われるのにふさわしいレベルには達していないことがまず最初にある。


 問題は、こうしたつきあいを出来るようになるためには、何が必要かと言うことだ。

 お互い、欠点も息が合わないこともあるだろう。

 でも、それでも、この相手がよいと思わせる何かが必要なのだ。

 自分本位で言えば、相手にそう思わせる何か?


 それは、容姿が優れていることかもしれないし、大量に保有するお金かもしれない。

 あるいは、優しさかもしれないし、マメさかもしれない。

 おそらく、それら全て含まれる。ただ、そのウエイトの高さは個々人によって大きく異なる。

 それまでの育ち方、正確、環境、思想。。。などによって。

 その他にも、性格、人格、地位、、、要因は限りない。


 要するに、賭なのだ。

 まあ、そう割り切って言ってしまうと語弊がある。

 相手を信じようという気持ち、、、自分自身の気持ちが最後にある。

 それは、そこに賭けた自分を信じる気持ちでもある。


 信じるからこそ、相手と共にいることが自分にとってのメリットであり、価値を生む。

 逆に言えば、相手にそれを信じさせることが出来るかどうか。

 そして、自分自身もそれを信じられるかどうか。


 お互いにそう思える相手同士が出会えば、それは最高のつきあい方だ。

 そして、お互いが疑いを抱いたままであれば、、、、結果は言わずもがなであろう。


 言い方は悪いが、それは宗教と似ている。

 信じるからこそ救われる(周りからは救われていないように思えても)。


 それは第三者から見れば幸せなどではないかも知れない。

 でも、本人にとって最後まで信じられるものであれば、、、見えているものは異なるだろう。


 いやはや、極端なことを書きすぎた。

 でも、相手を疑い、、、、そして自分を信じられないようであれば、、、素敵なつきあいは出来ないに違いない。


「主観は客観ではあり得ない。では主観で良いではないか。」

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