第12話 幸せな結婚が出来る確率は年齢にはよらない



 ずっと昔ですが、30代だからこそできる幸せな結婚という記事を見たことがある。



 だが、年齢を経たからといって人間の本質が大きく変わることは無い。

 強いて言えば用心深くなることだろうか?

 逆に言えば、思い切りはなくなる。


 用心深くなれば、良い相手を見付けられるのか?

 私はそうは思わない。


 もちろん、とんでも無い相手に熱を上げる可能性は減るであろう。

 しかし、同時に良い伴侶を逃す可能性も増える。

 年齢を経て用心深くなれば無難な相手を選ぶ可能性が高まる。要するに、上下カットが行われるのである。

 確かに、50点以上の相手を選ぶ確率は凄く上昇するであろう。

 しかし、90点以上の相手を選ぶ確率はおそらく相当減っている。


 それをよしとするのであれば構わない。

 ただ、それは年齢を経れば良い相手を見付ける能力が増したとは私は思わない。

 チャレンジが無くなったに過ぎないのである。


 一般的によい男は早期に相手がいる傾向がある。

 もちろん、何らかの理由で良い男性が年齢を経るまで独身でいることがないわけではない。

 しかし、その可能性が高いという幻想は抱くべきではない。

 だとすれば、相応の年齢の男性で良い伴侶となる人の数は、年齢を経ればやはり減ってしまうのだ。・・・ただし、晩婚化は男女問わずの傾向なので、激減していると言うつもりはない。結婚しない女性がいる分は、同様の男性も存在する。


 ちなみに、若くてよい年下の男性を見付ける能力があるのであれば問題はない。

 でも、そういう力があるならば、年齢を経たからと言って伴侶の心配をする必要はない。


 ここで根本問題に戻ろう。

 幸せな結婚は与えられるものなのか?


 そうでないことは、誰もが理性では知っている。

 幸せは作り上げていくものなのだ。

 ただ、どうしても幸せを与えて貰うという思考から抜け出せないからこそ、あるいは楽をして幸せを演出できそうな相手を選ぼうという考えだからこそ、このような疑問がわき上がってくるのだと思う。


 自立的に幸せを掴むつもりであれば、実のところ結婚の時期も相手も、自分が良いと思う相手であれば何の問題もない。


 それを、婚期が遅くなったことに対する言い訳のように、「年齢を経た方が・・・・」などと言うこと自体が変な話であろう。50で最高の伴侶を見付ける場合もあろう。もちろん、若くして結婚する場合には当然得られるいくつかのものは得られない。

 しかし、マイナス面を勘案してもプラスだとすれば、それは結果的には悪いことではない。


 その逃したものに未練を抱く思考に囚われている以上、逆説的ではあるが幸せを掴むのは容易ではない。それさえもカバーしてくれる伴侶は、おそらく若い時期しか見付けられないだろうし、その相手に相応な自己であるかを悩まなければならないであろう。


「幸せは自分が感じなければ存在し得ない。それが自己由来であっても、他者由来であっても。」

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