第11話 結婚は得るものか、与えるものか



 あくまで個人的な感想で恐縮だが、「婚活」という言葉については正直言えば、あまり良い感じは抱いていない。

 もちろん言葉に罪があるわけではないのだが、そのニュアンスに違和感を感じるからに他ならない。


 結婚というイベントを一時的な目標として抱くこと自体は否定するものではないが、その目標は本来新しいスタート地点でこそある。

 だから、新しい船出をする場所、スタートラインに立つというイメージが、どうも「婚活」という言葉からはあまり強く感じられない。どちらかと言えば、それが一旦終着点としてあってそこから再度の仕切り直しと感じられる。


 まあ、感じられると言うだけであって、私の勝手な思い込みと言っても良いレベルの話ではある。


 スタート地点としては、私の言っていることは同じではないかと見えなくはない。

 しかし、両者は明らかに違う。

 その先を見据えて、意識と意欲を持ってスタート地点に立つ場合と、一旦安堵感を抱き、そこから再び新しいモチベーションを築き上げる違い。

 要するに心構えが違うのだ。


 これは「婚活」のオリジナルである「就活」も同じと言えば同じ。

 入ることが目的ではなくて、入ってから何をするかが重要。

 もちろん、企業に就職するための努力も当然必要である。

 しかし、それはあくまでスタートラインに立つための最低条件である。


 そんなことは誰もが知っている。

 知っているにもかかわらず、その心構えがクローズアップされることは少ない。

 結婚が、単なる一時的なイベント化してしまっているのかもしれない。

 結婚式=結婚のイメージ。


 心構えが不十分だとすれば、結婚(式)というイベント通過が大きな目的と化すれば、その先の準備が非常に心許ない。もちろん、初婚であれば何もかもが始めてであって、事前に準備したからと言って機能するとは限らないという意見もあるだろう。だから、イベント通過後に新たな気持ちでスタートを切り直せばいいと。。。


 確かに、生活をする上での決まり事などについてはそれで全く問題ない。

 違うのは、あくまで生き方に対する心構えだと思う。

 それは、事前に準備できる。


 この心構えが不十分な場合何が生じるか?

 それは、精神的な余裕がなくなりやすい。心にゆとりが生じにくい。

 もちろん、それを二人で補うのが結婚ではあるのだが、夫婦の内の一人にゆとりがなければ、フォローがもう一人に必要となる。お互いの支え合いではなく、一方に寄りかかる形だ。


 それでも、一人が十分なゆとりを持っていれば成立するであろう。

 その状態を続ければ、お互いの余裕も広がっていく。

 だが、それはあくまで相手に十分な余裕がある場合。


 結婚は、基本的にお互いが補完し合う関係になること。

 だとすれば、与え、与えられ、、、、そのバランスが本来の形。

「婚活」のイメージには、そこに至るものがなかなか見えてこない。

 学校の延長線で、与えられる存在がちらつく。


 それでも、多くの人は社会に出れば否応なしに現実の厳しさに触れる。

 それと同じことが結婚にも言えるのであろう。


「一人では不安。他人を信用するのは怖い。だから、恋愛と宗教は成立する。」相手を信じるための理由がそこにはあるからだ。」

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