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小浜では舞子、おしゃくと称し、髷や着る衣装様式は似ていたが、勿論京都ようではなかった。それを弥生は夏を祇園に習った本格的な舞妓のお披露目とした。「祇園に行ってもこんな綺麗な舞子はんはいまへんえ」と、弥生は誰かなしに自慢した。また、襟替えのお披露目も姉さん芸妓がやっかむほどに派手にした。そして「夏、これからは、旦那は私や。自由に好きな人があったら一緒になったらええ、女は好きな人と結ばれるのが一番や、あんたが幸せになったらええのや」と、旦那を取らせなかった。
夏は、実に弥生には色んなことを教わった。「芸妓やとバカにしたらあけへんえ」と言って、幕末の桂小五郎、後の木戸孝允の正妻となった芸妓幾松の話を聞かされた。後の木戸松子は小浜の出身である。稽古事だけでなく、和歌を詠むこと、新聞は欠かさず読むこと、そして小浜や京都の歴史も教わったのである。
小浜にある常高院に出向いた時に聞かされた浅井三姉妹の話は殊のほか感慨ぶかいものであった。浅井三姉妹とは戦国武将、浅井長政と織田信長の姪お市の方との間に生まれた三人の娘、茶々、初、江を指す。それぞれ豊臣秀吉・京極高次・徳川秀忠の妻(正室・側室)となった。常高院を開いたのが京極に嫁いだ真ん中の初である。
高次に先立たれた後、初は出家して常高院と名乗る。大坂の陣の際には、姉妹の嫁いだ豊臣・徳川両家の関係を改善すべく、豊臣方の使者として仲介に奔走した。他の姉妹たちと同じく母・市の美貌を受け継いでおり、後に初は切支丹に改宗した。戦乱の世に立場を異にし、数奇な運命をたどった三姉妹であったが終生仲は良かったという。
三姉妹に思いを馳せ、姉妹もなく寄る辺ない自分を重ねた。
夏は一本立と言っても、弥生の家に住み続け、そんな人が果たして現れるのやら、ともかく芸妓として腕を磨くことに務めることが先決と考えた。
生身の身体、好意を持ったお客とは一夜を共にしたことはあっても、深入りはさけた。小浜で一番の芸者やと、水月の女将にも贔屓にして貰い、いつしか25を迎えた日、弥生から思わぬことを頼まれたのである。
「あのなぁー、縁あって義理あるお人なんや、遠くに行きなさることになる。私の身体で良かったたらなんぼでもと思うのやけど、なにせこの歳やろう。夏、私に一晩代わっておくれ」と頼まれたのである。相手も見るわけでもなく、弥生の真剣な目を見ただけで全てを理解した。夏にはなんの異存はなく頷いた。
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