カメラ越しの彼

深夜太陽男【シンヤラーメン】

第1話

     ○


 大学に進学してから初めてカメラというものを買ってみた。別に携帯電話についているカメラ機能でも事足りるし、父親に言えばお下がりのコンパクトデジタルカメラをもらえただろう。それでも私は古い個人リサイクルショップでたまたま見つけたデジタル一眼レフカメラを手にとった。メモリーの中には前に使っていた人が撮ったであろう写真データがそのまま残っていたのだ。それを見た瞬間カメラの丸々しさとゴツゴツ感が共存したフォルム、その重さと感触が急に愛おしくなった。安くはない値段だが、私は購入を決めた。


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 どうやらこのカメラは数年前に発売された少し古めのモデルらしい。進化が著しい電子機器にとって数年前は遥か昔の如く、機能性で言えば最新機種のものと雲泥の差であった。とは言え初心者の私にはあまり関係なく、画素数がどうの焦点距離がこうの説明されてもちんぷんかんぷんだ。入門機より少し上のグレードというだけでお得な買い物をしたもんだと喜んだ。

 カメラをいじってみて、どうしてこんなにボタンが多いのか不思議で調べてみた。どうやら全部必要な操作のためにあるらしい。周りの景色が明るすぎて被写体が暗くなっている場合、明るさを変更できる『絞り』を調節する必要があるらしい。被写体が動いているものなら『シャッタースピード』を調節しなくてはならないし、チラチラとしたノイズが走るなら『いそー』の数値を変えてやらねばならない。数字の調整地獄であった。しかもどこかをいじればまた別のどこかに影響が出てしまう。これでは永遠に望む設定を得られないのではないのか。カメラマンがプロ職業たる所以を思い知らされる。

 大学では恋人はおろか友達もおらず、授業もバイトもサークル活動にも熱心ではない私はカメラに打ち込んでみたが腕前は上達することはなかった。マニュアルフォーカス、ズームせずできるだけ被写体に近づくこと、フラッシュ厳禁、被写体が何かわかりやすい構図で撮ることなどを意識して下手の横好き、時間があればシャッターボタンを押していた。


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 昔から一人ぼっちで、孤独というものは慣れているつもりだった。それでも自分の葬式のときにこの人誰だっけとか思われるは虚しい。せめて私の見ていた景色だけはこの世に残して誰かに見てもらえればいいな、なんて不純な動機で写真を始めた。遺書ではなく遺写真? けれどこの遺写真たちは果たして誰かに覗かれることはあるのだろうか。希望がなければこのカメラの前の所持者と同じようにメモリーを消さないままリサイクルショップに置かせてもらえばいいのだろう。前の持ち主はどんな人なんだろうか? 私はその人の残した写真が好きだった。たぶん、私と同じ初心者でカメラの扱いには慣れていない。でもふとした瞬間を捉えるのがすごく上手で、ただの思い出の記録なんんかじゃなくて今にも動き出しそうな雰囲気と迫力があって、まさに写真が生きているようだった。こんな写真を私も撮ってみたい。

 古い写真の中には、私が幼少期にお世話になった古い玩具やゲーム機が写っていた。その他にも知らない街の駅の看板、遠くに見える髪の長い女性、男性のつま先とそこから伸びるカメラを構えた人影。前のカメラの持ち主を私は勝手に『彼』と呼ぶ。彼の写真に私は夢中で、同時にライバル視していた。


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 不思議なことが起こる。このカメラは私以外が触ることはないのに、メモリーの中には見覚えのない写真が増えていった。誰かが勝手に? しかしカメラを持って外出するとき私は一度だってカメラを手放したりしない。自分の持ち物で一番高値なので命の次に大事に取り扱っているのだ。在宅中に泥棒が? 盗まずに撮るだけなんて悪趣味なやつと思いつつ、私は一日中カメラを首からぶら下げてみたがメモリーは更新されていく。カメラの誤動作ではない。被写体はどれも私の行ったことも見たことない景色ばかりだ。

 これは心霊現象である。心霊写真があるのだからカメラ自体にこういうことがあっても不思議ではないだろう(いや、不思議なんだけど)。それでも怖さを感じなかったのは更新される写真がどれも『彼』の撮り方だったから。

 もしかしてもしかしてこのカメラ、古いから機械がどこか故障していて『過去』と『今』がごちゃごちゃになっているかもしれないのじゃないのか。試しに私は紙に大きく『私のカメラにイタズラしないで!』と大きく表記してそれをカメラで撮ってみた。小さな液晶画面でもちゃんと文字が読めることを確認した。我ながら馬鹿げていると思う。夢ならいいのにと私は一眠りした。

 目覚めてカメラを確認してみる。やはり新しい写真が増えていた。紙には大きくこう書かれていた。

『君こそイタズラはやめてくれ!』

 予感的中である。


     ○


 そこから紙面上(写真上)で彼とやりとりをし情報を交換した。私も彼もお互いにしらない土地に住んでいて、なんとなく時代が違うのもわかった。彼は社会人になって数年、私より年上である。カメラの扱い方については、すぐにメモリーの上限に達するわけではないので気長に二人で使っていくことに落ち着いた。他人に自分のプライベートな写真を見られるのは耐えかねるが、彼だったら何故か許せた。彼も自分の写真が見られるのは覚悟の上なわけだし。

 写真を通しての私たちの交流が始まった。文章でのやりとりというのはごく稀で、やはり私たちは写真で会話することがほとんどだった。

 彼が猫の写真を撮ると、私も猫の写真を撮る。彼がどこか高い建物からの絶景を撮ると、私も負けじと山に登りそこから写真を撮った。すごく気に入った写真があれば、感想を文章で書いて撮ってみる。互いに好きなものを撮り続け、互いを知り、好きなものが増えていった。今の時代、インターネットの写真投稿サイトを使えばもっとたくさんの人と簡単にやり取りができるのに、私はこんなアナログでった一人としか繋がらない特別感に酔いしれていた。

 数回だけ、文章で会話してみるが内容は素っ気ないものばかりだった。

『君の写真には人物がいない。友達いないの?』

『景色が好きなだけ。その言葉そちらにも返す』

『僕は親近者が撮らせてくれないだけ。君の顔見てみたいかも』

『絶対ヤダ』

 私の顔なんてみたら彼は失望するに決まっている。そんなこと別に気にする必要ないかもしれないけど、私は彼に嫌われたくなかった。彼の写真に興味ある、から彼に興味あるという気持ちの変化は否定できなかった。彼に会ってみたい。彼の隣で直接彼の見ている景色を見てみたい。どこか暗黙の了解のようなカメラ越しという掟を私はこっそり破ることにした。


     ○


 彼の住んでいる街と通勤に使う駅は会話による情報と写真でなんとなくわかっていた。私は私なりの精一杯のおめかしをしてその街に向かってみた。電車に揺られて三時間以上、私は恥ずかしさと緊張で死にそうになっていた。彼が今も生きているなら私よりずっと年上だ。気づいてもらえるだろうか。というかなんと話しかければ良いのか。カメラを見せれば思い出してもらえるのか。というかそもそも直接会っていいものなのか。遠くから見つけられれば満足じゃないのか。もしかして人はこれをストーカーと呼ぶのではないか。自問自答だけであっという間に時間は過ぎた。

 何回か乗り換えをし、いよいよ彼の住む街の近くまで来た。駅名は街と同じ名前だ。ナントカ方面とだけ熱心に覚えていたので今一度その駅名を確認してみる。が、時刻表の看板に表記されている駅名の中にそんな名前はなかった。何度も見返すがどこにも見当たらない。意を決して駅員さんに尋ねてみると、確かにその街には線路が通ってはいるが駅はないと言う。なかなかの田舎らしく、その昔駅があった記録もないらしい。

 ショックを受ける。別に彼は何も悪くないのに私は騙された気分になった。それでも私は事実を確かめたく、街の最寄駅まで行きそこから歩いた。とても長い時間歩いた。彼の写真と同じような景色が見える。でもどこか寂しげで生き生きとはしていない。通行人の中に彼はいないのか、カメラをこれみよがしに掲げてみるけど誰も反応はしない。彼らしき人間はどこにもいない。もうこの街にはいないのだろうか。カメラ越しの彼はとてもとても遠くに感じられた。


     ○


 それでも彼と写真の交流は続いた。といっても私の写真の数は減り彼のものを一方的に見るばかりだった。彼にも心配されたが、生活が忙しくなったとか当たり障りのない答えしかできなかった。あなたは今どこにいるのなんて、過去の人に聞いたってしょうがない。だったら彼が私に会いに来ればいい。私のほうが未来なんだ、時間と場所をこちらから指定すればいい。と私は傲慢馬鹿女になる自信はなかった。

 彼の写真の片隅に時々見える、髪の長い細身の女性。顔は見えないけれどきっと美人なのだろう。私といえばもっさりとした髪型に丸々とした体格、まさに芋。月とスッポンである。きっと彼にはこういう女性がお似合いなのだ。私はその事実に目を伏せて、勝手に盛り上がり勝手に嫉妬し勝手に憂鬱になっていただけなのだ。

 決定打は、彼の最新の写真が生まれたばかりの赤ん坊のショットだったことだ。メッセージが添えてある。『元気に生まれました』と。彼と奥さんによく似ているのであろう可愛い可愛い赤ちゃんだ。

 幸福感と絶望感に浸りながら私は最後の写真を撮った。『どうかお幸せに』。私の初恋と共にカメラは物置の奥に閉じ込めた。


     ○


 それからの私は何かが吹っ切れたのか、最新のカメラを買い知らない人に声をかけては様々な写真を撮りコンテストに応募したりもした。大学でも積極的に人と関わるようになり、それなりに恋愛というものもしてみた。独りよがりではどうにもならない部分は多く、私は人に好かれるような見た目になるべく、髪を手入れし体重を減らし化粧も覚えた。付き合いだしてからは内面部分の接触が多く、そこは譲れるところと守るべきところをちゃんと両立することが大事と色々学んだものだ。しかしどこかで『彼』みたいな人に会えるのではと淡い希望もあり、長くは続かないことばかりだった。

 大学を卒業しとある職場でとある男性と知り合う。雰囲気に懐かしみがあり、どこかでお会いしましたっけと思わず聞いてしまった。もちろんそんなことはない。この人がなかなか面白く、変な雲の形を見つけたり猫の集会所を発見したり、お弁当を食べる時も絶景ポイントをよく紹介してくれた。素敵な景色をたくさん知っている彼にはすぐに夢中になり、彼に好かれるような努力も彼を好きになる努力もした。やがて結婚というかたちで落ち着いたのであった。


     ○


 彼の職場がが新しく移転するのと、私が妊娠した時期が重なったので引越しをすることになった。この街には国が新しく大型施設を建造するらしく、ついでに新しく駅ができるらしい。そのとき私は気づく。ここは憧れの『彼』を探しに行ったあの街じゃないか。

 新しい家で旦那が荷物を整理している。

「このカメラどうやって使うの?」

「うわっ、懐かし! 電源入れてシャッターボタンを押すだけだけど、もう古すぎるから動かないかもよ?」

 彼がカメラの電源を入れていみると小さな液晶画面は輝きだした。

「これ、君が昔に撮ってたやつ? やっぱ昔から面白いね」

 肯定。恥ずかしながらもがむしゃらに被写体を追いかけていたあの頃の私を思い出す。何故だか『彼』の写真はメモリーの中に残っていなかった。

「カメラどうするの?」

「子ども生まれるし、僕も写真始めてみよっかな、なんて。君の顔撮ってもいい?」

「絶対ヤダ」

 彼はダンボールの中に散らばっていた古い玩具やゲーム機を試しに撮っていた。そうか、『彼』が昔の人だなんて独りよがりだった私の勘違いでしかなかったんだ。

「あれ? なんだか勝手に写真が増えているような気がする……」

「心霊現象じゃない?」

「そんな馬鹿な。あ、『私のカメラにイタズラしないで!』だって。言い返してやる!」

 あの頃の私へ、被写体へは自分から近づくべし、あとそれなりの努力をするべし。私は運命とか一目惚れだなんて信じない、きっとこの幸せは自分で掴んだものだから。だから初恋の苦さはうんと噛み締めてください。私は少し膨れたお腹をさすりながらそう思う。

 これから、しばらくすれば『彼女』からメッセージが届く。

『お幸せに』

 私はきっとこう返す。

『ありがとう。あなたにも幸多からんことを!』

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