第四話 初めての

「おっはよー!」


 ガラッと大きな音を立てながら教室のドアを開け、いつもと同じようにクラスのみんなの返事に手を振って……。窓側の席に座ると決まって神田かんだが挨拶してくるから、それに返事をする。

 それが私の朝の一コマ。入学してから大体は変わらず続いている日課ってやつだ。だからきっと今日も変わらない。

 当たり前が幸せってよく言うけど、それって本当にそうらしい。ああ、普通って素晴らしい!

 昨日がなんだ、非日常がなんだ。そんなの経験したとしてもなにも変わらない…


「あ、おはよー彩葉いろは!…で、昨日のアレなんだったわけ?」

「よっいっちゃん!みんな昨日のこと気になって気になって眠れなかったんだよ!」

「おい高森!境町とどういう関係なんだよ!」


 ……変わらないわけがありませんでした。


 ーー無理矢理忘れようとしていた昨日のことを一気に思い出し、さっきまでの晴れやかな気分はどっかに吹っ飛んでしまった。

 少しでも気になる話があればすぐに飛びつくこのクラスの人たちが、わたしを中心にぞろぞろと集まってくる。クラスの半分くらいの人に囲まれ、私は憂鬱な気分になりながらへへっと情けなく笑う。昨日のことを薄っすらと思い返した。

 …そうだ、昨日はクラスメイトに何も告げずに帰ったんだった。まあ確かに、あんなことがあれば…気になるのはわかるけども。このクラスの人たち、遠慮がなさすぎる。

 考えれば考えるほど嫌な汗が滲み出てくる。黙っている時間を何とかしたくて私はみんなに向けて怒鳴るように話した。


「ちょ、ちょっと待った!一気に話しかけられても返せないから!き、昨日のことでしょ?ああ、今話すからとりあえずリュック置かせろ!」


 人を掻き分けながら窓側の席に向かう。リュックを置こうとして、昨日席替えをしたことを思い出した。わたしは自分の席を知らない。……ああ、つくづく面倒だな。

 誰が…知っているかな。私の席を動かしたであろう神田なら知っているだろうか?


「…神田、私の席どこかわかる?」


 神田は私につきまとう人たちの中には入っていないけど、私のことを何度もチラ見してきていた。いつも笑顔なのにいまは何故か不機嫌なご様子。


「…ああ、高森の席?あそこだよ、窓側の前から二番目」

「ほーまた窓側だったんだね。サンキュー神田」

「と、というかちょっと聞きたいことがあるんだよ!」


 腕をブンブン振り回しながら聞いてくるのは…多分昨日のことだろう。神田には世話になってるから最初に教えてもいいかな。

 みんながしつこいから乗り気にはなれないけど。


「あの、さ!境町くんと高森って…知り合いなんだよね?何で昨日境町くんは高森から逃げようとしたの?それと…ただの、知り合いだよね!?」


 今にも怒鳴られそうなほどの気迫で質問してくるものだから、一瞬びっくりした。

 ーーやはり昨日の質問だった。まあそりゃあそうだけど…みんなしてデリカシーの欠片もないのか?少しはプライバシーを気にしたらいいのに。

 私は席にリュックを置きながら神田の質問に答える。


「うん、まあ…知り合いと言えるかな。…もちろん、付き合うなんてゴキブリを食すよりありえないからね!私ああいうやつタイプじゃないし」

「そ、そうなんだ…そっか…よかった。じゃあなんで境町くんは、高森から逃げて飛び降りたりしたの?…さすがに変だよね?」


 そりゃあまあ、変だろう。私だって死ぬほど驚いたし、頭で考えるより先に体が動くってこういうことなんだな、ってよくわかったよ。

 四階って結構高いものだ。下から見上げてもその恐ろしさを痛感する。


「うん、確かに変だよね。だから……本人に聞いて?」


 何て言い訳しようか悩みながら返事をしていると、さっき私を囲んでいた人たちがまたぞろぞろとドア付近に集まっていた。

 どうやらあいつが来たようで。後はもうあいつに任せることにしよう。

 転入早々自己紹介もままならないまま窓から飛び降り、早退していった問題児、境町冬真のお出ましだ。



「…な、え、なに」

「境町、だよな!お前一体なんなんだよ。昨日のはなんだったんだよ!」

「はぁ…?」


 話についていけてない境町はまだ顔も覚えていないだろうクラスメイトに質問責めにあっている。

 そのままうろたえていればいいのに。


「一気に質問されてもわからないっていうか…あの、ちょっと、なんなんだよ」

「それは当然でしょ!だって境町くん凄くおかしい行動したじゃん!」

「飛び降りるとか!自殺かと思ったんだけど!」

「というか高森さんとどんな関係なの!まさか付き合ってるの?」


 会って早々四階から飛び降りるようなやつと付き合ってたまるかよ。恋愛脳すぎるんだよ、お前らは!

 …耳を塞ぎたくなるような話が展開されている。どんな関係って、そんなこと聞かれても答えようがない。友達でもないから、あえて言うなら単なる顔見知りってところか…。


 クラスメイトたちは半ば馬鹿にしながら問いを続ける。

 だが神田は一向に境町の方へ向かわない。それどころか軽く睨んでいる?ような。私の方をチラチラ見ながら、訝しげな声で私に尋ねてくる。


「…あの人、なんなの?」

「だから、本人に聞いてって……」

「高森だって本人でしょ!だって知り合いなんだから!」

「まあ確かに…、じゃなくて!あいつの行動の理由なんて知るわけないじゃん!」


 神田はいつもは良いやつなのにこういう時面倒なのがキズだ。自分で聞いてきてほしい。もう極力関わりたくないのだ。

 一方境町は未だ止まない質問に痺れを切らしたのか、さっきの私みたいにみんなを怒鳴り始めた。


「だから、いっぺんに質問しないでくれませんかね!俺とあいつの関係?別に単なる知り合いだよ。ただ……、俺が道で迷っててそこで道を教えてもらっただけの」

「じゃあなんで飛び降りたりなんかするわけ?おかしくない?」

「あーあーおかしいですよ。だから、ただ、俺は……プライドが高いからみんなにバラされたくなくて、だから逃げたんだ!付き合ってる?んなわけないだろ。ありえない、こっちからお断り!」


 境町はそれだけ言い放つと人を掻き分け教室の奥へと入ってきた。

 誰も納得なんてしてなさそうだけど、これ以上追求はされないだろう。一応私が思っていた事を代弁してくれたから、まあ良いのだけども…。


 それにしても嘘が下手な奴だなぁ…。

 昨日よりはマシになったとは言え、見る人が見ればすぐにわかる嘘だよ?さすが魔法使いさんですね。頭がふわふわしてるんじゃないですか?


 スタスタ歩いて行った境町だったが、ふと思い出したようにピタリと立ち止まり、まだ境町をジッと見ていたクラスメイトたちの方に振り返る。


「…俺の席、どこ」


 そうか、こいつも席がわからないんだ。席替えどころか、元の席がないんだもんな。

 みんなはその言葉を待ってましたとでも言わんばかりにまたニヤついてきて。…何を企んでいるのだか。

 みんな一斉に窓側の前から二番目の席にいる私の方を指し、言った。


「あ・そ・こ!」


 私?……いや、これは私じゃない?


「…まさか、隣?」

「…まさか、隣?」


 思わず口から出てしまった言葉が境町とかぶり、互いに睨みながらも目の前の受け入れたくない現実を再確認する。

 …まさか、嘘だろ?


「そうそう隣!くじ引きで隣になるなんてなんかあったからだろうね〜?」

「どんなこじつけだ!馬鹿か!」


 おっといけない、思わず口から暴言が。

 それほどまでに私は今自分の運の悪さを呪っている。ありえない。どんな確率でこいつと隣になるのだか…。

 ……いや、待てよ。さすがに偶然にも程がある。これは、本当に運なのか?


「いや、運じゃないよ?」


 と思った途端、後ろから声がした。


「…未来みらい。違うって…やっぱ?」

「そう、やっぱり。みんなこういうこと面白がるからねぇ、悪ノリで隣にしちゃったんだよねぇ」

「……やっぱりそうかぁ!みんな良い性格してるわ…」


 くじ引きでなくやらせだったというわけだ。みんなは真実を口にした未来をからかいつつ、結局私と境町を見てニヤニヤして。よくもまあそんなに楽しめるものだ。所詮みんなガキだな。

 ーでもまあ仕方ない、腹をくくろう。今更変えるのは面倒だし、どうやら未来も神田も近い席のようだし。我慢してやるとするか。


「なんで俺がお前と隣にならなきゃいけないんだよ…!」

「腹をくくれ、こいつらはこういう奴だよ。私だって吐きそうなくらい嫌だけど、しょうがないじゃん」

「…はぁ」


 複雑な関係だからどことなく態度も悪くなってしまう。特別嫌いなわけでもないけど、なんとなくいけすかない。


 中学になって重くなったリュックを私が机に置くと次第に騒ぎは収まっていった。

 ……明日から学校が不安だなあ。

 

  ○


 そうしてなんだかんだ今日の授業を恙無く終わらせ、やっと放課後の部活の時間。私が大好きな料理部の数少ない活動日の一つだ。

 家庭科調理室に向かう途中、私は散々だった今日のことを思い出していた。


 境町の挨拶はこれでもかと言うくらいグダグダで、ある意味人気者になれそうなキャラクターが定着した。まあ顔は確かにイケメンだから理解できなくはないか。

 その分中身が…おっと、なんでもない。

 まあ結局のところ、あいつはあんな秘密を抱えておきながら普通の中学生だったわけ。


「なんなんだよ、本当にもう…。意味わかんないよ…」


 イライラしながらも、あの時の空を飛ぶ感覚を思い出してスキップをしていると、次第にイライラも飛んでいく。私って単純。

 終いには鼻歌まで歌い出してくる始末だ。どこか客観的に自分を見つめている自分がいるよう。目を閉じて、第二カバンを振り回し出した頃には、私はもう前を見てはいなかったのだ。


「いたっ」

「え?あ、ごめんなさい!……って」


 誰かとぶつかり、反動で後ろに体が持っていかれる。反射的に謝りつつ、何とか転ぶのを避けたところでぶつかった相手を見ると、


「あれ、未来?」

「ちょっと、ねぇ?前を見て歩かないと痛い目みるよ?」

「……すまん」


 そう、私の幼馴染の岩崎未来だった。

 相変わらず笑顔だけど、ところどころ腹黒さが見える……ような。まあ、気にしない気にしない。


「でもよかったぁ!わたし彩葉のこと探してたんだよねぇ〜。聞きたいことあったのにすぐ居なくなるんだもん、探したよ?」

「え、聞きたいこと?何?」

「実は…ね?」


 未来はそう言って、わたしの耳を拝借した。そして小さな声で言ってきたのだ。


「昨日、見ちゃったの」


 昨日、ミチャッタノ。

 ーー思い当たる節が多すぎて、思わず口を塞いで未来を見つめた。


「昨日、彩葉と境町くん早退したよね?そのあとね、帰りの会が始まる前くらいに、見ちゃったの」

「……何を?」

「遥か彼方の空の向こうに……、何かに乗った彩葉を」


 ーーあまりにも普通に言うものだから、へー私が空飛んでたの見てたんだ、へえーとしか思わなかった……けれど。

 違う、違うぞ彩葉。ちゃんと考えろ彩葉。これは結構やばいことだぞ、理解しろ。……と言う私の声が脳内を駆け巡り、事の重大さをやっと理解しだす。


「ひょっふぁっえうあ!?」

「なぁに?思い当たる節あったの?あはは」


 言葉にならない声をあげ、相変わらず変わらない笑顔の未来を凝視した。やばいぞこいつ、私のことを私以上に知ってるなとは思っていたけどそれよりやばい。

 非現実なことのはずなのに、ここからあの公園の空なんて普通なら見えないのに、疑う余地さえ見せないこいつ、私の友人ながらかなりの変人だ。


 ーー隠さなければ、秘密にしなければ。

 誰にも言うなと言われたばかりだ。仮にあんな奴との約束であっても、破るのは駄目だと思う。

 ーー誤魔化さなければ、奇人の未来にバレないように。


「え?私その時間病院に居たんだよ?まっさかぁ、空を飛ぶ余裕なんてなかったんだからね?空なんか最近飛ぶ余裕なくてさぁ、ほら、テストだってもうすぐあるんだしね。だからそれは私ではなく、他の空を飛ぶ誰かなんだよ!理解した?良いですか?」


 自分でも驚いた、こんなにペラペラと嘘が出てくるなんて。だがしかし、これで未来も騙されるに違いない。なんで完璧な嘘なんだろう。


「………ねえ、彩葉わたしのこと舐めてる?」

「うえっ!?なんのことかしら?」


 駄目か!駄目だったか!

 未来に嘘は通用しない、わかっていました。ならばどうすればいいんだ、逃げるが勝ちなのか?逃げるのか?


「ーーーう、」

「…彩葉?話したくないなら別にーー」

「ごめんね!わたしもう帰らないと!ではお先に失礼するでござる!サラバジャ!」


 逃げるが勝ち、これは負けではない勝ちなのだ。

 来た道を全速力で駆けていく。

 途中で未来が何かを言っていたような気もするが、構わない、これでこの場はしのげたはず。


 数メートル走っただけで息が切れてきた。やばいな、本格的に体力なさすぎる。

 ーー明日、どうしよう。



「おい、そこの…お前」


 全速力で駆けていた廊下でたまたまあった料理部部長に今日は部活を休むことを告げ、私はそのまま靴箱に来ていた。

 今日はもう帰ろう。一旦頭を冷やして明日の言い訳を考えよう。そうしよう。

 上靴から外靴に履き替えながらそう考えていた。


「おい、無視すんなよ。…お前だって、高森彩葉」

「……え?」


 背後から声が聞こえていた。どうやら私は無意識で無視をしていたらしい。振り返るとそこに立っていたのは境町冬真だった。


「何か用?」

「用がなかったら話しかけてない」

「手短に話せ」

「…お前、態度悪すぎだろ」

「君には負けるかな。で、用件はなんなの?」


 境町は不本意そうに私を見た後、靴を履いてから話題を切り出す。歩きながら私に話しかけてきた。



「部活のこと、ちょっと聞きたくて」

「部活?何か入るつもりなの?」

「いや、そういうんじゃなくて…」


 どうやら通学路が途中まで同じらしい境町と肩を並べて歩いていた。

 正直、未来のことが気になりすぎて境町の話なんて半分しか聞いていなかったが、自然と同じ道を歩いている。


「なんか凄い沢山の部活に勧誘されて。昨日の飛び降りの件が広まったらしいんだけど」

「へー…、そりゃあ大変ですね」

「俺は部活には入れないけど、ちょっと興味があって。種類を聞きたかったんだ」

「ふーん…、へぇー」


 未来はかなり鋭い。小さい頃から一緒にいて、もう思う存分嘘を見抜かれてきた。なんでそんなに勘がいいのかちょっと理解できない。

 でも、これはあまりよろしくない。

 盲点だった。あんな光景見られたとしても絶対に信じるわけないと思っていた。信じるような電波は居ないと思っていた…。


「で、勧誘されたのはさ、野球、サッカー、バスケ、陸上、柔道、剣道、バドミントン、水泳……なんだけど。どんだけあるんだ?」

「…ふーん…」

「…おい、聞いてないだろ。無視すんな」

「…はっ?ああ、ん?なんの話?」


 はっと気がついてやっと境町の話を聞こうとした。大変ご機嫌斜めの様子。そりゃあまあ、そうか。すまん。


「だからーーーーあ」

「は?何?」

「……やば」


 私が聞いてやろうとした矢先のことだった。境町は何やら遠くの方を見て、徐に自身の左手首を見つめ始めた。

 何事かと私も覗き込んでみると、その手首についていた青色のブレスレットはキラキラと光っていて。どうも太陽の反射でもないらしい。

 一体これがどうしたのか、と聞こうとした。けれど聞く前に、近くから人々の悲鳴が聴こえたのだ。

 一瞬聴こえたかと思えばすぐに消えた叫び声。聴こえたのは少し先の角の向こう。


「…なに、一体何が…」

「行くぞ、こっち!」


 境町は私の問いには答えず、私の腕をとって角の向こうへと走り出した。

 速い、速いぞこいつ。四階から飛び降りるだけあって運動神経は良いらしい。足が速すぎる。

 私はついていくのに精一杯だった。足がもつれ、度々転びそうになりながらも何とかついていった。


「ちょ、ちょっと…!なに、止まってって」

「……これは、やっぱり…」


 止まれというと境町は足を止めた。しかしそれは私の言うことを聞いたのではなく、目的が済んだかららしい。

 いつの間にか、悲鳴が聞こえたその道に立っていた。境町は向こうをただじっと見ている。それにつられて私もその方向を見てみた。


 ーー人が倒れていた、数人だ。

 一点に集まって倒れている。まるで何者かになぎ倒されたかのように。


「ちょ、え!?何が起こったの…?早く助けないと!」

「待て!」


 テンパる私を、境町は右手で制した。こんな場面に出くわしているのにいたって冷静だ。……おかしい、こいつもかなりおかしい。


「これは、事件じゃない。事故でもない」

「じゃあ、何だっていうーー」

「魔法だ」

「…え」

「これは魔法だ。この魔法は…圧力魔法!」


 そこで私は思い出した。

 あのブレスレットは魔法の杖が変化したものだということ、魔法が現れたのか分かるにはブレスレットを見ること。


 ーーその時私は、見た。そして感じた。

 遠くの高いビルの上に、何か黒い影がいるのを。黒い影がこちらをじっと見ていたのを。

 あの日感じた、目の前が黒く染まっていく不安の波に押しつぶされてしまいそうだった。

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