第二話 漂う雰囲気

 一定のリズムを刻む秒針の音が部屋に鳴り響く。仄かな薬品の匂いといかにも保健室という匂いが漂っている。

 そして、この何とも居心地の悪いこの沈黙。どうにかできないものだろうか。

 ああ、どうしてこんなことになってしまったんだろう。泣きっ面に蜂ってやつだ。それとも不幸中の幸いとでも言うべきか?

 何にしたって、中二病のガキと杉谷先生と私が全く話さないこの状況は何とも耐え難い。ガキはどうやら口を開きたくはないらしい。

 ーーしょうがない、と思い口を開いた。


「あの、」


 時は数十分前に巻き戻る。


  ○


 私はこの中二病の少年が落ちるのを食い止めるため手を伸ばしたが、逆に引っ張られ四階から地上に真っ逆さまだったはず。しかし私は今、当事者であるこいつに抱えられていた。

 ふとそのことに気づいてこいつを突き飛ばし、睨み合いながら考えていた。

 ーー私はなぜ生きている?それも無傷で?

 頭を唸らせていると、走ってくる人が私たちに呼びかけた。


「おーい、境町さかいまち高森たかもり!」

彩葉いろは!」


 杉谷すぎたに先生と未来みらいだった。

 杉谷先生は怪我ひとつない私たちを見て心底ホッとした顔を浮かべ、未来は私の無事を確認して未来には珍しく抱きついてきた。


「彩葉!怪我、ないんだよね?どこも痛くない?死んでなんかないよね!?」

「うん、死んでない…。理由はわからないけど…」

「本当に…本当に!下手したら、死んでたんだからね!馬鹿ぁ…!」


 こんなに取り乱す未来なんか本当に久しぶりに見た。声でわかる。彼女は泣いている。


「…ごめん!ありがとう…」


 未来を見てやっと、生きていることに感謝してきた。未来を慰めながら、杉谷先生と例のガキの方を見た。

 杉谷先生は笑顔と真顔の真ん中みたいな顔で、ガキは拗ねているような顔をしていた。

 沢山の教室から目が向けられているのがわかったけどどうしようもなかった。中の先生達が注意したのか、だんだんその目は無くなっていく。


「よかった…。境町も怪我はないか?」

「俺はちょっと足を捻ったくらいで、あとは…こいつに突き飛ばされた以外は」


 そう言ってそいつはまたも私に睨みを利かせてきた。未来との感動の再会が台無しだ。

 本当にこいつ、一発殴るか。

 ーー誰のせいで私が落ちたと思っているのか。確かに私の筋力も問題だけど、だとしても四階から飛び降りるこいつが全て悪い。

 境町冬真さかいまちとうまって言ったっけ。運動が超人並みに出来るのは認めるが中二病だし性格悪いし行動がおかしいし、クソガキじゃねえか。


「というか、私何で生きてるの?あと、その人も」


 まあ、さすがに先生の前で悪口を言うわけにはいかない。

 さっきからずっと理解できなかったことを尋ねた。先生はそいつを立ち上がらせると私の問いに答えた。


「ああ、境町だよ」

「境町?…くん」

「そうだ。何て言ったらいいかな…、こう、高森を抱えて空中でぐるぐる回ることによって気圧を弱くしたって感じだったな。いやあ、本当に凄かった。境町、本当に運動神経いいんだな」


 ……先生が何を言っているのかさっぱりわからない。でもまあ、確かに私はこの変人に助けられたということだろう。お礼は絶対にしないがな。


「岩崎、俺はすぐに行くから席替えしておけって言っておいてくれるか?」

「あ、はい、わかりました!」


 未来は私をチラリと見てふっと柔らかい笑顔で先に教室へと帰って行った。

 先生は「とりあえず保健室で診てもらおう」と言って私たちを連れ歩き出した。



「それにしても境町。よく四階から飛び降りて大きな怪我をしなかったな。それも人を一人抱えて」


 教室から見える裏庭的ところから、保健室へと向かう。杉谷先生はチラチラ私たちがいる後ろを確認しながら前へ進む。

 こいつが「まあ…」と言葉を濁すと、先生は振り返って境町を見た。


「でもな、どんな事情があろうと四階から飛び降りるなんてこと、もう絶対にするな。運動が出来ようと怪我はするんだ。今回はたまたま運が良かっただけで、もしかしたら死んでいたかもしれない。境町は死にたいのか?」


 そう言われてさすがにさっきの行動がダメだったことに気がついたのか、目を逸らしながらも「すみませんでした。…もうしません」と謝ったこいつ。だが、何か言いたそうな顔をする。


「でも、何で俺だけなんですか。この…高森さん?だって落ちたじゃないですか」


 先生が私を怒らないのが嫌だったらしい。どんだけガキなんだ、こいつ。普通に考えればわかる話だろうに。


「そりゃあ、高森は境町を助けようとして落ちたんだからな。でも、高森も次からは絶対に落ちるなよ。自分まで落ちたら元も子もない。まずは自分の安全を確かめろ、な?でも、高森はすごいな。助けようとする行動は心底尊敬するよ」

「…はい、気をつけます!」


 やはり、杉谷先生はいい先生だ。杉谷先生は素直に尊敬できる。

 ざまあみやがれガキめ。助けられたことにお礼は言わないし助けたことへのお礼もいらないがな、人に八つ当たりするその頭だけは取り替えてこい。



 少し歩いて生徒玄関につき、汚れた上靴を脱いでスリッパに履き替えて保健室に入った。保健室には保健の先生である畑瀬はたせ先生はいなかった。それを見かねて杉谷先生は私たちに座れと促した。

 まあ、これから聞かれることも大体想像がつく。ーーどうしよ。

 というか、どうして私は隣りに座る中二病のガキを庇うような真似をしているのか。だって未来たちを危険な目に合わせたやつだ。…まあ、未来は全く気にしてなかったけど。

 何にしても、まずはここを切り抜けなければ。病院送りにはされたくない。


「さて、畑瀬先生が来る前に聞いておくか。境町、なぜ飛び降りた?そんなに嫌なことがあったのか?」


 予想通り。まあ、当たり前の反応だよな。

 境町冬真は…、無言か。嘘もつけないのだろうか。言い訳くらい言えばいいだろう。


「…じゃあ、高森。境町にあの時の奴って言ってたが、何があったんだ?境町が逃げ出したくなるようなことがあったのか?」

「まあ…ええっと…」


 でも、私も似たようなものかな。言い訳が思いつかない。どうすればいいだろう。余計なことを言えば私まで疑われるし。

 ーーああ、そっか。私がこの中二病のことを先生に言わないのは、あのよくわからない魔法とかいうやつのせいだ。…てか、魔法って本当に何のことだよ。妄想?幻覚?


「おいおい、言ってくれなきゃわからないぞ?もし人前でいうのが嫌なら個人で話すし、どうだ?何かないか?」


 すまん、先生。でも、私にはどうすることもできない!どうすることもできないから無言で、この雰囲気は辛い!先生も考え込んでしまうし、どうすればいいのかさっぱりだ。

 畑瀬先生、はよ来てくれ。


  ○


 ということが数分前から続いている。辛すぎてどうしようもないから、とりあえず言い訳をしようと口を開いたのだ。

 ずっと無言だった私が口を開いたからか、境町は驚きと焦りと言った顔で私を見て、先生はホッとしたような顔をした。


「私と境町くんはついこの間偶然会ってですね、でも別に変なことはありませんでしたよ!えーっと…そう、道に迷っていた境町くんに道を教えたんです!どうやらプライドが高い人みたいなので?だから逃げたんじゃないですかねぇ?ね、境町くん?」


 その場の思いつきにしてはいい言い訳だ、彩葉。まあ嘘だけど、こんなものだろう。

 とりあえずこいつのことは嫌いだと思うので悪口も混ぜつつ。呆然としている境町に私の話に合わせろ、と威圧する。

 届いているのかわからないけど、合わせてくれないと私まで困る。境町は私の目を見た後、途端にぎこちない作り笑いになり先生の方を見た。


「おい…境町。本当にそれだけで飛び降りたのか!?」

「……は、はい!そうなんです!僕すごくプライドが高くて!みんなにそんな奴だと思われたくなかったんですよ!」

「それで飛び降りたら本末転倒じゃないか!?」

「いやぁ、頭に血が上って?」

「そ、そうか……」


 うわー。とんでもない期待はずれだった。

 一人称も変わり、きょどり、目を泳がせながらそんなこと言ったって信じてもらえるわけがない。中二病、演技下手すぎだ。


「そうなのか!いやぁよかった!二人の間に何かあったんじゃないかと思ったんだが、大丈夫みたいだな!」

「…は、はい。そうっすね…」


 ーー先生も、そんな見え透いた嘘を信じたらダメだと思うのですが。大丈夫ですか?先生。

 チラッと隣を見ると、私同様愛想笑いを浮かべてる中二病がいた。…まあ、上手くいったらしい。



 それからすぐ、保健の畑瀬先生が入ってきた。畑瀬先生は杉谷先生の話を聞いて「四階って…本当ですか!?」と物凄く驚いていたけれど、とりあえず何事もなかった。

 私は怪我は一つもしていないし、境町も捻ったと言っても歩けていたから大したものではないらしいし。

 畑瀬先生が怪我の手当てをし終え、杉谷先生と何かを話した。杉谷先生はその後私たちに向き合って、まず教室に行ってリュックを取ってくるように言った。


「まず…って、もしかして早退ですか?」

「そうだ。怪我をしていないとはいえ、四階から飛び降りたんだからな。外傷がなくともどこか怪我をしているかもしれないだろ?病院に行って診てもらえ」


 早退…。いつもなら泣いて喜ぶくらいだが、今日だけは喜べなかった。でも学校に残るのはどうやら駄目らしい。


「保護者は家にいるか?」

「俺は家にじいちゃんが…いますが」

「高森は?」

「あー…私は…」


 なんなんだお母さんめ。今日に限って婆ちゃんの家に泊まりに行っているとか、なんとも嫌なタイミングじゃないか。そのおかげで私は病院に行けそうにない。行きたくはないけど。


「…じゃあ、まず教室行くぞー」


 私が口ごもったのを見て話を切り替えてくれた先生。とりあえずこの微妙な空間から抜け出したい。未来にも心配をかけてしまったし、早く皆に会いたい。



 ーーそう思ったのも、つかの間でした。


 扉を開け教室に入った私たちに待っていたのは、心配とか安堵とかじゃなくて。


「おー高森!!さっきのなんだったんだよ!なに、知り合いなわけ?うけるわ」

「境町くん…だっけ?凄くね!?なんなの超人なの?怪我してないし!」

「彩葉ほんとすごいわ、天才。よく生きてたね。すごいすごい、尊敬する」


 もちろん、私のことを本気で心配してくれていた人もいた。未来とか、燈音ともねとか、仁奈になとか。神田かんだだって茶化さずにホッとした顔を浮かべてくれてる。特別仲がいい人はそりゃあ心配してくれてるさ。

 でも、なんなんだこれは。まずは人の心配をしないかお前ら。こういうネタが好きなのは理解できるけど、私に言うな。反応に困るんだ。


「うるさいうるさい、生きて帰っただけありがたく思って詮索するな。未来、ごめん帰るからリュックお願い」

「あ、うん。じゃあ、また明日ね」

「うん、未来はなんだかんだいって良い奴だって身にしみるよ」

「…はは…まあ、こんな事態だから」


 先生は皆に「はいはい、とりあえず二人には帰ってもらうからなー。席に着けー」と言って着席を促す。まだ一年生だからかみんな言うことは聞くらしい。

 境町はずっとそっぽ向いて誰の問いかけにも答えない。クールに無視しているというよりは、答えたくても答えられない、みたいな。そんな雰囲気だ。

 まあ、私には関係のないことだ。


 ーーさっさとここから出なければ。保健室以上に居心地が悪い。



 そうして再び保健室にやってくると、中にはさっきまでは居なかった人がいた。

 見たことのない、60歳くらいのお爺さん。たったの10分で保健室に来たのか。どんな用事があるんだろう。というか、誰だ。

 お爺さんは保健室の扉を開いた私たちを見ると、立ち上がった。


「冬真…。先生から話は聞いたが、一体なにをしているんじゃ。だからあれほど言ったのに…」

「あ…じいちゃん。早くね」

「車で飛ばしてきたんじゃよ」


 お爺さんと話し出し、歩き出した境町を凝視する。

 ……この、いかにも優しそうなお爺さんが、中二病でガキで変人な境町のお爺さんだと!?嘘だろ。

 お爺さんは境町を引っ張り、次に私の元にやってきた。そして、私に向かって深々とおじぎをしてきた。


「本当に…すみませんでした。うちの冬真がほんとうにご迷惑をおかけしたようで…、怪我は無かったですか?」

「え、あ、はい!全然、これっぽっちもないです!多分!」

「そうですか…よかったですが…、お名前をお聞きしても?」

「あ……高森彩葉って言います。高い森に、彩る葉っぱって書きます。えっと…頭上げてください!」


 私がおじぎを止めてもらうように言うと、次は境町の頭を強制的に下げた。抗おうとするガキはお爺さんの表情を見て「…申し訳ありませんでした」と小さく呟いた。

 別に謝ってもらいたかったわけではないけど、これはこれでとても清々する。でもまあ、私も形だけでも謝らなければ。


「いえ、いいんです!まあ、一応助けてもらったわけですし。私も不注意で、すみませんでした」


 こんなことが長々と続きそうになったところで畑瀬先生が話に入ってきた。とりあえず境町を病院に連れて行って欲しいことと、私は下校して欲しいとのこと。

 境町のお爺さんは私のお母さんが帰ってきたら家に謝罪に行くやら、怪我代を払うやらと言ってきたけど、さすがに断りました。だって、お母さんも私が気にしなければ気にしない人だし。私はただこの境町とやらに不信感を持っているだけだし。

 だがそうなると、今度はお爺さんが、


「では私が高森さんも病院に連れて行きましょう。せめてものお詫びです。病院代だけは払わせてください」


 と言ってきて。

 ーー私独断で決めれないけど、まあこれ以上退いてくれないようだし、しょうがないだろう。


「じいちゃん!なんでこいつまで…」

「冬真、わかっているぞ。後から説教じゃ」

「うっ……くそ」


 境町はクズのような発言をしているが、気にしない気にしない。嫌がる気持ちはわかるが、嫌なことをしてやろうという気分でしかない。だって、多分私が知っていることはこいつにとって弱みなのだから。



 …すべて吐かせてやろうじゃねえか。再会してしまったんだ、これが私の使命みたいなもの。

 理由によっては、警察に突き出してやろうーーと思いながら、車に乗り込んでいく私だった。

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