魔法のランゲージ

える

第一話 事の始まり

 私はいつにもなく清々しい気持ちで目を覚ました。なぜだろう、どうして目覚ましなしで目を覚ませたんだろう。

 私は昔から朝に弱くて、特に中学生になってからは目覚ましなしでは起きれない人間になっていた。まだ二ヶ月しか経っていないというのに、中学生活でもう五回は寝坊している。

 だがしかし、幸いなことに家から学校まで長くても10分しかかからないため、私は未だに遅刻したことがなかった。それに加えて生活習慣グダグダのくせに風邪も滅多に引かないため、無遅刻無欠席だったのだ。


 目を擦りながらベッドから出て、目覚ましを見た。徐々に頭がはっきりしてくると、その目の前の二本の針が差す数字と、おそらく数分前と思われる記憶が、現状を恐ろしいほど示していた。

 恐る恐る、もう一度時計を見た。

 見たくない数字が見えてしまった。


『8時50分』


 ーー無遅刻無欠席の称号よ、さようなら。

 どうやら私は寝坊の上に遅刻してしまったようです。



 そんなこんなで慌ててやってきた中学校。

 一年一組。私は自分のクラスのドアを開け教室に入ったのだが、そこには誰もいなかった。時間割を確認してみるとどうやら、一時間目は体育だったらしい。

 内心ホッとしつつ、第二カバンを持って体育館へと向かった。体育だったからといって目立つのは変わらない。早く行かなければ。


 体育館に向かうため、廊下を走る。私の駆ける音しか聴こえない。今日は先生にも一度も会っていないし、いつもは多少騒いでいるクラスがあるのに。やけに静かな日だ。

 体育館の前に着き、少し重たい扉を開いた。その途端、私の横を風がすり抜けた。思わず瞑った目を開いてみると、反対側にある外へと繋がる扉が開いていた。


「まだ寒いってのに…、開けたの先生?」


 独り言を呟きながら開けた扉を閉め、再び体育館の方に目を向けた。その瞬間、考えてもいなかった光景が目に飛び込んできた。

 その光景を見て、私は声にならない声を上げ目を見開いた。何があったのかさっぱりわからない。頭が真っ白になる。

 何も言わず、ただジャージ姿で倒れているみんなに忍び足で近寄る。

 状況が飲み込めないし何が起きたのか理解できないけど、何かがあったことだけはわかった。

 みんなの中に友人の未来みらいを見つけ、駆け寄って揺さぶる。目を覚まさない。しかし、ただ眠っているだけということに気づいた。心地よさそうに寝ていた。


「…寝てる。未来だけじゃない、燈音ともねも、仁奈になも、神田かんだも、杉谷すぎたに先生も…。おかしい!なんで!?起きてよ!」


 思わず大きい声で叫びながら、激しく未来たちを揺さぶってしまう。

 意味がわからない。なぜみんな倒れているのか、どうして誰も起きないのか。私の頭では推論もたてられなくて、ただただ混乱したままだった。


 第二カバンを投げ捨て誰かに助けを呼びに行こうとしたとき、ふとステージの方から物音がした。それも一回だけでない。何かを引きずるような音が何回も、何回も繰り返されていた。

 私が声を出せずにステージをジッと見つめていると、ステージの幕の奥の隅に人影が見えた。


「……誰?そこにいるの?」


 私が声を発すると物音は急に止まり、幕の奥から誰かが出てきた。

 ーー少年だ。若干青っぽい黒髪に水色のパーカーと黒いズボンを着た、中学生くらいの少年。その姿はひどく汚れていて、ところどころ怪我をしているようにも見えた。


 この人が、絶対に何かを知っている。この状況になった理由を知っているに違いない。


 そう思わせるには十分なほど怪しい人物だった。相手が怪我をしていようと関係ない。見かけたことのない人がしかも私服で中学校にいるんだ。関係ない方がおかしいはず。


「君、誰?みんなが何で倒れてるのか知ってるよね?説明してほしいんだけど」


 少年に近寄りながら責めるように質問していく。今の私に人を気遣う余裕はない。

 少年は睨みつける私を見て、同じように私を睨みつけてきた。


「お前こそ誰だよ。何で寝てないの?魔法か?」

「…はぁ?魔法?何ふざけたこと言ってんの。私今真剣に聞いてるんだけど」


 真面目に答えない少年にイラついてきた私は、さらに近づいていく。ステージに上がろうかというとき、少年がステージから下りてきた。


「…こいつらもじきに目を覚ます。だからお前はーー」


 少年は私の額に手をかざした。

 もちろんされるがままなわけがない。手を払いのけてやる……と思ったけど、どうしてだろう、まるで魔法でもかけられたかのように手が動かなかった。ーー魔法?

 この、やけに汚れていてそれでいて顔が整っている少年はさっき「魔法」と言った。どこかの中二病かと思ったが、もしかして本当にこの人は…魔法使い?

 それならば合点が行く。この状況だって、魔法で眠らされたと思えば強引だけど納得できるんだ。

 ーーいやいやいや、私一体何考えてるの。魔法なんてあるわけないじゃないか。馬鹿か。頭がおかしくなっているのか。


 考えすぎてよくわからなくなってきた頭を降り、少年の手を払いのけようとした。

 すると少年は払いのけられる前に手を戻し、


「このこと絶対に他の奴に言うなよ!」


 と言って倒れているみんなを綺麗に交わしながら、なぜか開いていた外に通じる扉から出て行った。私は意味がわからずそれをただ眺めていたが、少年が出て行く寸前で「捕まえなければ」ということを思い出し追いかけた。

 しかし、50m走10秒でおまけに体力のない私には並の人間を捕まえることなど出来るわけもなく。

 外に飛び出したのはよかったけど、もうそこにその少年の姿はなかった。周りを見渡しても、人っ子一人いやしない。


「くそ…何なんだあの人!」


 夏は感じられない春風が私の髪を揺らして髪はボサボサで、上靴は土まみれ。この状況の打開策も結局見つからず。少年の正体もわからずじまい。

 私はただ、惨めに大人しく体育館に戻るしかなかった。


  ○


 それから一週間程過ぎた頃。6月の中旬に差し掛かりつつも、この寒い地域は梅雨はなくそれなりに春の陽気が漂っている。

 次第にあのときのことも話題に上らなくなってきて、私も何だか夢のように思えてきた。

 朝の会が始まる時刻、あのとき居合わせた体育の先生、もとい担任の杉谷先生を私たちは待っていた。


 ーー少年の姿を見失った後、私は体育館に帰った。すると体育館で眠っていたはずの未来たちクラスメイトが目を覚ましていた。もうすでに立ち上がっている人もいれば、まだ上半身しかあげていない人もいたけど。みんなが目を覚ましていたんだ。

 もちろんみんな混乱していて、いち早く切り替えた先生でさえも生徒の質問に答えられないようだった。まあ、当たり前か。

 私は外に通じる扉の前でボーッとしていた。靴が汚れていて入れないし、一番は私も混乱していたからだ。というか、私が一番混乱していたのではないだろうか。

 その後はよくわからない。一人寝ていなかった私に杉谷先生は状況を聞いてきたけど、私から話せることは何もなかった。

 少年のことを話そうとは思った。けど、魔法とか言ったって信じてもらえないのは目に見えているし、証拠もないのに見知らぬ人に罪をなすりつけたと思われれば私が犯人にされるかもしれない。

 そう思ってしまって、「遅刻して、外に誰かを呼びに行こうとしました」と誤魔化した。……先生、すまん。


「…それで、結局その男の子、見つかったの?同い年くらいだったんだよねぇ?」


 近くの席の友人、岩崎未来。生まれた時からの幼馴染である彼女だけには本当のことを話し、相談に乗ってもらっていた。

 でも、いや…どうして未来がこの話を聞いて戸惑わないのかがわからない。未来によると「わたしは彩葉いろはのことなら大体何でもわかるからね〜」ということらしい。

 流石、私の友人です。



 少し経って、先生が教室に入ってきた。何だか雰囲気がそわそわしている気がする。


「おはよう!中途半端な時期だが、転入生を紹介する!」


 私が今まで会ってきた先生の中で一番信頼できる先生。まあ、あのことは言えなかったんだけど。だとしても明るくて話しやすい先生だ。

 ーーで、何て言った?転入生?この時期に?


「どんな人なんだろうね?」

「さあ、どんな人……なんだろうね」


 隣の神田龍太郎かんだりゅうたろうが話しかけてきたけど、私は気が気でなかった。未来が私のことをジッと見ているのがわかる。

 この席からでは廊下にいるだろうその人が見えない。嫌な予感しかよぎらない。

 いや、まさか、同い年かもわからない少年がこの学校のこの学年のこのクラスに入ってくるなんてそんなわけ、ないけど。でも、タイミングがどう考えても合いすぎだ。


「入ってこい、境町さかいまち!」


 先生が呼んで入ってきた少年。いかにも転校するのが嫌そうな暗い顔。その顔をチラッとこっち側に向け、私と目が合う。その瞬間少年は目を見開き、ますます顔を暗くさせ下を向いた。

 ーーやばい、これはやばいぞ。待て待て、どんな漫画展開だ。何であの時の中二病少年が……ここに!?


「ねえ…境町くんってめっちゃかっこよくない?」

「あ?ああ…おう。顔だけは…ね」


 クラスの中でもマセてる女子が私に話しかけてくるけど、それも正直どうでもよかった。

 呆然としてしまう。余計なことに使う記憶力にはそれなりに自信がある。そうだ、紛れもなく中二病の少年だ。あの、魔法とか何とか言ってた奴だ。


「境町…冬真とうまです。九州あたりから…来ました」

「と、いうことで。質問タイムだ!境町に質問はあるか?」


 杉谷先生は中二病少年が顔を暗くさせていることに気付いているのかいないのか、そのまま変わらないテンションで事を進めていく。

 今にも消え入りそうな小さな声で質問に答えていくその人。もう正直、私に冷静な判断は下せなかった。面倒だった。全てを暴露してやろうーーそう思ってしまったみたいだ。

 私はスッと手を挙げた。後ろの方から未来の「彩葉いろは…ちょっと…?」という声が聞こえたが、もう気にしていられない。


高森たかもり、質問か?」

「はい。ちょっと聞きたいことが」


 普段から手は挙げるほうだからみんなも驚いたりしないけど、音を立てて立ち上がると自然と視線が私に向いた。


「境町……くん、君、あの時の奴…ですよね!」


 反応は速かった。私の質問に図星だったからなのか顔を上げ、再び目が会った。私は目つきは悪くないけど威勢はある。かなり睨んでいる気がする。

 少年はやばい、という顔をして右と左を交互に見た。左はドアだが杉谷先生に塞がれている。右の窓は空気の入れ替えのため、開いていた。それを見た少年は躊躇いもせずにその窓に向かって走っていく。

 その行為が何を示すのか理解はできていなかったけど。この間取り逃がした件が頭によぎり、頭より体が先に動いた。少年を追いかけ、途中で意味に気づく。


 ーーこいつ、飛び降りる気?地上四階の、この教室から!


 少年はジャンプで窓に足をかけ、手でバランスを保ちつつ、勢いよくジャンプした。四階から、命綱もなしに飛び降りた。


「ちょ、ここ、四階!」


 思わず私は手を掴む。が、しかし残念なことに筋力も並以下の私に、重力に逆らえる力はなかった。

 私もその少年と同じように窓に放り出され、真っ逆さまに落ちていった。


 ーー未来の叫ぶような声が聴こえた気がした…。ごめんね未来、このクソガキのせいで…。ああ、もうちょっと筋力つけておけば良かったなぁ。飛び降りる人って確か、途中で意識失うんだっけ?ああ、流れる景色がとてもゆっくりに見えるよ。


「…くそ、何でお前まで落ちてくるんだよ!」


 耳元で中二病野郎の声が聴こえた。

 うるさい、全てお前のせいだろ中二病クソガキが。せめてお前を下敷きにして死んでやりたい。あ、声でない。

 ーーと考えながら意識を手放してゆく。その瞬間、私の身体は誰かに抱えられ何だかぐるぐると回っているような気がした。ふと目を開くと、何かが地面に着く音がした。

 あれ、私死んでない?どこも痛くない?何だか温かい…。


「彩葉!!」


 その大きな声でぼんやりしていた視界がハッキリした。未来だ、未来の声が上から聴こえた。

 上を見る。遥か高くの教室に沢山の人達が身を乗り出していた。その騒ぎを嗅ぎつけたのか、他の教室の人影もザワザワと動いていた。窓を開ける予感がした。


 そして、やっと自分の身に起きたことを思い出した。私は境町という少年に抱えられ、怪我一つせず地面に降り立っていた。

 ちょっと待て、よくわからない。意味がわからない。なぜ私は死んでいないのか、誰か説明してほしい。でもその前に……!


「おい離せ中二病!」

「はぁ!?ちょ、おい」


 私を抱えていた少年を突き飛ばし、地面に座り込んだ。少年は私を睨んでくる。負けじと私も睨み返した。




 何が起きたのか、どうしてこうなったのか。その時の私には何も理解出来ていなかった。

 けれど、それは確かに始まっていたのだ。


 ーー私の人生に大きく関わる私の物語が、そのとき始まった。

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