第32話 アイツと僕のこれから

「おはよーっと」


 誰に聞かせるでもなく返事を期待しているワケでもなく、挨拶をしながら教室の開きっ放しの扉を洋介は通過した。何人かのクラスメイトは反応し、それらに手をあげて返事をする。

 そのまま自分の席へ向かい洋介は隣の席を見た。

 鞄は無い。隣人である蒼井優香は来ていないようだった。


 「………………」


 あの後、洋介は泣き止んだ優香を家まで送り届けた。その間は無言で、たまに横に視線をやると俯いた優香が目視できた。

 本来なら何か言葉をかけるべきなのだろう。だが、優香へ掛ける言葉はもう全てはき出しきっており、洋介にこれ以上用意されたモノは何も無かった。ただ隣を歩くだけが精々でそれ以上の事は思いつけない。優香から話でもされれば別なのだが、それが行われる様子はなかった。事実、家に辿り着くまで全く話しかけられなかった。


 さよならもありがとうも何も無い。優香は無言で家の中へと入って行き、閉まった玄関をずっと眺めているのも変なので洋介はすぐに自宅へ帰った。

 その後、洋介は絵里子に電話し優香の無事を伝えた。絵里子は心底安心したようで、電話を切るまでずっと洋介への礼を繰り返していた。

 ちなみにカンタ二号はしっかりと持ち帰っている。ボロボロのフレームを気にしなければチェーンを変えるだけで普通に乗れそうだ。これからも愛用しようと洋介は思っている。


 「来る……よな? こう思うのも何だけど……」


 事態は一件落着したはず。優香の無事を伝えた後、おそらくだが絵里子は蒼井家へ突撃し、こっぴどく優香を叱ったか泣き喚いたかのどちらかを行っただろう。自殺しようとしていた事は隠さず言っているので、その心配を優香へ容赦無くぶつけたはずだ。休日中もずっと一緒にいて、泊まり込みまでしたかもしれない。


 「…………むぅ」


 この土日、洋介に優香に関する電話は一切かかってきていない。それは優香の無事を充分に暗示し心配の無い事を示している。つまり、この件は一件落着したのだ。

 なのに何処か落ち着かない。

 隣に座るクラスメイトの事が気になって頭から離れない。

 昨日までは安堵していた自分がいたのに、教室にやって来たと同時に不安でいっぱいになってしまった。

 これは優香の顔をもう一度見なければ安心できないというのもあっただろう。

 だが、今の洋介にとってソレは些細な事だ。

 心配はもっと別な事、あの時“やってしまった事”が気にかかり落ち着かなくなっているのだ。


 「そうだよな。いくら何でも……やっぱやりすぎだよなぁ……」


 あの時優香へ言った言葉、アレは結構早まった内容ではなかっただろうか。

 優香の自殺を止めるためとはいえ、思い返すと恥ずかしさで顔が赤くなってくる。「オレを生きる理由にしてやる」など、かなりキザ過ぎだ。もっとうまい言葉はあったはずで、口べたな己に段々と死にたくなってくる。

 それに告白ともとられかねない言葉で、そこもまた洋介を悩ませていた。もし深くツッコミが来たらどう答えるべきなのだろう。正直に好きですと答えればいいのだろうか。


 しかし、優香はつい先日に好きな男子が死んでおり、しかもその死んだ当日に洋介から無理矢理キス(最後二秒はディープキス)をされている。

 告白と取られた場合、とても良い返事など期待できずメリットは何処にも存在しない。好きな男子が死んだのを幸いに近寄ってきたクソ転校生という認識にされる事必至だ。嫌われる事はあっても好かれるとは全く思えない。


 「そうキス……キス……やっちまったんだなぁ……」


 頭を抱え、そのまま机に突っ伏す。

 良かれと思って、それしかないと思って、そうする事しかできないと思ってとはいえ、

洋介に後悔が積み上げられていく。

 優香が死ななくてよかったという気持ちはあるが、それとこれは別だ。優香も冷静に思い返した時、自分とは違い憤怒にかられる可能性が充分ある。

 あのキスにはそのぐらい罪があるはずだと洋介は思っていた。

 だっていきなりだったし。舌まで入れたし。


 「ぬううう……」


 身体がガタガタと震えてくる。このまま頭を抱えたまま顔を伏せておこうという思考が沸いてくる。そうだ、少し心の準備をしなければ。このままでは隣に優香が来た時、思い切り取り乱す可能性が高い。この態勢で心を落ち着かせ、優香がやって来た時普通に話せるようにしておくのだ。今のままではまともに顔を見る事もできそうにない。


 「ねぇ」


 だが、顔を見れたとしても話す事はできるだろうか。一昨日の事を意識せず、自然に言葉を紡ぐ事はできるだろうか。挨拶くらいは何とかできるかもしれないが、それ以上は結構キツイかもしれない。


 「ねぇって」


 ならばどうするか。おお、そうだ。見てしまうから意識してしまうのだ。ジッと目を閉じたままであれば優香を認識する事はない。完全に意識しない事は無理だろうが、軽減する事は可能だろう。


 「ねぇってば!」


 という事は優香に声をかけられた場合、目を瞑ったまま起き上がりそのまま目を開けずに会話すれば大丈夫だ。難を言えば授業中そのままでいるのかという事だが。


 「おいコラぁッ!」

 「ん……?」


 と顔を上げる前に、ドガッと優香の繰り出した勢いのあるチョップが洋介の脳天で炸裂した。

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