第29話 アイツを止める

「もう死ねるなんて思ってなかったのにな……」


 春風の完全な死は再び優香に自殺の決意をさせていた。生存本能を麻痺させ、死ぬ事に何の恐怖も抱かせない。今ならマグマの中にでも針の谷でも飛べる気さえしている。

 未練は無い――――と言えば嘘になるが、それ以上に春風が亡くなってしまった事の方が大きかった。春風が死んだと思う度に他の事がどうでもよくなり、何の感情もわかなくなってくるのだ。


 「…………」


 優香は無言で走り出した。

 ほんの数日前の焼き増しだが偶然は二度も続かない。邪魔の入る事のない確信と共に優香は崖の先へと疾走した。

 のだが。


 「ええええいッ! またかよッ!」

 「え? きゃああッ!」


 偶然は二度続いた。

 ギリギリ優香の元へ辿り着いた洋介は、以前と同じくカンタ二号から飛び出して優香にそのまま抱きつき一緒に転がった。

 前の自殺未遂と完全な焼き増しに思えたが、一つだけ違う所があった。

 カンタ二号は海に沈まず崖より少し手前に滑り倒れ、この場で二人を見るただ一つの見物人としてカラカラとタイヤの回る音を響かせていた。


 「…………ねぇ、いつまでしがみ付くつもり?」

 「また崖に走られちゃかなわんからな。しばらくこのままだ」


 転がり回りやがて洋介が下で優香が上の態勢で停止したが、一向に二人が離れる気配はなかった。洋介が優香を抱きしめたまま離さないのである。間近にいる優香から鼻をくすぐるような良い香りが漂い、思わず洋介の表情が緩みそうになるが優香を抱きしめる力に緩む様子はなかった。


 「離して……痛いわ」

 「なんか性格変わってるな。みんなの言う蒼井優香みたいだ」


 今の優香は洋介が普段知っている蒼井優香ではなかった。


 「…………いいから離して。だいたいなんでこんな所にいるの? さっさと家に帰りなさいよ……」

 「また自殺するかもしれない誰かさんを放って帰れるワケないだろ。自殺する気がなくなるまでこのままだ」

 「変態ね……ずっと抱きついたままなんて」

 「そうだな。だから早いとこ一緒に帰ろうぜ。竹下も待ってるから」

 「………………」

 「あとは…………ええと」

 「………………」

 「あとはその…………そのだな……」

 「探さなくて結構よ…………友達なんて絵里子しか…………いないんだから」


 洋介と優香、互いの顔は見えない。抱きついてはいるが両者の顔は肩越しになっており表情を確認する事はできなかった。

 だが心臓は密着しているため、冷静を装っているが洋介は自分の心臓の音が優香にバレていないか心配だった。今の洋介の鼓動は百メートル走を全力疾走した後に等しいのだ。優香への好意がバレないか途轍もなく心配だった。

 対する優香の鼓動はわからない。柔らかい胸の感触にどうしても気を奪われてしまい確認する事ができなかった。それに自殺を止めなければという使命もあるため、すぐに洋介は思考を切り替えた。


 「そうよ……もう私の側に三嶋君はいない……いないの……」


 静かな口調だったが、瞬時にその身へ力が籠もるのを洋介は見逃さなかった。懸命に離れようとする優香をがっしりと抱きついて離さない。


 「いないの……いないの……もう……いないの……」


 思ったよりも離れようとする力は強かった。だが、所詮は女子であり男子である洋介の力に抗う事はできない。腕に力を込めれば難なく優香を抱きしめたままにできる。


 「もう…………………………三嶋君はいないのよッ!」


 だが、突如感情が爆発したような大声を耳元で叫ばれ、洋介の力が緩んでしまい腕が解放されてしまった。その瞬間、優香は洋介から離れそのまま崖へ向かって駆け出した。

 優香の走りに迷いは無い。このまま見逃せば崖から身を投げる事は必至だった。


 「く……待てよッ!」


 行かせるわけにはいかないと、すぐさま洋介は優香の腕を掴んだ。優香は振りほどこうとするが、当然それを許す洋介ではない。


 「離してよ……お願い……私を死なせてよ……」


 その時、優香の顔を洋介は正面から見た。さっきまでは後ろから覆い被さり、そのまま抱きついたので顔を見ていなかったのだ。


 「死なせてよ…………もう……いいのよ……」


 三嶋春風とは蒼井優香にとってどれだけの人物だったのか。

 洋介はそれを実感する事は絶対にできないと理解していたが、それはやはりあくまで知識の範囲だったと思い知らされる。


 「その手を離して…………離して……離して……」


 優香の目が死んでいた。光など受けた事の無いような絶望を湛えて洋介を見ていた。

 絵里子と同じくそこに涙はなかったが“無”とも言えるその瞳は絵里子の時とは全く違う。

 もう前を見る事はできず先を願う事ができない。ただ後ろしか見えない孤独を湛え、他人の理解を受け付けない。自己喪失と崩壊感をいっぱいに漂わせ、優香は目の前の洋介をゾッとさせた。


 「離して…………離して……離して…離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して離して」

 「ぐッ!? ごっ!? がっ!」


 あくまで口調は静かだった。だが、身体の方はそうでなかった。

 振りほどけないと理解するや、優香は洋介の腹部や膝や脛を蹴り出したのだ。


 本気で蹴り飛ばしてくるので相当に痛い。思わず手が緩みそうになるが、そうはいかない。顔を歪め膝を屈しかけても、手だけは込めた力を緩めなかった。

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