第19話 アイツが慰める

「お客サン、オ客さん。帰らないト、親御サン心配するデ?」

 「………………」


 時間は午後八時を回ったが、まだ洋介は家に帰っていなかった。

 普段ならとっくに帰っている時間だが、洋介はそんな気分になれなかった。親にメールで「帰りは遅くなります」と一通送っただけ。何度か電話が鳴ったが取っていない。かなりの確率で帰れば大目玉間違い無しである。


 「もーウ、ツレない反応だナー」


 ドラドは洋介に声をかけつつも懸命に洗い物をしている。少し前まで席が埋まる程盛況だったので、その後片付けをしているのだった。

 駅前の飲食店であるのにこの店の客入りはかなりおかしいようで、なぜか夜八時を過ぎた今の時間全く客がやって来ていない。店にいる客は洋介だけで他の席は静まりかえり、ドラドの食器を洗う音だけが響いている。


 「いいじゃないすか……閉店までならいてもいいでしょ……客いないし……」


 カウンターに突っ伏し、やたら覇気の無い声で洋介は呟く。


 「はぁ…………」


 あの場から去って行った時、なぜか家に帰りたくないと思った。家に帰ってしまうと強制的に日常に戻され、なんだか変な孤独を感じる気がしたのだ。

 人がそばにいるのに何処かドロドロした闇の中一人でいるような感覚。

 気持ちの悪い浮遊感が中にありそれをどうにも拭えない。

 そう思うと洋介はなぜかドラドの店へやって来ていた。

 まあ、つまり失恋のショックが洋介を感傷に溺れさせているのだった。


 「ここまでショックか……一目惚れして失恋してまで光速だったけど……そういうの関係ないんだな……」


 優香と春風の関係は聞いての通りで見ての通りだ。まだ聞いていないがそれは絵里子も知る所のはず。


 「ため息しか……でねぇな……」


 つい昨日会ったナンパ野郎が優香を口説いたワケではない。

 二人にはそれだけの思い出があり、その中には恋愛感情に発展するまでの流れがある。それは深谷祐介という九重町に来たばかりの人間では得る事ができない絶対的なモノだ。

 入り込む隙間などあるわけがない。優香がこちらに興味を持つ事などあり得ないのだった。


 「いやはや…………解っていたとはいえ随分とバカな事したなぁ……」


 春風が好意を抱いていると優香に言う事で本人の気持ちを知ろうとしたが、見事に洋介は自爆してしまった。

 しかし、この行動を止める事はできなかっただろう。優香の事が気になってその日別れた場所まで行ってしまうくらいなのだ。言わなければ言わないで、濃い霧のかかった精神のまま眠れぬ夜を過ごしていたに違い無い。


 「………ん?」


 突っ伏した顔の横に何か置かれた音がした。

 コーヒーだった。どうやら、落ち込んでいる洋介にドラドが同情の意味を込めてサービスしてくれたらしい。


 「これグラいさせテヨ。フラれた男には安い同情デも何かしてヤリたくなるモンさ」

 「……なんでオレがフラれたと思うので?」

 「ワタシぐらいになると、そんグラい見りゃわかるモンなのヨ」


 ズズズと洋介がコーヒーを啜りながら言うと、ドラドは何か感動的な試合でも見たかのようにウンウンと首を振った。


 「ちょっと聞きたいんだけど蒼井……いや、以前オレと一緒に来た女の子って何度かここに来た事あるんだよね?」

 「アルルンバヨー。春風と一緒にネー。すっごいカラだカチンコチンにして、凄いオドオドした口調デなー。洋介と一緒に来たオナノコがあの子と一緒だナンテ信じられなカタよー」

 「やっぱ来た事あるのか……」


 というか来て当たり前だろう。優香と春風は仲が良いのだから、一人より二人で来る時の方が多かったに違いない。絵里子も含めた三人でやって来た事も多かっただろう。

 仲良さげにドラドの店で食事する二人の姿が思い起こされる。

 だが、それ以上に。


 (そうなんだよな……蒼井っておとなしい女子なんだよな……人前じゃ縮こまって何も言えないような……そんな絵に描いたような内気な女子………………らしいんだけど)


 この事が気になった。

 絵里子は優香が自分以外の生徒と喋るのは天変地異クラスだと言った。ドラドもオドオドした子と言っているし、何より優香本人もそう言っている。

 そう、蒼井優香とは静かでおとなしい女子。

 なのに、自分は“そんな女の子なワケが無い優香”を知っている。

 みんなはあの優香を知らないのだろうか。


 (あんま気にしなかったけど……気にすると、凄い違和感に思えてきた)


 洋介の知る優香とはいきなり蹴りを放ってくるような強気の女の子だ。スプーンを口に突っ込んだ時は流星チョップで怒りを爆発させ、次の日にはその事を懸命に謝ってくる。大丈夫だと洋介が言うと、胸に手を当て本当によかったと許してくれた事に安堵し、町案内を再び強制させる。


 だいたい、始めて会った自殺現場でもそうだった。ひとしきり泣いた後、名も知らぬ洋介に楽しい事探しを強要してきたのだ。そして、こちらの意見も聞かずに勝手に走り去って洋介を呆れさせた。


 とても気弱な女子がする行動とは思えない。みんな騙されているんじゃないかという感覚すらある。

 だが、それが演技と考えるのは難しい。そんな事をする意味がなさ過ぎる。

 しかしそうなると。


 (なんでオレの知る蒼井は……別人なんだろう)


 短い間だが、この洋介が体験した濃い数日の中に“本当の蒼井優香”というのは屋上で弁当を食べたあの時だけ。

 その事が少し気になった。

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