第2話 アイツに泣かれる

 「アダッ!?」

 「何してくれんの! 何してくれんの! 何してくれてんの!」


 起き上がった瞬間、女の子は洋介に攻撃を開始した。

 脳に揺れるような振動が響いた後、女の子はポカポカと洋介を叩き始めたのだ。どうって事ない非力な攻撃だったが、地面を転げ回りカンタ二号を失い肉体的にも精神的にもダメージが残っている身体にはそこそこ堪えた。

 反撃したい衝動に駆られるが女の子相手ではそうもいかない。


 「イタッ! イテッ! ちょ、ちょっとやめろ!」

 「勇気だしたのに! すんごい勇気だしたのに! めちゃくちゃ覚悟決めてたのに! なんで邪魔なんかしたのよ! どうして邪魔なんかしたのよ!」


 ポカポカポカポカポカ。

 何度も何度も叩かれる。そして、たまにフェイントのごとくチョップを決められる。叩くのは非力なくせに、チョップはやたら痛かった。


 「が、崖に向かって走って行くようなヤツを止めないわけないだろ!」

 「止めなくていいわよ! 死ぬも生きるも私の勝手でしょ!」

 「やっぱ自殺しようとしてたのかッ!」


 やはりそうだった。ふぅ、とため息がでそうになる。カンタ二号を犠牲にしてでも止めてよかったと洋介は安堵した。

 もし、自殺なわけがないと決めつけこの場を去ったなら、この子は崖からダイブしていたのだ。そして、明日辺りに自殺が起こったと町内に出回り、洋介は忘れる事のできぬ罪悪感を背負って日々を過ごしていただろう。

 死のうとした人間を見逃していたなど後味が悪すぎる。それが、救えたであろう命なら尚更だった。


 「なんで! なんで! なんでッ! なんでッ………!」


 女の子の手からはだんだんと叩く力が緩んでいきやがて止まった。だらしなく下げられた腕は本当に力がなくなったように見え、魂がそこだけ抜きとられたように見える。

 それとは反対に表情はきつく洋介を睨み付けていたが、やがてその表情は弛緩していった。


 「う……う……うぅ……」

 「え? え? こ、これはまさか……」


 なんかマズい。おそらく自分が遭遇した事がない、できれば遭遇したくない事態に直面しようとしている。

 洋介はツーッと一筋の汗を頬に流して、その事態が起こるのを待つしかなかった。

 そして思った通り。


 「ウワァァァァン! ウワァァァァン! ウワァァァァァン!」


 女の子は泣き始めた。

 流れる涙も拭かずに空を見上げて、周囲に響き渡るような大声を上げ、見ず知らずの男がいる前で泣き始めた。


 「ウワァァァァァァン! ワアアアアアアアン! ウワァァァァン!」

 「えっと……その、えっと! えっと! えっと!」


 あたふたと手を動かし、首を動かし、身体をくねらせ洋介は慌てふためいた。

 洋介に本気で泣く女の子を宥める経験など蓄積されていない。どうにかせねばならぬと心と脳が急かし始めるが、そんな方法など洋介は知らない。気の利いた言葉も思いつかない。


 「うううう……うっ……うう……うっ」


 そうこう迷っているうちに女の子は泣き止みつつあった。思ったよりも早い。次第に鳴き声が小さくなっていく。

 だが、張り詰めた空気は全く晴れておらず、洋介は固まりかけている空気のセメントの中から抜け出せないでいた。


 「ぬううううう……」


 どうにかしてこの空気を変えなければならない。でなければ、自分はずっとここで目の前にいる女の子を見続け、そのまま固まって動けなくなるだろう。なんかそんな気がする。

 一刻も早くこの空気から抜け出したい。この空気セメントを払いのけたい。しかし、それには何か彼女に言わねばならない。

 だが何を?

 一体何を言えばこの気まずさを壊し、自然にここから立ち去れるのだろうか。


 「えーと……その、なんで自殺なんかしようと……したのかな?」


 洋介はとりあえずそう聞いてみた。


 「……なんでって……なんでって」


 スンスンと涙を啜りながら、時に鼻水を啜る音も立てながら、惨めに見える顔を洋介に向けて女の子は言った。


 「もうこの世にで……生きる意味が…………無いからよ……」


 まるで絶望を見てきたような顔だった。

 ひとしきり泣いた後にやってきたのは、大きな虚無感と孤独感だったのだろう。死んだ目と崩れた顔から見えるのは、この世に生を見いだせないと嘆く哀れな人間の憔悴だった。


 「もう早起きする意味ない……弁当食べる意味ない……放課後の意味ない……休日の意味ない……一緒にいられない……………………なら生きる意味ない…………」

 「は、はぁ……?」


 自殺すると決めた事に関する理由が伺える言葉だが、その内容は意味不明だった。気の抜けたような返事をする事しかできず、再び沈黙が二人を覆う。


 「…………ぬぐぐ」


 ヘタに自殺の理由を聞いたせいで、なおさら空気のセメントが固まり出した。

 固まる速度が速い。すでに首から上と腕以外が全く動かず、このままでは一分としないうちに深谷洋介という人間は石像と化してしまうだろう。

 何か……何か……何か言わなければ。

 頑張れ深谷洋介。ここは是が非でも己が頑張らねばならない。


 「た、楽しい事なんか他にもあるって!」


 そう思った矢先に飛び出したのはそんな言葉だった。


 「この世は楽しい事に満ちあふれているんだからさ!」


 別に洋介はこんな事思ってなどいない。口から出てきた、ただの出任せだ。


 「楽しい事はその辺に転がってるもんなんだよ! 気がつかないだけで!」


 ただ焦るばかりで、別に何の意味もなく思惑もなく、ただ頭に浮かんだのを言っただけだったが。


 「だから元気出そうぜ! 明るく清く生きられるこれからを見つけていこう!」


 これらの言葉は、後に大きく洋介の運命を決定づけた言葉となる。

 そして、この目の前の女の子の運命も。


 「………………」

 「………………」


 何度目かわからない沈黙が流れたが、今度の沈黙は少し違った。

 女の子が洋介を見上げてジッと見つめているのである。当然焦がれているとか、羨んでいるとか、そんな視線ではない。

 何か、目の前に現れたサンタクロースは本当にサンタクロースなのだろうかと、驚きと不振が混ざったような目で女の子は洋介を見ていた。


 「…………楽しい事……あるの?」

 「へ?」

 「本当に楽しい事…………あるの?」

 「…………えーと」


 自分で言った言葉ではあるが洋介は返答に迷った。さっき言ったのはただの出任せなのだ。そこから続く言葉など用意されていない。

 しかし、ここで黙るわけにはいかない。この女の子はついさっき自殺をしようとしていたのだ。ヘタに黙ればまた自殺をしようとするかもしれない。

 まあ、それはヘタに喋っても起こる事なのだが。


 「あ、あるよ! この世は楽しい事で満ちあふれているさッ!」

 否定などできるわけないので、洋介はヘタに喋る事を選択した。

 「ホントに本当?」

 「ホントホント!」

 「絶対に間違いなく決定的に完璧に?」

 「絶対に無敵に可憐に余裕で完璧間違いなく!」

 「嘘偽りなく言質正確神に誓って?」

 「真実当たり前魂かけてもいいくらい!」


 洋介には肯定しか許されていない。内心どうしようと焦りながらも、何を言ってるんだと自身に訴えながらも、洋介は答え続けた。


 「う……」


 泣きはらした顔のまま女の子がズイッと洋介に近づいて来た。

 思わず顔が赤くなる。同年代の女の子の顔が、ほんの数センチでくっついてしまう距離にいるのだ。顔を赤くしない方がおかしい。

 それに女の子の顔は綺麗だった。泣きはらしていなければ、もっとその顔は美しかった事だろう。

 ついでに鼻水も垂れていなければ。


 「…………ハッ!?」


 どうやら気がついたらしい。スカートのポケットからティッシュを取り出すと慌てて鼻を拭いて、涙の後もしっかり拭うとティッシュをポケットにしまった。

 その後、女の子は何か納得したように頷き立ち上がる。


 「……………………」

 「な、何か……?」


 女の子は無言で洋介の全身をなめ回すように何度も視線を動かす。ツンと目をつり上げ、腕を組んで洋介を見下ろす姿は威圧的な印象があった。

 さっきとは打って変わって、信じられないくらい女の子の態度が毅然としたものになっている。


 「じゃあ約束したからね。絶対に絶対、私に楽しい事があるって納得させて」


 ついさっきまであった絶望感など全く感じさせない。手品か何かで双子の妹だか姉だかに入れ替わったのではないかと疑いたいくらいだった。


 「絶対に! 絶対だからね!」


 そう言ってクルリと後ろへ振り返ると、全力疾走で女の子は去って言った。腰まで届く長い黒髪が再び風を切り空に浮く。


 「お、おい! ちょっと…………」


 洋介が何か意見する暇もなく、女の子はあっという間に姿を消してしまった。

 二秒と経たずに姿を消すなど自転車などより遙かに速い。さっきの疾走は全力でなかったというのか。


 「…………絶対って言われてもだな」


 女の子の過ぎ去った方角を見てボソリと呟く。


 「オレは…………お前の名前すら知らないぞ……」


 性別しか判明してない正体不明者(アンノウンヒューマン)は何も告げず行ってしまった。付近に何か連絡手段でも書いてあるメモでもあるのかと探すも、そんなものあるわけがなく洋介はその場で立ちすくむ。

 携帯番号は? 家電番号は? 住所は? 年齢は? 学校は? 自分にあんな事言った原因は? 何のために? ホントに楽しい事を探すために?


 「………………」


 何もわからない。本当に何もわからない。

 あの女の子は一体何者だったのか。

 というか、次に出会える時はあるのか。


 「…………何で自殺しようとしてたんだろ」


 その時、携帯が鳴った。相手は洋介の父親で、中々帰って来ない事にお冠の電話だった。

 そして帰った後、買った自転車を早々に無くした事により、洋介の移動手段は徒歩以外になくなるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る