第21話 南への街道

 サンジドーロに生き残っていた者は全部で40人程、魔物が襲いかかってきた時に逃げ遅れた者達らしい。女と子供が20人、老人が10人、男が10人という感じだ。その中で戦えそうな男は5人しかいない。


 その中にファルコという者はいなかった。ファルコを知る者も。


 そんな者たちが1ヶ月近く生き残れたのは他でもない、アンジェリカの姉である修道院の院長のお陰だ。彼女は商会の中にある井戸から汲み上げた水に祝福を与えて聖水とし、それを柵に振り掛ける事で魔物が柵を越えようとするのを防いでいた。


 俺たちが到着した昨日、その聖水対策として巨大な猪が現れた。これでは柵が保たないと院長の指示で商会の奥に避難していたらしい。そんな中、外の気配がおかしいので男たちが確認に出る。その男達が中々戻ってこなかったので院長も表に出て来てロンダの勇姿を見たのだという。


 聖水って本当にあるのか。


 俺は聖水をロンダにかけてみた。


 「何をするピヨール?」


 「いや、肩が汚れていたんだ」


 「そうか」


 聖水をかけても苦しまないのでロンダは魔物にはなっていない様だ。しばらくまともな食事をしていなかった生き残った者たちは俺たちが与えた肉を我先にと食らいついた。


 「落ち着いて……慌て……ない……で」


 院長も大猪の肉が気に入った様だ。


 「美味しいです……美味しいです」


 アンジェリカがいつもの様に美味い美味いと言いながら食べている。魔物の肉を食った事が無い者は結構いた様で子供だけでなく老人たちもその味に驚いていた。


 「で、魔物は何処から来たんだ?」


 ロンダが生き残った者たちに聞く。


 「分かりません。気付いた時には町が襲われていたので」


 院長の答えに周りの者も首を縦にふる。


 「眠ったまま目覚めない者はいるか?」


 アンが尋ねると柵の内側にいた男が口を開いた。


 「俺がそうだった。だが、院長様の聖水のお陰で目覚めることが出来た」


 男はそう言うと手を合わせた。


 「ここに来る前の村で起きない者たちがいる。その者たちにも聖水を頼む」


 アンがそう言うと、アンジェリカが補足した。


 「ブカリ村の方達です。大きなトカゲに飲み込まれていました」


 「そうだ! トカゲだ! あいつら俺の家族を飲み込んで何処かに行きやがったんだ!」


 聖水で目覚めたと言う男が急に立ち上がる。


 「トカゲは何処に行った?」


 俺が聞くと、男は悔しそうに歯を食い縛る。


 「分からん」


 「そうか」


 俺は立ち上がりロンダとアンに目で合図した。


 「俺たちは先を急ぐ。途中でトカゲを見つけたら連れ去られた者達を解放してやる。二モスの水が聖水なのは間違いないな?」


 「はい!」


 アンジェリカが答えた。


 「今の内に王都か、兵のいる町に避難するんだ」


 アンが院長達に声をかけ立ち上がる。それに続くようにピヨールを肩の上に乗せて立ち上がると、ロンダは既に歩き出していた。慌ててアンがその後を追う。


 「さらばだ」


 「ワン!」


 俺は院長とアンジェリカ、そして生き残った者達にそう言ってロンダとアンに続いた。ピヨールも挨拶する。町を出た俺達は南へと向かった。


 ロンダとアンの後を追って俺とピヨールはサンジドーロを後にした。偽王アソフォンと一緒に居た男の故郷に行くと言う当初の目的の為にミノア王国の港町タリフに向う。


 サンジドーロを出て直ぐ、前を行くアンがちらちらと町を振り返る。


 「どうした?」


 町を見ると同時に俺の顔も見て来るので声をかけた。


 「また魔物が現れたら町の人々は助かるでしょうか?」


 アンが言いにくそうに呟く。


 「気にするな」


 アンの横で小猿鬼の燻製らしき肉を咥えながらロンダが言う。


 その通りだ。俺たちには旅の目的があり、サンジドーロには立ち寄っただけ。長居は無用だ。王都の隣町のニザで会った男を救う事が出来ず、ブカリ村の男たちが目覚めるのを見ず、ファルコと言う父親の消息が不明だとしてもだ。


 一つ一つの村や町を完全に救いながら旅を続ける事は出来ない。例えそれが勇者であってもだ。


 「町の者たちではどうしようも無かった魔物を倒した。後の事は町の者たちで何とかすればいい」


 俺がアンにそう告げるとアンは黙って頷いた。頷きはしたが、心残りは消えていないという顔で前に向き直る。サンジドーロから南に延びているこの道は馬車が余裕ですれ違える大きな道だ。アンの話ではミノア王国が直接管理している街道で港町タリフにも通じているらしい。


 だが歩いて行けるような距離では無いので次の町か村で馬車を手に入れる事にした。


 俺が喋ったのを最後に俺たちは無言のまま歩き続けた。ほぼ真っ直ぐ南に延びるこの街道をサンジドーロの町が見えなくなるくらい進んだ時、肩の上のピヨールが大きく吠えた。


 「ワン!」


 と同時に背後から何かが近づいて来る気配を感じる。


 「何かが来るぞ」


 俺は街道を飛び出し横の茂みに身を隠す。ロンダとアンもそれに続く。


 背後からやって来ているのは馬車のようだ。急いでいるのか普通では無い速度で向かって来る。茂みの中でその様子を見ていると荷馬車を一頭の馬が引いているが御者台には誰もおらず、逆に荷馬車の荷台に人影の様なものがあった。


 どういう事だ?


 俺は茂みの中から顔を出して馬車を確認した。


 「ワン!」


 ピヨールが迫り来る馬車に向かって大きく吠える。その声を聞いて荷台の上で何者かが起き上がった。


 「ゆうしゃさあぁまあああぁぁぁ!」


 アンジェリカだった。


 アンジェリカを荷台に乗せた馬車は俺たちの間を走り抜けて行く。アンジェリカの泣き顔が馬車の速度に合わせて小さくなっていくのを俺とアン、そしてロンダの3人は黙って見つめていた。


 「ワオーン!!」


 ピヨールが大きく吠え、俺の肩から飛び降りて荷馬車を追って駆け出した。仕方ない。ピヨールが行くなら行かねばならん。俺も荷馬車を追って走った。


 ピヨールが元気良く街道をかけて行く。前を走る荷馬車を追うのが楽しいのか興奮している様で徐々に光り出す。光が強くなるのに合わせてピヨールの尻尾の振りが激しくなり速度も上がっていく。


 ピヨール頼むぞ。


 「ワン!」


 俺の心の声に応える様にピヨールが吠えた。小川に沿って曲がっているせいで街道の先は見えないが、ピヨールが確実に荷馬車に近づいているのは感じる事が出来る。速度が上がったピヨールに比べて疲れが見えてきたのか荷馬車の速度は徐々に落ちてきた。


 今だ! ピヨール!!


 俺が心の中でそう叫ぶとピヨールが返事をしたのが伝わった。そしてピヨールは荷馬車の荷台に向かって飛び上がる。荷馬車の荷台の縁に足をかけたピヨールは、そこで止まらず更に飛び上がった。その飛び上がったピヨールの着地点にいるのは泣き叫ぶアンジェリカだ。


 トトーン


 前足で顔を引っ掛け、後ろ足で蹴り抜いた。


 「いぶっ」


 アンジェリカが荷台の上で仰け反り、倒れこんだのが分かった。ピヨールはアンジェリカを踏み台に興奮して走り続ける馬の背中に飛び乗った。


 ビヒィイイィイ


 いきなり背中に乗られて驚き嘶く馬だがピヨールの光に包まれて直ぐに落ち着きを取り戻した。そして、ゆっくりと止まる。


 いいぞピヨール!


 ピヨールが元気良く返事をする。恐らく俺のいる場所から2つ3つ先の曲がり道あたりまで走っていった様なので俺は急いで駆けつけた。


 「ゆうじゃざばぁああぁぁ」


 荷台の上に這いつくばっているのがアンジェリカの様だ。徐々に大きくなるその姿に若干の哀れみを感じながらも何故お前がいるという疑問が先に立った。


 「ここで何をしている?」


 腰を抜かしたのか起き上がれなさそうなアンジェリカは涙と鼻水にまみれた顔で俺を見上げた。


 「がみのおぼじめじでずぅ」


 ああ、このアンジェリカはそういう奴だったな。


 額と鼻がピヨールの土台となったのだろう、擦りむけて赤くなっている。


 「ピヨール」


 「ワン!」


 俺は馬の背中でくつろいでいるピヨールを読んで捕まえると、アンジェリカの頭の上に乗せてやった。


 「ワン!」


 「ひいぃ!」


 完全にピヨールに怯えるアンジェリカだがピヨールの光に包まれると額と鼻の擦り傷も、溢れ出し垂れ下がった涙と鼻水も綺麗に消えて行った。


 「神の思し召しです」


 抜けていた腰も治った様で荷台の上に両膝をついてアンジェリカは祈り出した。


 「ここで何をしている」


 俺はもう一度アンジェリカに確認した。


 アンジェリカが乗ってきた荷馬車はサンジドーロの町民達からの感謝の気持ちだと言う。サンジドーロの南にあるゼヒーリまでは歩きでは10日かかるらしい。荷馬車でも8日はかかる。俺たちに荷馬車を届けて、直ぐに町に戻るつもりだったアンジェリカだが結構な距離を来てしまったので俺たちは荷馬車に乗ってアンジェリカをサンジドーロに送って行った。


 「聖水を樽に入れておきました。魔物に眠らされた者がいたらこれで目覚めると……あっ!」


 荷台に積まれていた樽の説明をアンジェリカがしていると喉が渇いていたのかピヨールが樽に頭を入れて聖水を飲みだした。


 「お待ちください! お犬様!!」


 お犬様!?


 「ワン!」


 ピヨールは元気良く吠えると強く輝き出した。そして再び樽に頭を突っ込み聖水を一気に飲み干してしまった。


 そんなに飲めるのか。


 子犬程の大きさのピヨールの何倍もある樽の水が全て無くなっているのにピヨールの大きさのはそのままだ。


 「こ、これも……神の思し召しでしょう……」


 アンジェリカはそう言い残して町の中へ帰ろうと背を向ける。


 「ついて来ないのか?」


 ロンダが聞いた。


 「いぎまずぅ」


 アンジェリカが振り返り、即答する。


 「……」


 アンは不満そうだ。


 「死んでも知らんぞ」


 ロンダが尋ねる。


 「死にまぜぇん」


 何処から出したのか手に棒を持って構え出した。


 「そうか、お前も剣士を目指すか。面白い、お前は今日からアンの弟子だ!」


 「えっ!?」


 アンはロンダの顔を見つめて、首を横に振った。


 「教わり、教えると上達が早い。これは決定事項だ! そうだろ? ピヨール?」


 ロンダが御者台の上の俺を振り返る。


 「あ、ああ。確かに人に教えると上達は早くなるな」


 「……わかりました」


 アンが渋々返事をする。


 「神の思し召しです」


 アンジェリカが再び荷台に乗る。ロンダは仁王立ちで前を見ており、アンはアンジェリカから一番遠い位置に腰掛ける。そしてピヨールが俺の肩に飛び乗った。


 重っ!!


 ピヨールの体重が重くなっている。飲んだ聖水の分だけ増えたのかも知れない。


 重いぞピヨール。


 肩から降ろそうとピヨールを掴むと腹の辺りがタプタプしていた。


 「クゥーン」


 肩の先から首元へ移動して来たピヨールは、そのタプタプの腹を俺に押し当てる。どうやら降りたく無い様だ。


 仕方ない、乗っていろ。


 「ワン!」


 アンジェリカを送り届けた時間が丸ごと無駄になったが俺たちは再び南に向かって出発した。


 次の町であるゼヒーリまでの道すがら、俺はアンジェリカの信仰する神の話を何度も聞かされた。アンジェリカとアンは同じミノア出身なので同じ神を信じているのかと思ったが、アンジェリカは修道女で、アンは騎士なので信仰が異なるらしい。


 ミノアは小国だが歴史は古く独自の信仰を持っているということだ。ロンダと俺を引き取り育てくれた両親、マルテン夫妻も牧師だったが、アンデーヌの村のあるへレーン王国の神は1人しか居なかったと思う。牧師だが俺たちに信仰を強制する事は無かった。俺と違ってロンダは進んで話を聞いていた。多分、教会を継ぐつもりだったのだろう。そんなロンダも俺には何も言ってこなかった。今になって思えば、自分の故郷が分かった時に信仰が帰ることを邪魔するかも知れないという配慮なのだと思う。


 へレーン王国はアヌンナキ信仰だ。唯一神アヌンナキ、星神とも言われる神を信仰している。ミノア王国には三神と呼ばれる神がいるらしい。国民の殆どが信仰するのが聖母神アンジェリカで、アンジェリカと言う名はミノアでは良くある名前だと言う。ミノアの騎士達が信仰するのが戦神カーレン。戦いを勝利に導く神で聖母アンジェリカの息子なのだとアンジェリカが言っていた。


 恐らく政治的な配慮なのだと思う。普段、偉そうにしている騎士達が信仰している神よりも、広く平民が信仰している神の方が上の存在なのだと思えば国民の不満も和らぐという事なのだろう。こういうちょっとした事が意外と人々の意識を変えるのが面白くもあり怖くも思える。


 王家のみが信仰するのが大神ネシカだ。ネシカの妻がアンジェリカでカーレンが息子という家族構成になっている様だ。詳しく聞かなかったがネシカとアンジェリカの間には何人も子供がいるらしいが信仰の対象ではないそうだ。


 勇者の神は何処の神だ?


 勇者の社にいたあの子供が神だとして俺はその名前も何も知らずに旅をしていた事になる。


 良く見つけられたものだな。


 そんな事を考えていたせいかどうかは分からないが、ゼヒーリまでのあと1日という最後の日の夜、俺の夢にあの時の子供が再び現れた。

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