第20話 戦鬼ロンダ
「ロンダを見失っても焦るなよ」
俺はアンに追いついてそう声をかけた。
「え?」
アンは俺が言った事が理解出来なかった様で不思議そうな顔をして俺を見てきた。俺は前を行くロンダを指差す。既に広場に到達したロンダが俺たちの目の前で姿を消した。
「あ」
アンがそう呟く。
「ロンダを見失っても焦るなよ」
俺はもう一度アンに声をかけた。アンは黙って俺に頷くと剣を構える。
「端から順に派手に行くぞ」
俺はでかい声で雄叫びをあげながら広場に突っ込む。それにアンも続いた。俺とアンが広場の反対から派手に突っ込む事で柵を取り囲む魔物の注意を分散するのが目的だ。
「群れの中には必ずサボっている奴がいる。そいつから仕留めて行けばいい」
ロンダが俺に教えてくれた事だ。サボっている奴とは群れの指揮を取っている者のことだ。ロンダはそれを見つける為に気配を眩ます。興奮した魔物達に同調し、群れに紛れて存在を消す。そして背後から近寄り音もなく命を刈り取るのだ。
そんなロンダの背中を預かると言う事はロンダと共に行動する事ではなく、ロンダが動きやすい様に群れの注意を引きつける事だ。今はそれだけでなく柵への攻撃の手も弱まるというおまけ付きだ。それをすぐに理解したアンは手前にいる小猿鬼から順に派手に斬って行く。
「でかいのは任せろ」
アン目掛けて突進して来るのは先程広場への道で見かけた巨大な影だ。足が8本ある大猪という見た目のそいつは背中に数匹の小猿鬼を乗せている。その小猿鬼に操られている様だ。手前にいる仲間の小猿鬼を踏み潰しながら迫り来る大猪に向かって俺とピヨールが飛び出す。
「行くぞ」
「ワン!」
ここで光の剣を長くするのは危険なので、いつも通りの長さのまま突進して来る大猪を正面から上下に斬り裂いた。アンの元に帰えると、派手に動き回ったせいで疲れが見える。俺はアンの頭にピヨールを乗せて少しだけ後ろに下がらせた。
「もう直ぐ、こいつらは崩れ出す。逃げる奴は無視して柵に辿り着くぞ!」
「はい!」
「ワン!」
ピヨールを頭に乗せたアンが返事をする。その返事とほぼ同時に大猪達が急に暴れだした。見ると大猪を操っている小猿鬼が次々に撃ち落とされて行く。そして制御を失った大猪が広場の中を激しく走り回っている。
縄縛りだ。
縄で獲物の足を縛り、もう一方を別の獲物の足に縛る。そして、その2匹を別々の方向に走らせる。暴れる獲物の体力を奪ったり、群れを混乱させる時に使う。暴れる大猪に逃げ惑う小猿鬼の間をすり抜けて広場の反対側にある柵の前に辿り着くと既にロンダが立っていた。
「遅かったな。だが、中々良かったぞ」
ロンダがアンの頭の上のピヨールを奪い、自分の頭の上に乗せる。
「後は全部俺に任せろ」
ピヨールを乗せたロンダが混乱する群れの中に飛び込んだ。
ロンダとピヨールの組み合わせはビッグブリッジ以来かな。あの時は投石だったが目の前の広場では狩りが行われている。両手に持った短刀で混乱している魔物を手当たり次第動けなくしていた。殺さず、動けなくするのは後で回収する為だ。
食うのか?
大猪なら分からなくも無いが小猿鬼も食うつもりなのだろうか? 林や丘で食べる事が出来なかったのが悔しいかったのかも知れない。疲れを知らないロンダは己の最速の妙技を持って魔物を蹴散らしていった。
「戦鬼だ……」
確かに。獲物を刻む度にロンダはその味を想像してかニヤリと微笑む。その姿を見て柵の内側にいたものが呟いた。
「そうだ。あの方はここにおられる勇者ピヨール殿の姉君、戦鬼ロンダ殿だ。1人で万の魔物を屠る勇者殿と同等の力をお持ちだ。安心するがいい。お前達は助かったのだ」
アンが柵の内側にいる町人らしき者たちに言う。
「勇者様!?」
「勇者の姉?」
「1人で万の魔物をって……」
「だが、その姉はあれだぞ……」
「う、そ、そうだな」
「あれで、人なのか?」
「鬼の様だ」
町人達がロンダの動きに見惚れながら口々に話し出す。
「戦鬼ロンダ殿だ」
アンが指摘する。
「戦鬼ロンダ」
「戦鬼ロンダか!」
「戦鬼ロンダ!」
「ロンダ!」
柵の内側の町人達がロンダの名を連呼する。すると商会と思われる建物の扉が開き中から女性が1人出てきた。
アンジェリカに似てるな。
そのアンジェリカ似の女性は柵を守る男達に話しかける。
「どうしたのですか?」
ロンダの名を連呼する男達が一斉に魔物を斬り裂いて飛び回るロンダを指差す。
「こ、これは……」
目の前に広がる動けなくなった魔物達と、まだ動いている魔物に飛びかかり次々に倒して行くロンダの姿をしばらく眺めていた女性は、その場に跪き両手を合わせた。
「神の思し召しです」
聞いた事がある台詞だ。広場の反対側でロンダが最後の1匹を狩ってこちらに帰ってきた。頭の上のピヨールを俺に返す。
「ワン!」
「こいつは便利だが、血の匂いが分かりにくくなる様だから気をつけろよ」
俺にそう言うとロンダは早速、最初に斬った魔物の所に移動した。
「まあ、血抜きはこんなものかな」
小猿鬼を手際良く解体していく。
「ピヨール、火を頼む」
柵の内側の者達の事など気にせず、狩った獲物の処理に集中するロンダにアンが近寄り話しかけようとする。多分、先に挨拶をしようとでも言うのだろう。
「待てアン。今はロンダの言うとうりに」
真剣な眼差しの俺を見て、アンは全てを理解した。
「わ、分かった」
俺とアンは急いで広場の柵の前で火を炊いた。
「院長様!」
俺とアンが肉を焼き、ロンダが獲物を解体している広場にアンジェリカが走ってきた。
「アン!」
アンジェリカに似ている女性は柵を越えてアンジェリカに駆け寄る。
「どうしてここに? 王都に行ったのでは無いのですか?」
再会を喜ぶのかと思いきや院長と呼ばれた女性は駆け寄るアンジェリカの前に腕を組んで立ちはだかった。
「申し訳御座いません。王都が襲われ避難した町でこのサンジドーロから救援を求めて来た方に出会い、勇者様と共にここまで帰って来ました」
アンジェリカが院長の前に立ち、ここに来た訳を説明した。
「救援を求めた!? ひょっとしてそれはメイロスでは?」
院長がそう言うとアンジェリカは首を横に振った。
「名は分かりません。最初は怪我が酷くこの町の名しか話さず勇者様の軌跡で怪我が治った後は眠ったまま目覚める前にはぐれてしまいました」
「はぐれた? はぐれたとはどう言う事ですか?」
院長の質問は続く。そのあいだに俺は簡易ではあるが大きい燻製室を組み立てる。柵に使っていた戸板等を借りたのだが、男達はロンダの勇姿を見て完全に惚れ込んでしまった様で何でも簡単に貸してくれた。アンは一生懸命、火を燃やし続けている。
「魔の山の魔城に行ったのですが、その時、眠ったままのその方と馬車を残して魔城に向かい、魔城から戻った時に馬車ごと居なくなっていたのです」
アンジェリカは泣いていた。自分が修道女として相応しくない行動をとってしまった事を後悔する様に。
「自分の罪を認めるのですね。では私は何も言いますまい。あなたも人の子、止むに止まれぬ事情があったのでしょう。それより、よく戻って来ました。我が妹、アンジェリカよ」
「姉さん」
姉妹なのか。似ているからひょっとしたらと思っていたが。
2人はそこまで話してやっと抱き合った。姉妹の再会だ感動の場面なのかも知れない。
だが、そこは風向きが良くないぞ。
俺が組み立てた燻製室から漏れた煙が風に乗って2人を包み込んだ。
「ゲホッゲホッゲホッ!」
抱き合っていた院長とアンジェリカが涙目で咳き込み、足を合わせて少しだけ移動し煙を避ける。
抱き合うのはやめないのか。
院長とアンジェリカは互いの顔を見つめて声を合わせた。
「神の思し召しです」
その言葉とほぼ同時にロンダの魔物解体が完了し、広場は焼かれ待ちと燻製待ちの肉で埋め尽くされた。
広場の肉を全て加工するのに翌日の朝までかかった。だが食えそうな肉は無駄にしないと言うロンダの信念を幼い頃から刷り込まれた俺に逆らう術は無い。当然、アンも逆らわない。俺たち3人はサンジドーロで生き残った者達を完全に無視して作業を続けていた。
全ての作業を終えた俺たちの前に積み上がっているのは焼いた小猿鬼の肉と燻製にした小猿鬼と大猪の肉だ。
焼いた小猿鬼の肉は臭いがきつめで苦味があった。ロンダは加工途中で何度もつまみ食いをしていたが、俺はあまり好きではない。アンも一口食べて涙目になった後、ロンダに見えない様に吐き出していた。
魔物の肉には2種類ある。
ロンダが昔、俺に教えてくれた事だ。魔物として生まれた者と生まれた後に魔物となった者がいて、前者は臭いがきつく肉も変な味がする事が多い。筋張っている事が多いのも特徴だ。今食べた小猿鬼もその内のひとつだ。臭みがあり苦く筋張って噛み切りにくい。
良いところがない肉だが何故か身体を作るのには向いている。あまり人が食わない肉を食い続けているロンダを見れば分かるが、食い続けていれば身体がでかくなる様だ。
「それは魔物になってるんじゃないか?」
俺がロンダにそう言うと、ロンダは笑って俺の口に魔物の肉を突っ込んでこう言った。
「俺が魔物だと? こんなに美しい魔物が何処にいる? まあ、どうせなるなら魔王にでもなるか」
俺はロンダが魔王になるのを想像して身震いした。今ならピヨールの力で魔王ロンダに勝てるかも知れないが、当時の俺にはロンダは絶対的な強者であった。
もう一つの魔物の肉は、前者とは異なりとても美味い。動物が魔物になると基本的に身体の大きさが2倍になる。種類によってはもっと大きくなる場合もあるが、その理由は筋肉のひとつひとつが肥大するのだ。肥大した筋肉は柔らかく運動性が上がる。柔らかくなった筋肉は当然食っても美味しい上に量も増える。
広場で加工した肉の中で大猪がそれにあたる。燻製にしたこの肉は朝から一抱え程の肉を食べ切ってしまう程美味かった。アンも驚きを隠せない顔で頬張っている。
「ピヨール、お前の分だ」
俺が肩でヨダレを垂らしているピヨールに大猪の燻製を与えると肩から飛び降り、返事よりも先に肉に飛び掛った。俺とアンとピヨールが大猪の肉に食らいついていた頃、ロンダは1人満足そうに小猿鬼の焼いた肉と燻製を交互に食べていた。
「この苦味の良さが分からん様では、まだまだだな」
朝から昼までかけて肉ばかりをたらふく食った俺たちは、余った肉を生き残った町民と分けようという事になり、柵のところでこちらの様子を伺っていた院長とアンジェリカに声をかけた。
「ま、魔物を食すなど……汚らわしい」
院長がそう言うとアンジェリカが割って入る。
「姉さん! いえ、院長様!」
「アン、何ですか?」
「院長様、魔物の肉は美味しいです」
論点が違うぞ。
「あなたも食べたのですか?」
「はい! 美味しかったです」
そう言えば移動中、魔物の肉を食べる度に美味しい美味しいとアンジェリカは言っていた。
「穢れたのですね」
「いえ、美味しかっただけです!」
「そんなにですか?」
「はい!」
「で、では私も頂きましょう」
頂くのか。
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