第8話 ビッグブリッジ

 俺達がドラゴン亭から宿に戻ったのは明け方だった。勿論、ロンダもついてきた。アンとマリアが自分の部屋に戻って行き、ピヨールもそれについて行った。


 薄情な犬だ。


 俺の部屋には当然の様にロンダが入って来た。最早、俺に抵抗する気力は無かった。結局その日は昼過ぎまで俺は寝てしまった。ロンダの腕の中で……。


 筋肉、筋肉、そして筋肉。


 美しい野獣と言う言葉がぴったりのロンダの寝顔はずっとニヤニヤしている。俺はロンダの寝起き嵐を回避する為にそっとベッドから抜け出した。これをやるのも10年振りか。


 力任せに抜け出そうとすると、直ぐにロンダの腕に絡み取られる。だから関節や筋肉の動きに逆らわない様に体勢を入れ替え、尚且つ、素早く、静かに行わないと成功しない。この技を身に付けたおかげで俺は関節を取るのと相手の攻撃を受け流すのが上手くなった様な気がする。相手の体に触れただけで次の動きを感じることが出来るのだ。


 俺は部屋を出て、アンの部屋に向かう。ノックをすると中からピヨールの声が聞こえた。


「ワン!」


 楽しそうな声だ。


 足音が近づき扉が開く。装備を整えたアンが立っていた。


 「行けるか?」


 俺が一言聞くとアンは無言で頷いた。部屋の奥からピヨールが飛び出て俺の肩に乗る。マリアの上に朝までいたのだろう。毛並みがツヤツヤで、いつもよりモフモフしている。


 「静かに、音を立てるよ」


 俺がアンとマリアに注意すると、アンが小声で聞いてきた。


 「姉上はどうされた」


 「置いていく」


 俺は即答した。俺たちはミノアまで静かに行動したい。だがロンダがいてはそれが出来ないのだ。ロンダは狩り以外でコソコソとするのを嫌がる。出来ないと言っていいだろう。


 まあロンダならする必要もないが。


 出来るだけ音を立てずに俺たちは宿を出る事に成功した。そこで予想もしない者と出会った。ルネの店の若い職人である。


 「旦那! やっと見つけた!! この宿でしたか!?」


 俺たちの所にやって来た職人はルネが呼んでいるから来て欲しいと言って俺たちを店に連れて行く。その道中、すでに昼過ぎなのに多くの賞金稼ぎとすれ違う。何だか町の様子がおかしい。ルネの店の職人に聞いてみたが、自分は何も聞いていないと言う。ルネに聞くしかない様だ。


 早足の職人の後を俺達は黙ってついて行った。路地を曲がり店の入口が見えてくると店の前にルネが立っている。こちらに手を上げているから俺たちに気づいた様だ。


 「いきなり呼び出して、どうした? 町で何かあったのか?」


 俺がルネにそう質問しようとした時、俺の後方を見上げてルネが声にならない悲鳴を上げた。俺の後ろには、アンとマリアしかいない筈……だが、振り返るとそこにヤツが居た。


 満面の笑顔のロンダだ。


 アンとマリアは、ロンダが放つ異様な雰囲気に呑まれて怯えている。ピヨールは何だか嬉しそうだ。


 「ロンぐぼっ!!」


 俺は左の頬を真っ直ぐ殴られた。


 「おはよう、ピヨール。おお、ルネもいるのか」


 「お、おはようございます……ロンダさん」


 ルネがビビっている姿を俺は初めて見た。相当ひどい目にあったのだろう。ロンダを加えた俺達はルネの店に入った。店の中で用意された椅子に腰掛けるとルネが呼び付けた理由を話してくれた。


 ミノアが進軍を開始したらしい。既にセブンブリッジの内、最初のアラゴン川に掛かった3本の橋を占拠されたと言う。セブンブリッジはコリントスを南北に流れる3本の川を渡る為に掛けられた橋だ。最もミノアに近いのがアラゴン川、その次がオリア川、ミノアから最も遠いのが、コリントスで一番大きな川、タホ川だ。橋はアラゴン川に3本、オリア川に3本、タホ川に1本掛かっている。合計7本でセブンブリッジだ。


 ミノア軍はアラゴン川にかかる3つの橋を同時に占領した事から、かなりの戦力が用意されている事が想像出来る。レヘオ街道を完全に手に入れる気でいる様だ。


 俺がアンとマリアにどうしたいか確認しようと振り返ると、ロンダが椅子から立ち上がって言いきった。


 「戦を止めるぞ! ミノア軍をミノア領まで押し戻す!!」 


 ミノア国境からコリントスに入るレヘオ街道は北レヘオ街道、中央レヘオ街道、南レヘオ街道の3本だ。


 それらはミノア王国の王都で一旦一つにまとまり、再び別れて行く。そのミノアの王都以外で、この3つの街道が一つにまとまる場所が他に一つだけ存在する。


 それがビックブリッジだ。


 ロンダは、ここでミノア軍を待ち受けると言う。俺はすぐに反対した。どう考えても3つに別れた部隊を各個撃破した方がいいからだ。ロンダもそれは直ぐに認めた。だが個々に撃破するだけの時間がない。ならば疲れ切って伸びきった隊列の先端を叩くのが一番だと言う。


 確かに俺たちがいるのはミノアと反対のマセの街だ。ここからコリントス中央を流れるオリア川付近まで来ているであろうミノア軍を各個撃破するのは間に合わないだろう。


 普通ならな。


 「俺とピヨール、つまりこの犬でビッグブリッジに集結する前のミノア軍を叩く」


 俺がそう言うと俺の肩に乗っていたピヨールが吠える。


 「ワン!」


 ピヨールが吠えるなら大丈夫だ。


 「お前! ピヨールの癖に! それなら俺が行く!! そっちの方が楽しそうだ!」


 ロンダには戦も狩りも同じなのか? 物凄く楽しそうだ。


 「だめだ。ロンダにはビッグブリッジを守ってもらう。あれを落とされたらコリントスは終わりだからな」


 俺は既に立ち上がって店を出て行こうとしているロンダに言った。アンとマリアは、何かを思い悩んで黙っている。


 「嫌だ。面白く無さそうだ」


 ロンダは全く言うことを聞きそうに無い。俺は仕方なくアレを使う事にした。


 「それは違う、ビッグブリッジが一番面白い。何故なら俺が狙うのは北か南かのどちらかの部隊だけだからだ。つまり残りの2つはビッグブリッジに同時に到達するだろう。ミノアの部隊が2つ集まればその数は5000はいるだろう。それとまともに対峙出来るものなどこの世に居ない……その……」


 俺は口ごもる、アレを使うには相当の心構えがいるからだ。俺は深呼吸をして覚悟を決めた。


「お……お……お姉ちゃん……以外には……」


 俺が言ったその言葉に場の空気が一変する。


 「ピヨール……お前……俺のこと、今、お姉ちゃんって……」


 手に持ったボウガンを落としフラフラとこちらに近づいてくるロンダ。俺はこの後、確実に抱きしめられるだろう。だがそれも覚悟している。ロンダを止める方法がこれしかないなら我慢しよう。


 「ピヨール!!」


 「ワン!!」


 ロンダの呼びかけに犬のピヨールが反応してロンダの肩に飛び乗った。そして何故か体を光らせる。


 「おお! なんだこれは!! 何だか力が湧いてくる様だぞ!! はははは!!」


 ロンダの筋肉が見る見るデカくなる。


 え? そんなん出来んの?


 久しぶりにピヨールに驚いた。ピヨールにその力があったと言うよりはピヨールの神的な力によって、ロンダの願いが叶っているという感じだ。


 「じゃ、俺、行ってくる。ビッグブリッジはお前らが何とかしろ」


 ロンダはそう言って店を出て行った。その少し後に俺達もルネの店を出る。俺とアンがビッグブリッジに到着したのは3日後だ。ピヨールがいないので普通に時間がかかる。


 俺はアンとマリアを店に置いて行く事も考えたが、新王を討つ時にアンとマリアが居ないと俺がただの暗殺者になる可能性がある。そこでアンとマリアに相談して、ミノア軍の兵士にマリアが生きていること、先王と王妃が殺された事を証言してもらう事にした。これなら正面からミノア軍と戦わなくて済むかも知れない。


 ビッグブリッジに着くまで俺たちはその作戦で行く予定だった。だが事態は想像を超えていた。


 まず俺に起こった事から。俺にピヨールが感じている事、見ている事が何となく分かるのだ。今まで一緒に居たせいで気がついていなかったが確かにピヨールが吠えるとその意味が俺には理解できていた。俺が意識してピヨールの事を考えるとピヨールの今の状況がわかるのだ。場所、周りの様子、危険度などだ。


 どこまで便利なんだピヨール。


 そのピヨールが感じた事からロンダの動きが手に取るようにわかった。ロンダはルネの店を出て、その日の夜にはビッグブリッジについていた。そこで一泊してから、南北では無く中央レヘオ街道を進んで行く。


 一番敵が多いであろう中央にだ。


 2日目の昼ごろコリントスの中央を流れるオリア川と、ビッグブリッジが架かるタホ川との丁度中央にある深い森でミノア軍と接触した。


 森でロンダに勝てる者はいない。


 人でも、動物でも、魔物でも。ロンダはあらゆる狩りの道具を使う。が、その中で最も俺が恐れているのが投石だ。足元に無数に転がる石を正確に動く的に当てていく。しかも今はピヨール付きだ。


 その威力はピヨール越しに俺にも伝わった。


 ピヨールの前に無数にあった敵意が次々に消えて行くのだ。俺がロンダと狩りをしていた時に良く使っていた戦法だ。


 特に森大ネズミの大群をまとめて狩るのに使うのだが、まずは先頭の数匹を仕留めて群れの動きを止める。その後、群れの親玉を仕留める。すると恐怖と混乱で群れの大半が動けなくなり、その後、暴走して逃げ出すのだ。狩りではこの時、逃走路を予測して罠を仕掛けておく。するとネズミ達は自ら罠に飛び込んでくれるのだ。


今回の場合は、ミノアに逃げ帰るか暴走してビッグブリッジに突進するかのどちらかだ。ミノアに帰るなら良し。そうでないなら戦う事になる。中央のミノア軍は指揮官を失いビッグブリッジに突進して来た。


 戦うか。


 丁度、俺たちが到着する頃に鉢合わせとなりそうだ。


 ロンダとピヨールは、そのミノア軍を追って背後を襲い続ける。ピヨールとロンダのコンビによる投石は受けている側からすると大群が迫ってきているかのような量であるため、ミノア軍は休む事なくビッグブリッジまで走り続けることになった。指揮官を失った兵達は前に進むことしかできないようだ。


 だが、それはそれで困った事になる。勢いを増したミノア軍の兵隊が、一丸となってビックブリッジに押し寄せるからだ。


 マリアを使った作戦はうまく行くだろうか……まあ、その時はこの切れすぎる剣で可能な限り敵を斬り続けるだけだがな。


 ビッグブリッジは落とされていた。


 と思ったら少し様子が違うようだ。ミノア側の橋の床版が剥がされていたのだ。これでは、橋を渡ることが出来ない。ミノア軍は、岩山に挟まれた場所で立ち往生となるが、後から突進して来る自軍に押し出されて次々にタホ川へと落ちて行った。


 まあ、死ぬことは無いだろうが。


 タホ川は、3つの川で最も大きく流れも強い。鎧や武器を持ったまま岸にたどり着けるような川では無い。橋のこちら側で兵士たちを見守っていた男たちが俺に気づくと声をかけてきた。


 「女連れ? あんたがピヨールか?」


 「俺の名はアレク、アレ……いや、ピヨールだ」


 俺の名をピヨールと呼ぶのは、ルネとロンダとマルテン夫妻ぐらいだ。村ではロンダの弟としか呼ばれなかったからな。この男が俺を見てその名を言うということは、ロンダの知り合いなのだろう。


 「待ってたよ、私はオリビア。このビッグブリッジの宿屋街のまとめ役だ」


 お、女だったのか。


 ロンダぐらいの屈強な身体をしたオリビアと名乗る女は、日焼けした顔をしかめながら俺の顔を覗き込んだ。


 「似てないね? 弟なんだって?」


 「そうだ」


 腕を組んで俺を品定めするオリビアに今の状況を聞いてみた。オリビア達はロンダの指示で橋の床版を外して、飛び越えようとしたり、高欄を渡ろうとする兵を棒で突いて落としていると言う。


 「弓や、ボウガンは大丈夫なのか?」


 俺が聞くとオリビアは橋を指差した。外された床版が並べられ矢を防げる様になっていたが、見せたいのはそれでは無く橋の反対側のミノア軍のことだった。後ろから押し出されて落ちそうな兵が最前列でもがいている為、川を渡ることも、攻撃する事も出来ない。


 「なるほど」


 この状態はしばらく続きそうだった。


 「もし、あいつらがこっちに渡ってきたら、あんたが何とかするってロンダが言ってたけど、大丈夫なのかい?」


 オリビアが俺に聞いてきたので即答した。


 「ああ、任せろ」


 オリビアそれを聞いてニヤリと笑い黙って頷き、俺に道を空けた。だが俺が歩き出す前に俺を追い越してマリアが飛び出す。


 「ミノアの兵よ! おやめなさい!!」


 マリアが渾身の大声で叫ぶ。だが、対岸の兵達には聞こえていない。それでも、何度もマリアは叫び、アンもそれに続いた。何人かの兵は、その2人に気づいた様だが、話している内容までは伝わらない。


 そんな状態が続く中、俺はたまに飛んで来るようになった弓やボウガンの矢を叩き落としながら二人を守った。


 お!? ピヨールか?


 突然、俺にピヨールの感覚が伝わってきた。近くに来ているようだ。だが矢がまだ飛んでくるので意識をピヨールに集中できない。不意につながったり消えたりするピヨールの間隔だが、その内容から憶測すると、どうやら北と南のレヘオ街道から残りのミノア軍がたどり着いたらしい。


 合流地点がミノア軍で溢れかえっているようだ。


 そもそも、どう言う作戦でこんな所で合流するつもりだったのか全く謎だ。それでも合流した軍の指揮官によるものかミノア軍の混乱が収まり始めた。


 マリアとアンはまだ叫んでいる。対岸の兵達にもようやく声が届いた様で、兵たちがこちらを見て何かを言っているのが分かる。


 その兵達が奥から順に左右に別れ道を空けているのがわかった。その動きは徐々に手前に伝わり、最前列の兵が身を縮めて左右に寄ると指揮官らしい男が現れた。その後ろにはロンダとピヨールがいる。


 ロンダその男の首元に短刀を突き付けていた。


 「ビラボア将軍!!」


 マリアが叫ぶ。アンがその場に跪いた。


 「な、なんと!? 生きておられたのか!? 姫様!!」


 将軍と呼ばれたその男はマリアの事を知っている様だ。


 「皆、剣を収めよ!」


 将軍はそう号令し腕を掲げた。それを聞いた兵たちが剣を収め、その場に跪く。振り返ってそれを見届けたロンダは短刀を収め人とは思えない俊敏な動きでミノア軍から飛び出し橋の高欄を蹴ってこちら側に渡ってきた。


 「オリビア、橋を戻して」


 ロンダがそうオリビアに伝えると、オリビアの指示で橋が元に戻されて行く。対岸の兵達は黙ってそれを見守った。最後の床版がはめられる前に将軍と数名の兵がマリアの元に駆け寄り跪いた。


 「姫様! ご無事で……何よりです。よくぞ、よくぞ……生きておられました」


 「爺!!」


 マリアは今まで一度も見せたことがない幼い態度で将軍に抱きついた。

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