恐怖

 彼はおごそかに、少女の脳に直接響く声で言った。

『なぜ…私を避ける…?』

 その声には寂しげな雰囲気があった。


 少女は強大な存在である彼には似合わないその様子に、少し笑ってしまった。

(このお方もこんな風に勘違いなさる事がお有りになるのね)

 先ほどとはまた別の理由で紅潮した頬で、少女は彼の声が脳に響いてきた方向を向き、からかうつもりで言った。


「…どうしてそんな事をお気になさるのですか?」

『…それは…』

 彼の声が弱まる。


 少女は畳み掛けるように言った。

「そもそもどうして私のような者を…あなたは…一日中…寒さから守ってくださったんですか?」

 ふふふ、と少女は笑んでいた。


 彼が黙り込む。少女の世界は彼の呼吸音だけが聞こえるだけで、何も見えない世界に戻る。あまりにも長い沈黙によって、少女の脳内に耳鳴りが起こり始める。ふと、少女は不安になって口を開きかけた。その時だった。


『…数十年の間…私には会話が成立する相手がいなかったのだ…』

 一瞬、少女は彼が何を言っているのか理解出来なかった。だが彼がいつになく寂しそうだという事は理解できた。


『私には強い呪いがかかっている…お前と同じようにな…』

 少女には彼が何かを恐れている事も理解できてきた様子だった。

「私と…同じように…?」


 少女にはまるで理解できていなかったが、ただ彼が自分と同じだという、ただその点だけを受け止め、少し微笑を浮かべた。

『私を見た者は狂う…私を殺さなければならないと強く思い込む…』


「あなたを…?」

 少女は笑んだ。そんなのは不可能だと思ったからだった。

『そうだ…私は誰も殺したいわけではないのに、私を知覚した者は私を殺そうとするのだ…』


 少女はふふふ、と笑んで言った。

「あなたを殺すなんて…無理でしょう…?」

『ああ…ほぼ不可能だ…』


 少女は彼のそのまるで当たり前かのような、ライオンがシマウマの赤ん坊を恐れないかのような、圧倒的な己の力への揺るがない自信に、雄々しさにため息をついて微笑んだ。

『…だがだからこそ私に呪いをかけた者はそうしたのだ…』


 少女は首をかしげて言った。

「どうして…?」

『誰も私を…真名はおろか、種族名で呼ぶ事すら出来ない呪いだ…』


 少女は彼の様子にさらに強い寂しさを感じた。誰にも名前を呼んで貰えないというのは、確かにとても寂しい事のように思えた。

『誰もが名前を口にする事をためらう、誰もが殺せない強者…その存在を人はどう思うと思う…?』


 少女はまた反対方向に首をかしげて言った。

「どう…思うんですか…?」

 彼は一呼吸置いてから少女の脳に直接おごそかな声を響かせた。


『怖い…いや…恐ろしいと思うのだそうだ…』

 少女は相変わらず首をかしげていた。彼は相変わらず寂しげな様子で声を少女の脳裏に響かせた。

『…この世で…もっとも…恐ろしい…とな…』

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