不穏

 王子は不敵に笑んで言った。老魔法使いや勇者が頷く。だが竜騎士は首を横に振って言った。

「申し訳ありませんが、自分は特に知らされておりません」

 王子は特に怒りもせずに言った。


「この世でもっとも恐ろしいもの…アレの討伐だ」

 竜騎士は驚きの顔をした。今までの国王は「それ」からは、目をそらすかのようにしてきたからだった。


 竜騎士は恐る恐る国王の顔色を伺うが、国王は相変わらず落ち着かない様子で、指先同士をすりあわせているだけであった。

「もしアレが討伐出来れば」

 王子は目を細めて笑んで続ける。


「王家はその者達を直接雇う事になるであろう」

 竜騎士はさらに驚愕の表情を浮かべる。それは破格の待遇であった。身分が何段階も上がるというくらいの待遇である。それでいて報酬も弾むというのだから、何とも良い仕事である。


 だがそれは逆に言えばそれだけ困難な事、という証拠でもあった。竜騎士は不安げに聞いた。

「確かに自分は普通の兵隊といったものを相手にするなら」

 竜騎士は自分を納得させるように頷いて続ける。


「数千という数であっても…勝ってみせる自信はあります」

 と、そこでかぶりを振って竜騎士が言う。

「でも今度の相手は違う」


「この世でもっとも恐ろしいものを倒せるか、それが不安なのだな?」

 王子はまるで百戦錬磨のワシのような鋭い眼光で、射抜くように見つめながらそう返した。かぶせるような鋭い言葉に竜騎士はたじろぎつつも、かろうじて頭を縦に振る。


「大丈夫だ。そこにいるのは数々の魔獣を葬って来た勇者だ」

 勇者のいる方を手のひらを広げながら腕を伸ばして示して王子が言う。

「勇者…?!…あの…いくつもの迷宮や洞窟に潜む魔獣を葬った?」


 竜騎士はさらに目を見開いて王子と勇者とを交互に見ながら言う。

「伝説上の大魔獣を葬ってきたという…あの…?!」

 竜騎士が目を見開きながら勇者の方を見る。

 

 勇者は王子をいぶかしむような表情でじっと見つめていた。その双眸は優しげで身体も細身な筋肉質であり、背負った剣も細身で装飾の施された儀礼に使いそうなものであった。

「彼はワイバーンクラス以上の四足の有翼竜の討伐だって何度もした事がある」


 王子は不敵に笑んでさらに続けて言う。

「…亡者や悪魔や死霊の類を討伐したことだってな」

 竜騎士がごくりと息を呑む。勇者は自嘲気味に笑って言う。


「…有能な仲間が居てくれたからってだけですよ」

 だが竜騎士はその勇者の言葉を事実とは受け容れがたかった。彼のひたいにかかっている飾りは、いにしえより伝わる、選ばれし伝説の勇者にだけ与えられるものだ。


 それを王家から与えられているという事は、彼は伝説の勇者として選ばれた者だという証明なのである。あの剣も恐らくは伝説にある勇者の剣なのだろう。アレは勇者の一族にだけ使える魔法をかければ、断てぬものなどないという噂だ。


「さらに今回は魔法使い協会最強の長老にも参加して頂くわけだからな」

 王子が手を差し出した先に居たのは敵ワイバーンどもから、いかにも簡単そうな様子で助け出してくれた、例の白ひげをたくわえた老魔法使いであった。その老魔法使い…長老は言う。


「わしは最強などではない。二番目だ」

「ほう?では一番目は誰だ?」

 王子が鼻で笑って問う。


 長老はふん、と忌々しそうに言った。

「私の師…先代の長老である大魔法使いを殺して去っていった、「あの魔法使い」だ…」

「ほう…あの接触する事そのものすらも罪とされる「黒い男」かね?」


 王子は片頬を吊り上げるように笑んで言う。長老は使い込まれた魔法使いの帽子をぐっと握りしめつつ、王子から目をそらして首を縦に振る。

「そうだ…あの黒い男だよ…アレこそが世界の災厄そのものなのだ」


「これはこれは!世界の災厄とは!大きく出たな、長老よ!」

 王子は大袈裟に肩をすくめながら両手を広げて茶化すように笑って言う。それはいかに王族とはいえ、魔法使い協会の長に対してあまりにも無礼な態度であった。


 だが長老は口を一文字に結んだままで、国王も相変わらず指先をすり合わせるだけであった。

「まあなんだ、しかし私にとってはあなたが一番目だ」

 王子は腕を広げたままひらひらと回って笑って言う。


「あなたは炎に包まれた城下町から一度、「この世でもっとも恐ろしいもの」を撃退しているのだからな!」

 王子は片頬を吊り上げたまま笑っている。

「あなたがいなければあのまま城下町は滅び、国王様も死んでいた事だろう!」


「…いや、国王を守ったのは私ではない。城下町の兵隊を束ねる隊長どのだよ」

 長老は冷静な様子でそう返した。王子があからさまに嫌そうな顔をする。

「ふん…アイツか…アイツが…」


 竜騎士は討伐の件ではすっかり安心したが、王子やら国王やら長老の様子を見るに、何やら不穏な雰囲気があるので、そこの点で引っかかるものを感じていた。国王は相変わらず落ち着かない様子で、指先をすり合わせていた。



 嗅覚を取り戻したイケニエの少女は、彼の前だからか、自身のにおいに顔をしかめていた。家から着替える間もなく旅にも出たし、もう何日も着替えられていない。その上で汗などにはまみれている。少女は彼の呼吸音がする方から、出来るだけ遠ざかるようにしていた。


 少女はすんすんと、自身のつぎはぎだらけのボロ服のにおいを嗅ぐ。何日も洗っていない服からは、濃厚な少女自身のにおいがした。少女は頬を赤くしてしょんぼりと顔を下に向けた。聴覚が戻ったからか、少女は既に二足歩行が出来るまでに回復していた。


 だが少女自身はそんな事など特に気にもしていない様子で、彼から遠ざかろう、遠ざかろうとするのであった。すると彼の巨大な足が石の床を滑って、体重が移動する事で起こる振動が少女まで伝わって来た。


 少女は身を凍らせた。死の恐怖などは既になかった。そもそも彼に殺されるなら少女にとっては喜びであろう。今は死とはまた違う恐怖が少女を凍らせていた。

(あのお方ににおいを嗅がれて、嫌われてしまったらどうしよう…)


 少女を満たしていたのはそんな乙女らしい恥じらいであった。薄く紅色が差した頬をした顔を彼からそらすようにして、少女は身をよじらせていた。目の見えない少女には彼から逃れる術がなかった。

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