第596話 おっさんたちの懊悩③
さて。
父も娘も義母も。
どれだけ悩もうとも日々とは続くものだ。
翌日。
オトハは騎士学校にある自分の教官室にいた。
執務席に座って肘をついている。
その表情はずっと渋面のままだった。
本当のところ、今日は休みたかった。
なにせ、いつ父が新しい妻を連れてクライン工房に来てもおかしくないからだ。
昨日の内に、シャルロットとユーリィにも事情を話した――二人とも流石に目を丸くしていた――が、かなり不安だ。
二人とも対応に困るだろう。
自分からして、どんな顔で父に会えばいいのか分からない。
アッシュだけはあまり困惑していないようにも見えたが、それでも今日は工房を臨時休業にすると言っていた。父の来訪に備えてだろう。
「………はァ」
大きな胸を揺らして、重い溜息をつくオトハ。
とにかく今日は早く帰りたい。
今日、休めなかったのには理由がある。
運悪く校内で行うイベントが重なったのである。
現役の騎士たちが教育現場を視察に来るそうだ。
騎士団でも頭角を現している勢いある若手たちとだけ聞いている。
この学校の卒業生たちでもあった。
いわゆる凱旋視察のようなものである。
臨時とはいえ、オトハも教官として参加しなければならなかった。
(……私としてはそれどころじゃないんだが)
それが本音なのだが、真面目なオトハにサボるという発想はなかった。
ただ、良い点もある。
今回の父の来訪に関しては、まだアリシアやサーシャ、ルカには伝えていないので三人とも校内にいると考えれば都合がよい。視察後に話をしたいと思っていた。
特にサーシャとは真剣に相談したかった。
正直、昨日までは親身ではなかったと反省している。
「ともかくだ」
オトハは机に手をついて立ち上がった。
「まずは視察対応を終えてからだな」
部屋の時計を見る。
そろそろ訪問の時間だ。
他の教官たちも正門に集まっていることだろう。
オトハは教官室を出た。
一方、その頃。
(……何だこれ?)
騎士学校に向かう十五人ほどの視察団一行。
その中に実はアッシュの友人が一人いた。
短く刈り込んだ黄色い髪が特徴的な、黄色い騎士服を着た青年だ。
アティス王国・第三騎士団所属の騎士。
ライザー=チェンバーだった。
パカパカ、と。
各自馬に騎乗する視察団一行。
しかし、どうにも緊迫した様子があった。
誰も一切喋ろうとはしないからだ。
(いや、確かにこれも任務ではあるけどさ)
母校への凱旋視察とはいえ任務には違いない。真面目なのは良いことだろう。
だが、この緊迫感は何か違った気配がした。
他の騎士たちもそれを感じて黙り込んでいるのだろう。
その原因は先頭を進む三騎にあった。
今回の視察団は二十代から三十代前ぐらいの若手のみで構成されている。
特に最先頭を進む騎士が、実は最も若い。
紫色の長い髪が美しい若干二十歳の才媛。シェーラ=フォクス騎士である。
《
間違いなく若手でも有数の実力者だろう。
第二騎士団長の孫娘でもある彼女はこの視察団の団長を務めていた。
ライザーの位置からは彼女の後姿しか見えない。
そのため顔色は窺えないが、少し緊張した様子に思える。
(実力は凄いが、まだ二十歳だし、あんまり団長の立場になれてないのかもな)
そんなことを考えるライザー。
ある意味、初々しい緊張感かも知れない。
しかし、この場を包む緊迫はそんな微笑ましい趣ではない。この緊迫は残る二騎、フォクス団長の少し後に並んで追従する騎士たちが放つモノだった。
(なんでこんなに緊迫してんだよ)
ライザーは思わず頬を引きつらせた。
その二人の騎士も女性だった。
ライザーもその名を知る騎士団の中でも有名な女性騎士たちだ。
一人は第一騎士団所属の上級騎士。通称『獅子王』。
その名の通り、獅子のような雄々しさと凛々しさを持つ女傑だ。
アンジェラ=ダレンである。
もう一人は同じく第一騎士団所属の上級騎士。通称『白鳥の君』。
麗人の優雅を持つ伯爵令嬢。キャロライン=ゴドスだ。
犬猿の仲だと噂される二人だが、今は二人並んで進んでいる。
その視線はフォクス団長の背に向けられているようだった。
(……自分たちを差し置いて)
ライザーは、ゴクリと喉を鳴らした。
(団長を任されたフォクス騎士が気に入らないのか?)
そんなことを思う。
実のところ、それは必ずしも間違いではない。
ただ、問題点は『団長』ではなく『自分たちを差し置いて』の部分だが。
ともあれ、何だかんだで勘の良いライザーだった。
一方、シェーラの緊張も『団長』とはあまり関係しなかった。
(……あの日以来であります)
馬上で微かに喉を動かす。
手綱を持つ手が少し汗ばんでいた。
(……彼女と会うのは……)
いま向かっている母校には彼女もいる。
未来の義娘であるサーシャだ。
実は彼女と顔を合わせるのは《
アランの話では、まだサーシャはシェーラが自分の父の婚約者であるということは聞いていないそうだ。
まだ彼女は何も知らない。今は普通に先輩騎士として視察すればいい。
そう考えていても、どうしても緊張してしまう。
(……アランおじさま)
小さく嘆息しつつ、シェーラは昨夜を思い出す。
きっと今回の視察でシェーラが緊張しているだろうと察して会いに来てくれたのだ。
正直、かなり――いや、凄く甘えてしまった。
ただ勇気ももらった以上、頑張らないといけない。
(……シェーラは)
シェーラは顔を上げた。
(アランおじさまの――アランの妻になるのだから)
義母として情けない姿は見せたくない。
自分の両頬を叩くような真似はしないが気合いを入れ直すシェーラだった。
サーシャのことで頭がいっぱいで背後の圧力に気付くことはなかったが。
まあ、いずれにせよ。
視察団が母校に到着するのはもう間近だった。
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