第五章 おっさんたちの懊悩

第594話 おっさんたちの懊悩①

 さて。

 オオクニ=タチバナとは何者か。

 彼のことを少しでも知る者は必ずこう答える。

 彼は『伝説の傭兵』であると。


 名の知れた傭兵は多い。

 それこそオトハにしてもアッシュにしてもその名は知られている。

 しかし、伝説とまで謳われるのはオオクニだけだった。

 それほどまでに彼の戦歴は苛烈だった。


 曰く、一機で敵城を落とした。

 曰く、固有種を単独で討伐した。

 曰く、殿を担った結果、追撃軍を逆に殲滅した。


 どれも作り話にしか聞こえない逸話ばかりだが、彼と会う者は誰もが、それが事実であってもおかしくないと思うらしい。


 彼が常に放つ巨大すぎる気配オーラがそれを伝えていた。


(意外と良い街だな)


 そんな恐るべき戦鬼は、のんびりと日が暮れた街を歩いていた。

 平和の国と名高いアティス王国の王都ラズン。

 表通りだからかも知れないが、整地の丁寧さや治安の良さが窺える街並みだった。

 夜に入った時刻でも楽しげに笑う子供の姿が所々にある。

 オオクニは双眸を細めた。


(良い街なのはいいが、ここにオトがいんのか)


 次いで、ボリボリと頭をかいた。

 伝説の傭兵と呼ばれるオオクニではあるが、弱点もある。

 それがたった一人の愛娘であるオトハ=タチバナだった。

 オオクニと同じく傭兵であり、傭兵団の副団長も務めている。

 今は修行として一人旅をさせているのだが、どうも手紙によると休職中でこの国の騎士学校の臨時講師なんぞをやっているらしい。


(あいつは何やってんだが)


 オオクニは苦笑を浮かべた。

 手紙には惚れた男のところで世話になっているらしい。

 奥手な娘にしては中々思い切ったものだ。

 しかし、純情なオトハのことだ。

 そこから先はほとんど進展していないような気がする。


(まあ、アッシュの奴にも事情があるかんな)


 死んだ恋人のことを今でも思い続けているのか知れない。

 オトハが踏み込めないのもそれが原因だろう。

 オオクニのその推測は間違ってはいない。

 だが、如何せん情報が古かった。

 ましてや今の娘たちの現状など想定もできないことだった。


 ともあれ、


(オトは潔癖なところもあるかんな)


 オオクニとしては頭を悩ませることがまだある。

 それがユエ――新しい妻のことだった。


(もう嫁はとらねえつもりだったんだがな)


 オオクニは嘆息する。

 実は娘のオトハも知らないことだが、オオクニが妻を娶るのは三人目だった。

 オトハの母の前にもう一人、前妻がいたのである。最初の妻だ。

 ただ、彼女もオトハの母も傭兵であり、戦場で失っている。

 死は戦場の隣人だ。

 どれほど強く相手を想っていても死は容赦なく訪れる。

 二人の妻の死から、三人目は娶らないとオオクニは誓っていた。

 しかしだ。


(……年甲斐もなくやられちまったなあ)


 歩きながら思わず渋面を浮かべるオオクニ。

 あのユエの天真爛漫さに。

 全く隠そうともしない圧倒的な好意に。

 何より獲物・・を決めた時の獣人族の女戦士の狡猾さに。

 噂には聞いていたが、ユエも例外ではなかったらしい。


(女ってのは強かだな)


 オオクニは嘆息する。

 ユエが脳筋なのは確かだ。

 天真爛漫であることも間違いない。

 しかし、ユエはただそれだけの女ではなかったのだ。

 あの柔軟な搦め手を戦闘に活かすつもりはないのかと思ったぐらいだ。

 ともあれ、遂にオオクニは折れて、彼女を三人目の妻に迎えた。

 団員たちは驚きながらも祝福してくれたものだ。


 ただ、やはり気にかかるのはオトハのことだ。

 なにせ、娘と三歳差の後妻を娶ったのだ。


 流石にとんでもない話だとオオクニ自身も理解している。

 しかもユエはすでに懐妊している。

 オトハにとってはいきなりの異母弟妹の誕生である。


(どうやってオトに切り出したらいいもんか……)


 本当に悩みどころだった。

 まさかユエの方がオトハと先に再会し、すでに事実のすべてを告げ終わっているとは夢にも思わないオオクニだった。


(う~ん……)


 あごに手をやり、オオクニは考え込む。

 と、その時、何やら旨そうな匂いが漂ってきた。

 一つの店舗が目に入る。

 どうやら食堂兼酒場のようだ。


(ふむ)


 オオクニは足を止めた。

 少しばかり小腹が減っている。


(腹が減ってりゃあいい案もでねえか)


 オオクニとしては、この国でユエの出産を迎えるつもりだった。

 そのため、長期滞在を役所で手続きをしてきたのだが、結構時間がかかるかも知れないと考えて、ユエには先に夕食をとっていてくれと告げていた。


(丁度いい。飯でも食っていくか)


 オオクニはそう決めて店舗に入った。

 時刻としては夜の六時半過ぎ。

 丸いテーブルが点在するように並ぶ店内。

 やや夕食には早い時間帯なのか客の数は少ない。

 だが、そのためか少し目を引く客たちがいた。

 この国の騎士たちのようだ。

 二人が同じテーブル席に座っている。二人とも四十代半ばの男だ。一人は黄色い騎士服。もう一人は同じデザインの赤い騎士服を着ていた。違う部隊の者かも知れない。ただ、赤い服の騎士の方は何故かブレストプレートを装着していた。


(何だありゃあ?)


 オオクニの目を引いた理由でもある。

 ブレストプレートなど傭兵のオオクニでも滅多にみない骨董品だった。

 しかも同じ席の椅子にヘルムまで置かれている。

 オオクニは何となく彼らの近くのテーブル席に腰を下ろした。

 ウエイトレスがオオクニの元に注文を聞きに来る。

 オオクニはまず発泡酒を注文した。料理は後でと告げた。

 ウエイトレスはすぐに発泡酒を持ってきた。

 オオクニは、メニューから簡単な肉料理を選んだ。

 ウエイトレスが去り、手持無沙汰になったオオクニは発泡酒を味わっていた。


(……ほう)


 値段の割には上質な味だった。

 ユエが喜びそうな味だ。後で教えてやろう。しかし、ユエは大酒飲みなので量は気にかけなければならない。なにせ身重なのだ。

 そんなことを考えていると、ふと騎士たちの会話が耳に入って来た。


「……なあ、ガハルド」


 赤い服の騎士が言う。


「どうすればいいと思う? サーシャにどんなタイミングで紹介すればいい?」


「……いや、もう再婚相手がいるって話はしたんだよな?」


 黄色い服の騎士が渋面を浮かべて返す。


「その時、あの子はどんな様子だったんだ?」


「……驚いてはいたが、反対的ではなかったと思う」


 テーブルに突っ伏しながら、赤い服の騎士が答える。


「なら、もう素直に紹介するしかないだろ」


 黄色い服の騎士が嘆息した。


「まあ、初めて聞いた時は俺も驚いたが、再婚の決意はしたんだろ? なら覚悟を決めてサーシャと引き合わせるしかないだろ」


「分かっているよ! けどな!」


 赤い騎士は立ち上がって声を上げた。


「サーシャとシェーラは三歳差なんだぞ! 三歳差の義母と娘なんだぞ! 流石にどうやって引き合わせたらいいんだよ!」


「――ぶほうッ!」


 何となく二人の話を聞いていたオオクニは思わず吹きだした。

 あまりにどこかで聞いたような話だったからだ。

 二人の騎士が、ギョッとしてオオクニに注目する。


「……ああ~、すまねえ」


 オオクニは二人と視線を合わせた。


「意外な話を聞いたからな。思わず吹いちまった」


「……あなたは?」


 黄色い服の騎士が眉根を寄せた。

 オオクニは苦笑を浮かべる。

 特に赤い服の騎士の方を見据えて。


「いやなに。俺は通りすがりの傭兵さ。ただ……」


 どうにも彼に親近感を憶えながら、オオクニはニカっと笑った。

 そうしてこう告げるのだった。


「どうも同じ悩みを持つ者同士みてえだなと思ってな」






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