第593話 スクランブル・サミット2④

 夕刻。

 クライン工房にて。

 今日の分の仕事を一通り済ませたアッシュは少し手持ち無沙汰になっていた。

 夕日の差し込む作業場に目をやり、


「今日は早めに閉めるか」


 アッシュはそう呟く。


「……ン? ソウカ?」


 ガシュン、ガシュンと独特の足音を立てて工具を運んでいた九号が立ち止まると、アッシュに顔を向けた。


「……ソロソロ、ユーリィガ、カエッテクルノカ?」


「ああ。そうだな」


 アッシュはあごに手をやった。


「シャルと一緒に返ってくるはずだ。しかし」


 そこで眉根を寄せる。


「そういやオトがまだ帰って来てないな」


 今日はオトハが夕飯の支度をすると言っていた。

 サーシャの相談に乗るためにシャルロットとユーリィが少し残るからという話だった。そのため、今日はオトハが夕飯を受け持つと言ってくれたらしい。

 しかし、夕刻となった今でもオトハが帰ってこない。


「なんかトラブルでもあったか?」


 アッシュはそう呟く。

 真面目なオトハが時間通りに来ないことは珍しい。

 何かしらのトラブルに巻き込まれた可能性が考えられる。

 オトハの実力は超一流だ。大抵の荒事ならば自力でどうにかするだろうが、少し心配にもなる。オトハは『迂闊姫』でもあるからだ。


「迎えにでも行くか」


 アッシュがそう考えた時だった。


「ク、クライン! クライン!」


 アッシュを呼ぶ女性の声が作業場に響いた。

 アッシュと九号が目をやると、入り口にオトハが立っていた。

 恐らく夕飯の食材の入った紙袋を手に、どこか青ざめていた。

 ともあれ、無事帰宅したようだ。


「おう。おかえり」


 アッシュがそう告げると、オトハはその場に紙袋を落とした。

 そうして青ざめた顔のまま、アッシュの元に駆け寄った。

 ガッと強く、オトハはアッシュの両腕を掴み、


「ク、クライン! クライン! クラインッ!」


 アッシュの名前を呼び続けている。


「おい。オト」


 アッシュは眉をしかめつつ、


「俺のことはアッシュと呼べって」


「――アッシュ!」


 オトハは素直に従った。

 しかし、


「アッシュ……トウヤ! どうしよう!」


 続いて呼ばれた名前にアッシュは面持ちを鋭くした。

 その名はオトハと本当に二人きりの時しか呼ばない名前だった。


「……おい。オト」


 アッシュはオトハの両肩を掴んだ。


「どうした? 何かあったのか?」


 よほどのことがあったのか。

 そう察して詳細を尋ねる。

 オトハはコクコクと勢いよく何度も頷いて、


「さ、三歳差の母親が出来たんだ……」


「…………は?」


 アッシュは目を瞬かせた。


「いや、何を今さら……ああ、そっか。直接確認したのか」


 サーシャの義母がシェーラ=フォクス嬢かもしれないというのは、あくまでアッシュの推測だった。

 それを直接確認したということなのだろうか。


「まあ、流石に驚くことかもしんねえが、当人のサーシャならともかく、お前がそこまで動揺するようなことでも――」


「ち、違うんだ!」


 オトハは、今度はブンブンと頭を横に振った。


「弟か妹まで出来てたんだ!」


「―――へ」


 これにはアッシュも目を丸くした。

 が、すぐにオトハの肩をさらに強く掴んで、


「おいおいマジか! フォクスさん、おめでたなのか! いや、けど、サーシャの親父さんと付き合い始めたのってそんなに期間は長くねえんじゃあ……」


 少なくとも二ヶ月半ほど前の《夜の女神杯ルナミスナイツ・カップ》の時はまだ付き合っていないはずだ。

 でなければ、ゴドーが暗躍するはずもない。


「計算が合わなくねえか?」


 アッシュが首を傾げてそう呟くと、


「だから違うんだッ!」


 オトハが再びアッシュの腕を掴んで叫んだ。


「サーシャのことじゃない! 私のことなんだ!」


「………は?」


 眉をひそめるアッシュ。

 オトハはさらに「だから!」と叫び、


「私の父さまのことだ! 私より三歳年上の後妻を娶って、しかもすでに懐妊までしているんだ! 私の弟か妹が産まれるんだ! 変だと思っていたんだ! ガサツなあいつがあんなドレス――マタニティドレスなんか着てるのは!」


「…………………」


 アッシュは沈黙する。

 それは五秒、十秒と続き、


「………え?」


 ようやくそんな声だけが零れた。

 何を言われたのか今でも完全には理解できていなかった。


「い、いや、オト?」


 アッシュは困惑しつつ尋ねる。


「それ、何の話だよ? サーシャの親父さんの話じゃあ?」


「違う! サーシャとは全くの別件だ!」


 オトハは叫ぶ。

 彼女自身困惑していた。


「父さまの嫁本人から聞いたんだ!」


「いやいや。少し落ち着けよ、オト」


 アッシュは少し屈んでオトハと視線を合わせた。


「訳わかんねえぞ。なんでオトが……その、団長の新しい嫁さん? その人から話を聞けるんだよ。この国にはいねえだろ?」


「いたんだよ!」


 オトハはもう泣きそうな顔をしていた。


「私だって想定外だった! けど、街中でばったり会ったんだ! もともと顔見知りだったからあいつの方から気付いた! しかもだ!」


 オトハは最も肝心なことを告げた。


「父さままでこの国に来てるらしい!」


「……………は?」


 オトハの肩を掴んだまま、アッシュは唖然とした。

 オトハの言葉はさらに続く。


「団から離れて今はいわゆる新婚旅行中らしい! 私に挨拶しに来たって!」


 アッシュの腕をぐいぐい引っ張るオトハに、アッシュは言葉もなかった。

 オトハの父。オオクニ=タチバナ。

 アッシュの恩人であり、いずれは義父と呼ぶことになる人だ。

 サーシャの父同様に、オトハを嫁にする際には正式な挨拶をしなければならないと常々考えていた相手だった。

 しかし、今は遠い大陸にいるため、その機会がなかったのだが、まさか相手の方かこの国に訪ねてくるとは――。


「ど、どうしよう! トウヤ!」


 普段の凛々しさもなくオトハはもう泣きそうだった。


「父さまが来てる! 私はお前とのことをどういうふうに説明すればいいんだ! 一夫多妻なんて許してくれるのか!? というより挨拶って何なんだ!? そりゃあ、あいつも二十五だし、恋愛は自由だと思うけれど! けど相手はあの父さまだぞ! 何がどうなってあいつが父さまの嫁になれたんだ!?」


 オトハはグルグルと瞳を回して、


「秘策の孫もまだなのにどうして弟妹の方が先に産まれるんだ!?」


「いや、秘策の孫って……」


 動揺しつつもツッコミを入れるアッシュ。


 兎にも角にも。

 結婚狂騒曲が鳴り響くのは一組だけではなさそうだ。

 そんなことを思うアッシュだった。






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読者のみなさま。

いつもお世話になっております。雨宮ソウスケです。


ご報告があります。この度、第4回HJ小説大賞後期にて

拙作の一つ『エレメント=エンゲージ ―精霊王の寵姫たち―』が受賞となりました!

ありがたいことです!


ですが、一つお詫びしたいことがあります。

現在、リソースというか思考がどうしても『エレメント』に引っ張られてしまって

『クライン』の方の執筆が大きく滞っています(-_-;)


期待や不安で浮足立って『クライン』にきっちり思考が切り替えられない。

ストックもジリ貧です。

これは品質が落ちてしまいそうな悪い兆候です。


受賞に関係なく『エレメント』は現在一番勢いがあって優先しているのですが、当然ながら

他の連載作品の『クライン』『悪竜』『骸鬼王』にも強い思い入れがあります。


どれも中途半端な品質にはしたくないのが本音です。

申し訳ないのですが、しばらく『クライン』は不定期更新にさせていただきたいのです。


本当にすみません。

何卒ご了承ください。m(__)m

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