第592話 スクランブル・サミット2③

 ――戦士ユエ。

 狼の獣人族でもある彼女は傭兵団・《黒蛇くろへび》の傭兵だった。

 オトハが彼女と出会ったのは十五歳の頃だ。

 アッシュが退団して二ヶ月後ぐらいに入団したのがユエだった。

 依頼を受けてとある獣人族の里に行き、そのまま付いてきたのが縁だ。


 その性格は豪放でまさに戦士。

 というよりも、蛮族そのものだった。


(……ユエか)


 とある食堂にて。

 オトハは渋面を浮かべていた。

 二人で丸テーブルを挟んで座っている。

 目の前にいるのはユエだ。

 特盛のステーキを注文してガツガツと食べている。


(……変わらないな。こいつは)


 彼女の豪快な食べ方にオトハはそう思う。

 ユエを言い表すのなら蛮族という言葉が相応しい。

 頭は良いのに言葉を憶えるのが面倒で口調はやや片言に近い。

 入団してもしばらくは毛皮を纏っていた。

 入浴さえも嫌がるほどだった。


(いや。この格好は意外だったか)


 ユエは今ゆったりしたドレスを着ている。

 オトハの知るユエは、オトハと同じく団服でもあるクマンオオトカゲの革から作った革服を着ていた。ただし、ユエの場合はかなり露出が多かったが。

 とにかく今のユエは印象がかなり違う。

 おかげでオトハがすぐには気付けなかったほどだ。


「美味いな! この肉!」


 ユエが肉塊サイズの肉に喰らいつく。

 こうして間近で見ると変わらないのだが。

 入団当時のユエは十八歳。団の中ではオトハが唯一の同世代だった。そのため、オトハが指導員をすることになった。まさにアッシュと入れ替わる形だった。

 しかし、一を言えば十を理解するアッシュに比べ、ユエはとんでもない問題児だった。

 なにせ、彼女は鎧機兵を使おうとしないのである。


『鉄臭いから嫌だ』


 そう言って頑なに乗らなかった。

 それは完全に我儘だった。普通ならば限界を知る。

 アッシュでさえ素手では鎧機兵に勝てないのだ。

 ユエもいずれ限界を知る。

 オトハはそう考えていたのだが、ユエはあまりにもとんでもなかった。

 彼女は大剣だけで鎧機兵を仕留めるのである。


 鎧機兵にも弱点はある。

 例えば装甲では覆えない関節部だ。

 獣人族の身体能力を発揮し、彼女は的確にそこを突く。鎧機兵を戦闘不能にさせて自分の得意な対人戦に持ち込むのがユエの戦法――狩りの仕方だった。

 当時のオトハは唖然としたものだ。こうも自分の戦闘スタイルを確立されては、オトハとしては何も教えることが出来なくなってしまった。

 団長である父も『そいつは仕方がねえな』と苦笑いを浮かべるぐらいだ。

 こうしてユエは《黒蛇》で唯一の鎧機兵に乗らない傭兵となったのである。


(ああ、そう言えば、こいつには他にも悪癖があったな)


 自身が注文していた紅茶を口にしつつ、オトハはユエを見据える。

 すでに皿の上は空になりつつあった。


(あれも獣人族の血なのか……)


 オトハは遠い目をする。

 ユエは団長の座をかけて父によく挑んでいた。

 しかし、それは流石に無謀だった。

 鎧機兵を翻弄する身体能力を持つユエだが、父には勝てない。

 父は別格だった。対人戦で百対一でも勝利するアッシュでさえ、父と殴り合いはしたくないと言うぐらいだ。

 当時のユエは『勝負だ!』と毎回勇ましく父に挑んだものが、その度にうんざりした様子の父に返り討ちにあっていた。

 もはや週一ぐらいの恒例儀式だった。

 少なくともオトハが一人旅の修行に出る日までその慣習は続いていた。


(懐かしいな)


 オトハは瞳を細める。


(だが、いま気になるのは別のことだな)


 オトハは紅茶をテーブルに置いた。


「ユエ」


 彼女の名前を呼ぶ。

 ユエは「ん?」とオトハの方に顔を向けた。


「お前、どうしてこの国にいるんだ?」


 オトハは問う。


「もしかしてうちの団がこの国に来ているのか?」


 団員であるユエがここにいるのだ。

 傭兵団・《黒蛇》がこの国に来ていてもおかしくない。

 最近知ったことだが、意外とこの国には傭兵団が訪れるらしい。

 仕事ではなく休暇のためだ。

 戦闘を生業とする傭兵にとってこの国は却って興味深いらしい。オトハがこの国にいることは手紙で伝えていたので《黒蛇》もこの国に休暇で来たのかも知れない。

 しかし、だとしたら、


(……父さまも来ているかもしれないのか)


 オトハは内心で冷や汗をかく。


 傭兵団・《黒蛇》の団長。

 オトハの実父。オオクニ=タチバナ。

 その強さはもはや伝説級の傭兵でもある。

 父とは不仲ではないが、今はまだ会いたくないともオトハは思っていた。

 アッシュとの仲――サーシャたちも含む――を父に認めてもらうことはかなり困難な気がしていた。アッシュとしては真正面から告げる気のようだが、何というか血の雨が降るような予感がしてならない。

 それは避けたいところなので、オトハも秘策を考えている。


(けど、まだその秘策の準備が整っていないからな)


 知らずの内に自分の腹部に手を添えつつ、オトハが沈黙していると、


「ん? 団か? 《黒蛇》は来てないぞ」


 ユエがそう答えた。

 オトハは「そうなのか?」と眉をひそめた。


「ならなんでお前はここにいるんだ? 一人なのか?」


「ユエか? ユエは一人じゃない」


 ユエは指を二本立てて言う。


「二人だ。あ、違った」


 指をもう一本立てた。


「三人だ。三人で来た」


「そうなのか? 誰と来たんだ?」


 オトハがそう尋ねると、ユエは「ん」と少し肉汁のついた指を舐めて、


「オオクニとだ」


(―――うぐっ!)


 思わずオトハは呻き声を上げそうになった。

 傭兵団こそ来ていないが、父は来ているらしい。


「ユエ」動揺は隠しつつオトハは言う。「父を呼び捨てにするな。団長だぞ」


「ん。確かにオオクニは団長だな。けど」


 ユエは小首を傾げた。


「なんで呼び捨てはダメなんだ?」


「いや、あのな」


 オトハはかぶりを振った。


「体裁というのがあるだろう。団員が団長を呼び捨てにするな」


「んん? 何か変。どうしてオトハがそんなことを言う?」


 ユエは腕を組んで再び小首を傾げた。


「ユエ?」オトハは眉根を寄せた。「私はそこまで難しいことを言っていないぞ。お前の里で例えるのなら、里を守る戦士が里長を呼び捨てにしないだろう?」


「ん。確かに。けど、どうしてユエがオオクニを呼び捨てしたらダメなんだ?」


「……ユエ?」


 どうも話が噛み合っていない。

 オトハが困惑した表情を見せた。

 すると、ユエは「あ、そっか」と柏手を打った。


「オトハはまだオオクニに会ってないんだな。何も聞いていないのか」


 そう告げる。

 それからユエの言葉を続けた。

 それはいわゆる近況報告。

 簡潔であり、実にあっけらかんとした報告だった。


 だが、その内容を聞いて――。


「……………………は?」


 オトハは、ただただ唖然とするであった。







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