第568話 太陽の王と悠久の乙女③

 ルカを救出したアッシュは急ぎ場所を移動した。

 ルカを背に、相棒を駆ってその場から離れる。

 あのジジイが戻って来るのを待ち構えるという選択肢もあったが、ルカの体調が心配でとりあえず安全圏に移ることを優先したのだ。

 そうして二十分ほど、大樹の枝から枝へと跳躍を続けて――。


 ……ズズンッ!

《朱天》は地面に着地した。


 鋼の鬼は周囲を見渡した。

 大樹海の中でも比較的に大きな広場だ。

 周囲には獣や魔獣の気配もない。


「……ここならひとまず休めるか」


 アッシュは息を吐いた。

 ここならば野営も可能だ。


「……ギャワ!」


 同時にオルタナが騒ぎ出す。


「……ルカ! ルカ! ダイジョウブカ!」


「う、うん……」


 アッシュの背中に掴まっているルカが頷く。


「大丈夫だよ。怪我もない……」


「あのジジイに酷いことされてねえか?」


 アッシュも心配そうに尋ねる。

 それにもルカは頷いて「は、はい」と答えた。


「さっきの樹の中には部屋があったん、です。私はそこに監禁されていて」


 そうしてルカは自分の脱出劇を語った。

 想像以上に行動的な王女さまに、アッシュは目を丸くした。


(そういえば昔、サーシャも攫われた時、自力で脱出しようとしたな)


 とある遊覧船での事件を思い出す。

 サーシャやアリシアの性格と比較すると、とても大人しく見えるルカも、正しく彼女たちの幼馴染であり、妹分であるということか。

 そんなことを感じて思わず苦笑を零すアッシュ。


 ともあれ、今は野営の準備だ。

 アッシュは《朱天》の胸部装甲を開けて、地面に降りた。


 大樹海の夜は暗い。

 月や星の輝きが大樹の天蓋に遮られて届きにくいからだ。

 だが、ここは比較的に明るかった。

 月光が一筋の光となってこの場を照らしていた。


「さて」


 アッシュは振り向いた。


「降りれるか? ルカ嬢ちゃん」


「は、はい」


 そう告げるが、やはりかなり体力を消耗していたのだろう。

 おぼつかない様子で進み、操縦席の縁で躓いてしまった。


「おっと!」


 アッシュは外に放り出されるような形になった彼女を咄嗟に抱き止める。

 ルカはアッシュの肩にしがみつく体勢になった。

 オルタナはルカの肩に掴まっていたため、同じく放り出されたのだが、そのまま飛翔することで落下は免れていた。


「……大丈夫か?」


 彼女の腰、首筋を掴んだまま、アッシュはルカに問う。

 が、ルカは何も答えない。

 普段は隠されていることの多い水色の瞳でアッシュを見つめていた。


「……ルカ?」


 アッシュは少し困惑する。

 すると、その時だった。

 おもむろに、アッシュの肩に手を回していたルカの腕の力が強くなって……。




『トウヤは隙だらけなのよ』




 唐突に。

 アッシュは、そんなサクヤの台詞を思い出した。

 そして気付いた時には唇が重なっていた。


(………は?)


 柔らかな感触。

 目の前の少女に唇を奪われたのである。

 さしものアッシュも唐突すぎて凍り付いてしまった。

 そうして、


「…………」


 数秒ほど経ってルカは唇を離した。

 二人は至近距離で見つめ合った。

 ややあって、


「……私は」


 ルカが唇を動かした。


「あなたが好きです」


 告白された。

 アッシュは何も答えない。

 ただ、一瞬脳裏に浮かんだことがある。

 危機的状況において自分を守ってくれる、助けてくれる相手に好意を抱く。

 彼女の今の心境はそんな感じではないか。


 だが、すぐにその考えを振り払う。

 アッシュとて、ここまで来たら少しは想像もできるのだ。


「オトにサクヤ。サーシャ……」


 一拍おいて、


「レナ、そしてシャル……」


 アッシュは渋面を浮かべて尋ねる。


「全部、知ってんだよな?」


「はい」


 ルカは微笑んだ。


「ユーリィちゃんが確約されていることも」


「……………」


 アッシュはますます渋面を浮かべた。


「そもそも、です」


 ルカはアッシュの首に両腕を回した。


「みんなに、一夫多妻を推奨したのは、私ですから」


「………は?」


 アッシュが目を丸くした。


「みんなで」


 ルカは満面の笑みを見せる。


「幸せに、なりたいから」


(………おおう)


 思わぬ黒幕の登場にアッシュは言葉もなかった。

 要は全員で結託していた訳だ。

 道理で秘事に至るまで情報が筒抜けのはずである。


「アッシュさんは」


 ルカは、真摯な眼差しで言葉を続ける。


「私のことをどう思っています、か?」


 アッシュは沈黙した。

 そして、


「……正直」


 数十秒後、アッシュは告げる。


「ルカが攫われた時、本当に肝が冷えた」


「…………」


 ルカは静かに耳を傾けている。


「何がなんでもお前を取り戻す。誰にも奪わせねえ。そう思った」


「……そうですか」


 ルカは微笑んで、アッシュに体を寄せた。


「それで、どう、ですか?」


 ルカは問う。


「こうして取り戻して、アッシュさんは私を手離したい、ですか?」


「……………」


 アッシュは無言だ。

 が、しばらくして小さく嘆息した。


「この姉にして、この妹ありか……」


 サーシャの行動力を思い出す。

 ルカは「ふふふ」と笑った。


「私たちは、みんな確信犯、ですから」


「………ハァ」


 溜息しか出てこない。


「……ルカ」


 アッシュはルカの腰を支えたまま語る。


「確かに俺にとってルカは大切だ。誰にも奪われたくねえ気持ちはある……」


「……はい」


 ルカは、静かに頷いた。


「だけどな」


 アッシュは言葉を続ける。


「お前はまだ十五歳。子供なんだ。これから色んな出会いがある」


「…………」


「だからな。お前は――」


「……えい」


「――うおっ!?」


 何かを言おうとしたアッシュの頭を掴み、自分の胸元に押し付けて黙らせるルカ。

 そして、


「アッシュさんの言い分は分かり、ました。だけど」


 一拍おいて。


「子ども扱いしないで。それを理由にしないで。アッシュさんは一人の男性として、私が誰かの腕の中で甘い声を零すのを、我慢、できますか?」


「…………」


「例えば、初めて出会った時にいた、山賊さんとか……」


 そんな例えを挙げるルカに、


「……言う台詞が」


 アッシュは顔を上げて、深々と嘆息した。


「本当にサーシャそっくりだな」


「幼馴染、ですから」


 ルカは微笑んだ。


「素直な、アッシュさんの気持ちを聞かせて、ください」


「……………」


 アッシュは沈黙する。

 それは長い沈黙だった。

 その間も彼女はずっとアッシュを見つめている。


 そうして、


「…………ハァ」


 どれぐらいの時間が経っただろうか。

 ようやく、アッシュは口を開いた。


「……分かったよ。俺の負けだ。マジで連敗だな……」


 そう告げて、ルカの体を強く抱き寄せた。

「……あ」と息を呑むルカに、


「ルカ」


 彼女を抱きしめたまま、アッシュは真剣な面持ちで宣言する。


「お前の未来は俺と共に在る。お前は俺の女だ。王女だろうが関係ねえ」


「……アッシュさん」


 ルカは瞳を細めた。


「ありがとう。けど……」


 ルカは悪戯っぽく微笑んだ。


「それなら証を、ください。私があなたの女であることの……」


「……いや、それは……」


 アッシュは困った顔をした。

 しかし、ややあって小さく嘆息し、


「……分かったよ。俺も肚を決めた。こいつが婚約の証だ。ルカ」


 言って、ルカの唇を奪った。

 ルカからしたキスとは違う。何かを刻みつけるような力強いキスだ。

 一瞬、目を見開いていたルカだが、徐々に瞳を閉じた。


 数秒ほど経って、ようやく二人の唇は離れた。

 ルカの瞳は熱を帯びて潤んでいた。


 ――が、そのまま五秒、十秒と経過し、


「……アッシュ、さん?」


 上目遣いに、ルカは自分の唇を指先で押さえた。


「……これで、終わり? 続きは?」


「いや、続きって……」


 アッシュは、ずっと抱きしめていたルカをようやくその場に降ろした。

 ルカは頬を朱に染めたまま、アッシュを見上げた。


「続きは一年……いや二年後だ」


 と、アッシュは告げる。

 数瞬の間。


「……むむ、です」


 おもむろに、ルカは頬を膨らませた。


「どうして、ですか? 今は二人きりなのに。サーシャお姉ちゃんとは、もうエッチまでしたのに……」


 そんなことを言うルカに、アッシュは渋面を浮かべた。


「サーシャはもう結婚もできる。この国の法律的にも大人だしな」


 そう答える。

 しかし、正直なところ、サーシャに押し負ける形になってしまったことは、かなり年上である自分としては相当反省しているのだ。

 ここでさらに年下のルカ相手にまで押し負ける訳にはいかない。


「ルカとの未来のことは真剣に考える。ルカを迎えられるように努力する。さっきのはその覚悟だ。けど、今はここまでだからな」


 と、毅然とした態度で告げる。

 すると、ルカは「……むむむ、です」と呟き、何故か後退して間合いを取った。

 そして、


「えいっ!」


「――うおっ!」


 ルカは駆け出すと、全体重を乗せてアッシュに跳びついた。

 流石のアッシュも不意打ちで支え切れない。

 二人は地面に倒れ込んだ。

 アッシュを下敷きにルカが馬乗りになるような形だ。


「お、おい。ルカ……」


「……ふふふ」


 すうっと。

 ルカは操手衣ハンドラースーツの胸元に触れて自分でゆっくりと下した。

 中央が切り裂かれたように別れていく。

 それも胸元だけではない。腹部に至るまでもだ。

 解放された豊かな双丘が揺れ、彼女の白い肌が月光に照らされて露になる。


「おい!? ルカ!?」


「……キスまでなら……」


 ルカは、アッシュの頬に両手をやった。


「キスまでならOK、なんでしょう? けど、アッシュさんは……」


 悠久に輝く月を背に、ルカは微笑んだ。


「我慢、できますか? 男の人として」


 奇しくも、ここでもサーシャと同じような台詞を言う。


「……私は……」


 唇に指先を当てる。


「誓いの証なら、ここよりも……」


 指先をゆっくりと腹部へと移動させた。


「……ここの方が、いいです」


 そんなことを言い放った。


「お、おい、ルカ」


 流石にアッシュも顔を強張らせて焦る。

 ルカは、熱を帯びた眼差しでアッシュを見つめていた。


 大人しい性格であっても、ここぞという時のルカは最も行動力がある。

 それを思い知るアッシュだった。


 ちなみにオルタナは空気を読んで、遠くで遊覧飛行を楽しんでいたりする。

 この場には、二人しかいなかった。


「……アッシュさん。大好き……」


 そう告げて、ルカの唇が近づいてくる。


 かくして。

 大樹海の夜は更けていくのであった。








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