第567話 太陽の王と悠久の乙女②

 時間は三時間ほど遡る。

 すでに日が沈んだ森の中で。


「……どうにかなったな」


 アッシュは工具箱を片手にホッとした表情を見せていた。

 傍らには両膝をつく《朱天》の姿がある。


「……ナオッタカ! ヘンジン!」


 上空を旋回していたオルタナがアッシュの肩に止まった。


「ああ」


 アッシュは苦笑を浮かべつつ答える。


「人工筋肉が断裂しかけていたり、予想していたよりも損耗は激しかったが、いくつか予備パーツに変えてどうにかなったよ」


「……ウム! ソウカ!」


 嬉しそうにオルタナは翼を広げた。


「……コレデ、マタ、タタカエルカ!」


「ああ」


 アッシュは頷く。


「少なくとももう一戦は可能だな」


 そう言って、相棒に目をやった。

 巨象との戦いには、やはり相当なダメージを受けていた。

 内部はもちろんのこと、装甲にも幾つもの傷がある。

 五体こそ健在ではあるが、とても万全と呼べる状態ではない。


「出来ることなら一度、工房に連れて行ってやりてえところだが……」


 流石にそうもいかない。


「もうひと頑張り、頼むぜ。相棒」


 アッシュは《朱天》の装甲をコツンと拳で叩いた。

 これぐらいの危機は今まで何度もあったものだ。

 この程度で参るような相棒ではない。


「さて」


 アッシュは工具箱を《朱天》のバックパックにしまうと、肩に止まるオルタナを連れて操縦席に乗り込んだ。

 操縦シートに座り、胸部装甲ハッチを閉じて《朱天》を起動させる。

 胸部装甲の内面に外の映像が映し出された。


「……ルカヲ、サガスノカ?」


「出来ればそうしてえんだが……」


 アッシュは小さく嘆息する。


「流石にこの大樹海の中じゃあ見つけられねえよ。固有種の方の気配を探る。残り何体かも確認しておきてえしな」


 そう告げて、アッシュは《朱天》を跳躍させた。

 もう少し開けた場所で《星読み》を使うつもりだった。

 大樹の枝から枝へと跳躍し続ける。

 そうして、大樹の間からやや大きな広場が見えてきたその時だった。


「……ギャワッ!」


 突然、オルタナが声を上げた。

 耳元で大声を上げられ、アッシュは眉をひそめた。


「おいおい。いきなり大声出すなよ」


 と、オルタナに文句を言おうとしたら、


「……ミツケタ!」


 オルタナは翼まで広げてさらに叫んだ。


「……ルカ、ミツケタ!」


「――なに!」


 アッシュは目を瞠った。

 同時に《朱天》が大樹の枝に着地して制止する。

 視線をオルタナに向ける。


「どういうことだ? オルタナ!」


「……ジュシン、シタ! ジュシン、シタ!」


 オルタナはそう叫ぶ。


「ジュ、シン……?」


 眉根を寄せるアッシュ。

 が、すぐにハッとする。


「まさか発信機か! ルカ嬢ちゃん、そんなものまで用意してたのか!」


「……ソウダ!」


 オルタナが肯定する。


「……ルカカラノ、ハッシンヲヒロッタ! チカクニイル!」


「マジかよ……」


 アッシュは目を見開くほどに驚いた。

 これは望外の事態である。

 正直、自分とは思えない幸運である。


「残りの人生の運でも使い切っちまったのか?」


 思わずそんな台詞を口にする。

 が、すぐに思い直した。

 仮に自分の運をすべて使ったとしてもこんな幸運は訪れない。

 それぐらいに自分の不運は理解している。

 だとしたら、これは――。


(……ルカ嬢ちゃんの方の運か)


 ほんわか王女さまのことを思い浮かべる。

 自分と違って、あの子は天に愛されていそうだ。

 まさしく幸運の女神である。


「……ははっ」


 つい笑みも零れてくる。

 が、すぐに、


「よし」


 アッシュは表情を引き締め直した。

 まさに千載一遇の好機だ。ここを逃す手はない。


「オルタナ」


 肩のオルタナを一瞥して声を掛ける。


「ルカ嬢ちゃんのところまで案内できるか?」


「……ウム! マカセテオケ!」


 オルタナは自信満々に答えた。



       ◆



 十分前。

 夜となった大樹の枝の上でルカは一人震えていた。

 両肩を押さえて、しゃがみ込んでいる。

 寒い訳ではない。

 彼女の纏う操手衣ハンドラースーツは防寒性にも優れている。

 おかげで夜になってもそこまで寒さを感じることはないが、ルカが震えているのは、緊張と恐怖からだった。

 あの老紳士にいつ見つかるかもしれないという緊張。

 そして、あまりにも高い場所に居続けるという恐怖だった。

 時折、強い突風も吹くため、ルカの恐怖は刻一刻と強くなっていた。


「………ううゥ」


 ずっと我慢している涙もそろそろ限界だった。

 高所の恐怖に加え、心細さで体の震えが止まらなかった。


「……仮面さん」


 強く唇を噛んで呟く。


「………うううゥ」


 名を口にした時、我慢の限界が来たのだろう。

 ボロボロと涙が零れてきた。


「……仮面さん、アッシュさん……」


 ヒック、ヒックと嗚咽も漏れる。


「アッシュさん、助けて、アッシュさん……」


 と、助けを求めたその時だった。

 黒い何かが彼女の視界の端に映った。


「え?」


 ルカは目を見開いて顔を上げた。

 直後。

 音もなく。

 ルカから少し離れた場所に巨人が現れた。

 紅い四本角に白い鋼髪。

 漆黒の竜尾を揺らす《煉獄の鬼》を彷彿させる巨人だ。

 ルカにとっては見覚えのある巨人だった。


「…………あ」


 ルカは立ち上がり、ふらふらと巨人に近づいていった。

 すると、

 ……プシュウ、と。

 黒い巨人――鎧機兵の胸部装甲ハッチが開かれた。

 その中から白いつなぎを着た青年が跳び降りていく。


「………うあ」


 ルカは誘われるように駆け出した。

 今にも倒れてしまいそうな頼りなさだ。

 事実、彼女は樹皮に足元を掬われ、前のめりに倒れそうになった。

 その時。


「――ルカ!」


 力強い腕に体を支えられる。

 ルカは「あ」と顔を上げた。

 そこにいたのは――。


「……ルカ」


 安堵した表情を見せる青年だった。


「……アッシュさん……」


 青年の腕を掴み、ルカの瞳からポロポロと涙が零れ落ちる。


「……ルカ」


 アッシュはそんな少女の頬に触れて親指で涙を拭った。


「本当に、無事で良かった」


 そうして、強く抱きしめるのだった。









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