第569話 太陽の王と悠久の乙女④

「………ふむ」


 同時刻。

 大樹の中に作られた一室にて、老紳士があごに手をやっていた。

 ――ウォルター=ロッセンである。


 ウォルターは室内を見渡した。

 しかし、ここにいるはずの王女殿下の姿はどこにもない。

 ウォルターは、壁際に倒れているテーブルと椅子に目をやった。

 それから、その上の通気口を見やる。


「あそこから逃げられたか」


 大人しい少女のように見えて、随分と大胆な行動力である。

 しかし、あの通気口は外にこそ通じてはいるが、その先は、地上から遥かに遠い大樹の幹である。とても生身で降りられる高さではない。


「逃げられはしまい。しかし」


 逆に危機的な状況とも言える。

 落下の危険もあるが、大樹海には飛翔する魔獣もいる。

 鎧機兵も持たない王女が襲われる危険があった。


「……やれやれ」


 ウォルターは嘆息した。

 大切な景品をこちらの不手際で失う訳には行かない。


「ここは仕方あるまいな」


 面倒ではあるが、ここは止む得まい。


「王女殿下をお迎えに上がるか」


 そう決断した時だった。


「その必要はない」


 不意に背後から声を掛けられた。

 振り抜くと、そこには樫の木の杖と宝珠を握る師の姿があった。


「我が師よ」


 ウォルターは一礼をしつつ尋ねる。


「何故でしょうか。ここで彼女を失うことは――」


「失う恐れもない」


 師は淡々と語る。


「月と太陽は惹かれ合うものだ。いかに闇夜で月を覆うともな。悠久なる月は、常に太陽の王と共にある」


 その台詞にウォルターは眉根を寄せるが、


「……まさか」


 すぐにその意味に気付く。


「すでにあの青年が王女殿下を救出したと?」


「その通りだ」


 師は珍しく口角を上げて告げた。


「そもそも太陽から月を離すこと自体が無意味だったな。だが弟子よ……」


 言って、師はウォルターに近づいてくる。


「お前の悪戯も無駄ではなかった。よもやの出会いがあった」


 そう告げる師はどこか嬉しそうだった。

 師の言う出会いとは間違いなくあの青年のことだろう。


「……あの青年は」


 ウォルターは率直に師に尋ねた。


「……本当に師の仰る存在なのでしょか?」


「さあな」


 師は言う。


「我とてまだ確証はない。ゆえに最後の試練だ」


「……最後の試練? 最後・・ですと?」


 ウォルターはハッと目を見開いた。


「もしや、すでにあの二頭の決着が――」


 言って、自身の遠見の宝珠を取り出した。

 そこに映る光景に目を瞠った。


「……早すぎる」


 微かに息を呑む。


「まさか、ここまで早々に決着がつくとは……」


「実力が拮抗していたゆえの結果だったな。我にとっても予想外だ」


 師はそう語る。

 そして、


「――だが」


 深淵の魔術師は告げる。


「これで、いよいよ器が完成するのだ」



       ◆



 ――翌朝。

 大樹海の一角。大樹の麓にて。

 両膝をつく相棒の前で、アッシュは一人佇んでいた。

 胸部装甲は降ろしてある。

 その装甲――胸に刻まれた黒い太陽の紋章を、アッシュは静かに見据えていた。

 黒い太陽を囲う九つの宝玉。

 昨日までは、その内の五つが紅く輝いていた。

 そして今日は……五つのままだった。

 ただし、六つ目がほんのりと紅く輝き始めていたが。


「………ハァ」


 アッシュはボリボリと頭をかいて溜息をついた。


「やっぱ、この怪奇現象ってそういうことなんだな」


 と、呟く。

 ――昨夜のこと。

 結論から言うと、アッシュはルカの猛攻を耐え切ったのである。

 まさか、普段は大人しいルカがあそこまで積極的になるとは思いもよらなかったが、それ・・だけは、まだルカには早いと自分の意志を貫き通したのだ。


 ――据え膳食わぬは男の恥ともいう。

 ましてや相手はルカほどの美少女だ。

 そんな愛らしい少女が全霊で求愛してきたのである。

 他の男が聞けば男の恥どころか、ヘタレと呼ばれても仕方がないかもしれない。


 しかし、弟の方はともかく、アッシュは断じてヘタレではなかった。

 たしかに鈍感ではあるが、一度覚悟を決めたらまるで違う。

 伊達に嫁が五人もいる訳ではない。

 むしろ、惚れた女に対しては強烈なまでに強欲であるとも言えた。

 生き別れた弟との再会前夜という特別なタイミングでもあったが、オトハの時など、まさに奪い尽くすような勢いだった。


 ルカに対してもすでに覚悟は決めている。

 ただ、それでも耐えてみせたのは、本当にルカを大切に想っているからだ。


(……とはいえ、だな)


 昨夜のルカの猛攻は本当に凄まじかった。

 特にキスまではOKという流れになっていたのがまずかった。

 恐らくたった一夜で、嫁たちの中でも最も口付けを交わしたような気がする。

 初々しく拙いキスだったが、本当に積極的で情熱的だった。

 本気の彼女を強く拒むことも出来ず、このままでは非常にまずいと思い、途中から攻守・・を入れ替えることで、ようやく無力化・・・できたぐらいだ。


「……やれやれだな」


 アッシュが額を押さえて嘆息する。と、


「……ギャワッ!」


 オルタナがどこからともなく飛んできて、アッシュの肩にとまった。

 そしてアッシュの顔を覗き込んで言う。


「……サクヤハ、オタノシミデシタネ」


「うっせえよっ!」


 アッシュは半眼でオルタナを睨みつけた。

 と、その時。


「――ひゃあっ!」


 背後で叫び声が上がった。

 オルタナを肩に乗せたまま振り返ると、毛布にくるまって眠っていたルカが跳ね起きたところだった。


「……ルカッ! オハヨウ!」


 オルタナが飛んで、ルカの上で旋回する。


「え? あ、お、おはよう」


 反射的にそう答えるが、ルカは少し寝ぼけているようだ。

 しかし、アッシュと視線が合うと、


「~~~~っっ!」


 これもまた反射的に口元を両手で隠した。

 それからすぐに首筋に両手を添えた。その顔も肌も真っ赤だった。

 昨夜のことが鮮明に思い出す。

 特に攻守・・が入れ替わってしまった後のことを――。


「は、はうゥ……」


 ぐるぐると瞳を回したまま、視線を落とした。

 途端、未だ操手衣ハンドラースーツの前面が開きっぱなしであることに気付く。


「――ひうっ!」


 慌てて前を閉じた。

 が、高鳴る鼓動が全く収まらない。

 昨夜の記憶だけが脳裏をぐるぐると回っていた。

 そして、


「……た、たった、あれだけで……?」


 湯気さえ立ちそうな真っ赤な面持ちでルカは俯いた。


「か、仮面さんが、狼さんであるの、忘れてました……」


 そんなことを呟く。

 幸いなのか、アッシュにその声は届いてなかったが。


「……はは」


 アッシュは苦笑を浮かべて告げた。


「おはよう。とりあえず飯でも食おうぜ。ルカ」









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