第518話 再び、『ドラン』へ③

 ボッ、と。

 ランタンのような鉄製の容器に納められた香木に火を点す。

 オレンジ色の火が見える。同時に、微かな匂いが周囲を満たす。

 少し心が落ち着くような匂いだ。

 しかし、この匂いが魔獣や獣にとってはかなり嫌なものらしい。


 ――反獣香。魔獣除けのアイテムである。

 効果は香木が燃え尽きるまでの三時間ほど。範囲としては半径十セージルだ。

 これで、しばらく魔獣が近づいてくることはまずない。


「さて。これで休憩できるな」


 樹の幹に置いた反獣香に火を点けたアッシュが言う。

 振り向くと、そこには、大樹の浮き出た根に腰を降ろす五人の男女がいた。

 並んで座るルカとユーリィ。間を空けてシャルロット。

 向かい側にサンクとエイミー。少し離れてジェシーが座っている。

 彼らの前にはそれぞれ小さなシートが敷かれており、そこには、パンと干しベーコン、アイスコーヒーの入ったコップが置かれていた。

 今日の昼食である。

 アッシュは、ユーリィとシャルロットの間に腰を降ろした。


「そんじゃあ、腹ごしらえしとくか」


 アッシュがそう告げる。

 各自、「いただきます」と告げて、食事を開始した。

 しばらくは無言で食事が続いた。

 しかし、量自体はさほどないので、食事はすぐに終わった。

 となると、後は談笑だ。


「ここまでは順調だったな」


 アッシュは近くに両膝を突いて鎮座する相棒に目をやった。

 その近くには、他の五機の姿もある。

 六機とも損傷はない。ここまで一度も戦闘がなかったからだ。

 多くの魔獣が跋扈するこの大樹海で一度も遭遇しないのはかなり幸運だった。


「ええ。そうですね」


 シャルロットが片手を髪に当てて森を見やる。


「この規模の森で魔獣に遭遇しないのはかなり意外でした」


「けど、その割には街道で遭った」


 と、ユーリィが言う。


「う、うん」隣に座るルカも頷いた。


「街道には、反獣響が設置されているのに、遭うとは思わなかった、です」


 肩に乗るオルタナのあごを撫でつつ、ルカが呟く。

 ルカの言う反獣響というのは、反獣香の『音』バージョンだ。

 常に魔獣や獣の嫌がる音を出す。人間にはほぼ聞こえない音だ。

 反獣香に比べれば効果はかなり薄いが、範囲はニ百五十セージルと相当に広い。

 弱い魔獣ならば効果も高い。それに加えて、反獣香とは違い、時間制限もないので、街道や各都市の防壁には必ず設置されていた。


「はは。そうだな」


 アッシュは、苦笑を浮かべた。


「森では遭わず、街道で遭うのもレアだよなあ」


「……ふふ」


 その時、シャルロットが微笑む。


「けれど、クライン君と初めて旅をした時も街道で魔獣と遭いましたね」


「ああ。あの時か」


 アッシュは懐かしむように目を細めた。


「ライクの馬車でだよな。《猪王》の群れだったか」


 もう五年ぐらい前のことか。

 とある少年から受けた依頼。彼の村に向かう途中でのことだった。


「随分と懐かしい話」


 と、その時も同じく同行者だったユーリィも懐かしそうに呟く。

 ルカだけは知らない話なので、小首を傾げていた。


「? どういうお話、なんですか?」


 素直に尋ねてくる。

 アッシュたちは互いに顔を見合わせて、苦笑を浮かべた。

 そして、アッシュが口を開く。


「懐かしい話さ。あれは五年ぐらい前のことか――」


 と、アッシュが語り出す。

 シャルロットとユーリィが微笑み、ルカが興味深そうに耳を傾ける。

 やはり仲の良いクライン一家だった。

 一方、その向かい側。


「「「…………………」」」


 サンクたち。幼馴染騎士トリオは、ずっと沈黙していた。

 サンクは緊張した様子で、何度も空になったアイスコーヒーを啜っていた。

 エイミーは、そんな彼の傍らで困った表情を浮かべていた。


「あ、あのさ」


 サンクは、意を決して口を開いた。

 少し離れて座るジェシーに対してだ。


「ジェシー。もう少しこっちに来ないか?」


 恐る恐るそう告げると、ジェシーは両手でコップを掴んだまま、


「うるさい! 何する気よ! このケダモノめ!」


 思いっきり歯を剥いた。


「奥さんにするならエイミー一人で充分でしょう! 私のことは放っておいてよ!」


「い、いや、あのな……」


 サンクは困った顔をした。


「もちろん、エイミーは奥さんにするよ。けど、オレはお前も――」


「私は伯爵さまの妻になるわ! もう放っておいてよ!」


 ジェシーはそう叫んだ。

 すると、


「放っておけるかああッ!」


 サンクがクワッと目を剥いて、ジェシーを凝視した。

 エイミーも、アッシュたちも思わずギョッとして注目した。


「ジェシーを他の男に譲る!? そんなの冗談じゃねえ! 冗談じゃねえぞッ!」


 言って、サンクは立ち上がった。

 次いで、ズンズンと、ジェシーの方に近づいていく。


「――うひゃあっ!?」


 ジェシーは、コップを放り投げて変な声を上げた。


「こ、来ないで!? 来ないでよォ!?」


 ジェシーは駆け出して、愛機の中に逃げ込んだ。

 胸部装甲が降ろされて、その中に引き籠ってしまう。


「おい! ジェシー! 開けろよ! 開けろってば! 大事な話があるんだ! オレを操縦席に入れろって!」


 サンクが、ジェシーの愛機の前で叫ぶ。と、


『う、うるさいっ! サンクの馬鹿あっ! 密室に入り込んで私に何をするつもりよ! このお馬鹿ああああっ!』


 ジェシーが拡声器越しにそう返した。

 サンクが少し焦る。


「い、いや!? 何もしねえよ!? 今はまだ!」


『まだって何よっ! やっぱりする気満々じゃないっ!』


「いや、だって、いずれはさ……」


『うるさい、うるさい、うるさァァいっ!』


 そんなやり取りが森の中に響く。

 遠くでは、エイミーが深々と嘆息していた。


「……アッシュ?」


 その時、ユーリィがアッシュの顔を覗き込んだ。


「どういうこと? あの三人、何かあるの?」


 その問いかけに、ルカとシャルロットも、アッシュに注目した。


「……………………ああ~」


 アッシュは、遠い目をした。


「そうだな。きっと、あいつらにも色々あんだよ」


 そうとしか答えられなかった。


「ジェシー! いいから開けろよ!」


『やあっ! 絶対やあああっ!』


 叫び声は続く。

 いつしか、エイミーもジェシーの機体の傍にいた。


「おねえ。少し落ち着いて」


『うるさァいっ! エイミーの裏切り者オオ!』


 さらに激しくなる口論。

 三人の騒動は、まだまだ続きそうだった。

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