第519話 再び、『ドラン』へ④

 場所は変わって、ボレストン。

 その第六階層に市長館。

 市長室にて、トム=アイロスはコーヒーを啜っていた。

 満足げに手に持った資料を見やる。

 今回の調査に参加した者たちのリストだ。

 総勢で二千人以上。想定以上の数である。

 資源転送用のコンテナの数が足りず、遅れた者は足切りになってしまったほどだ。

 もう少しコンテナの数を増やしておくべきだったと後悔したが、ともあれ、コンテナのレンタル料だけでも相当な収入になった。

 参加者たちは街にも滞在し、ボレストン自体も潤っている。

 市長としては、思わず笑みを零してしまっても仕方がないだろう。


「……ふふ」


 香り高いコーヒーを味わう。

 このまま、順調に調査が進めば、さらに大きな収入となる。

 ボレストンの未来は明るかった。

 しかし、今回の調査で最も気にかかることは、やはり、負傷者や行方不明者。死者などが発生しないかだ。

 魔獣が跋扈する大樹海を調査するのだ。危険なのはボレストン側も参加者側も充分に理解している。参加者側は自己責任の契約を交わし、ボレストン側としては、最低限の戦力の条件付けや、大樹海を巡回する警邏隊の設立なども行った。

 だが、それでも完全に抑え込むことは――。

 と、考えていた時だった。

 コンコンと。

 市長室のドアがノックされた。

 執務席に座っていたトムはコーヒーを机の上に置いて、ドアを見やる。

 すると、声を掛ける前にドアの向こうから声がした。


『市長。私ですが』


 市議員の一人。ハーティ=ラマの声だ。

 その声は、少し緊張しているような気がする。

 トムは少し嫌な予感がした。


「……入ってくれ」


 緊張を孕んだ声で返す。と、ドアが開いた。


「失礼します。市長」


 そう告げて、ハーティはドアを閉め、トムの前まで進み出た。


「……何かあったのか?」


 早速、負傷が出たのか。

 そう思いつつ、トムは単刀直入に尋ねた。

 ハーティは「はい」と頷く。


「警邏隊が負傷者たちを回収しました」


「……早速か」


 トムは息を吐く。


「しかし、負傷者ってことは死人じゃないんだな」


 その点はホッとする。

 ハーティも同じ想いのようで、少しホッとした表情で「はい」と答える。


「《万天図》で索敵したところ、かなり遠くで、全く動かない鎧機兵を見つけたそうです。警邏隊が行くと、ほぼ大破した鎧機兵が四機いたそうです」


「……おいおい」


 トムは眉をひそめた。


「もしかしてフライングか?」


「位置的には、そうでしょうな」


 ハーティは嘆息する。


「昨晩の内に『ドラン』に侵入したようです」


「やれやれ。それで返り討ちか」


 夜の魔獣を舐めてかかるからだ。

 そう思うが、失策だったとも思う。フライングも想定すべきだった。

 大樹海の近くに住むボレストンの住人にとっては、子供であっても夜の樹海に入ろうなどとは考えない。その常識が盲点となっていたかもしれない。


「まあ、生きているんだ。良しとしよう」


 トムは椅子の背もたれに体重を預けてそう呟く。と、


「……確かに生きていたことは良いことだ。しかしだな。トム」


 ハーティが、口調を友人のモノに変えて言う。


「保護した四人だが、どうも聞き捨てならん証言をしているのだ」


「聞き捨てならない?」トムは眉をしかめた。「どういうことだ?」


「……どうもな」


 一拍おいて、ハーティは言う。


「あの連中、魔獣にやられたというが、その大きさが問題なんだよ」


「何だ?」


 トムは皮肉気に口角を崩す。


「そいつら、フライングした罰に、十セージル級に出くわしたのか?」


 冗談混じりにそう返すが、ハーティは渋面を浮かべるだけだった。


「……違うのか?」


 流石にトムも少し真剣な表情を見せた。


「十セージルどころではない」


 ハーティは言う。


「あいつらの一機は、片手で掴まれて投げられたそうだ」


「………は?」


 トムは目を丸くした。


「片手で掴む? 五セージルはある鎧機兵をか?」


 そんなことは、十セージル級の魔獣でも不可能だ。


「酒でも呑んで酔っ払ってたんじゃねえか?」


「俺もそう思うんだが……」


 ハーティは、少し言葉を詰まらせた。


「あいつらが言うには、途方もなく巨大な猿だったそうだ」


「はあ? 猿?」


 眉をしかめるトム。


「おいおい。何だよそれ」


 そんな魔獣は聞いたこともない。

 そもそもそのクラスの魔獣がいれば、《業蛇》の天敵となったはずだ。


「流石に見間違いだろ」


「……そうだよなあ」


 ハーティも眉をしかめた。

 腕を組んで嘆息する。


「俺もそう思う。思うんだが、主催としては無視する訳にもいかないしな」


「うわ。メンドくせ」


 トムは思わず呟いた。


「警邏隊だけじゃなくて、調査隊も必要になったってことか?」


「ああ。それをお前に告げに来たんだ」


 ハーティは肩を竦めた。


「調査隊を発足したい」


 そして、苦笑混じりの声でこう告げた。


「たとえ無駄足でもな。なにせ、あいつらの証言だと、あの大樹海には今、三十セージル級の大猿――固有種の魔獣がいるってことになるからな」

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