第508話 決意の旅➂

 ガラガラガラッ、と。

 軽快な車輪の音と共に、旅は続く。

 御者台の上で、アッシュは周辺の景色に目をやった。


『ラフィルの森』を通り抜け、およそ一時間。

 光景としては、ずっと草原が続いていた。


 街道沿いに見えるのは、地平線のみ。

 この位置では、島国であっても海岸は見えない。

 草原には、時々牛の群れなどが草を食べている姿が見せる。

 陽気な天候もあって、実に牧歌的な風景だった。


(むしろ、忙しいのは街道の方だな)


 アッシュは、視線を前に向けた。

 アッシュが手綱を握る王家御用達の豪華な馬車。

 大きな存在感を放つ馬車だが、今、街道を進むのはこの馬車だけではなかった。

 少なくとも、視界内には、三台の馬車の姿が確認できる。

 少し前に並ぶ二台。少し先行する一台だ。

 どれも、かなり大きな馬車だ。恐らく目的地は一緒なのだろう。


「……今回のライバルって訳か」


 アッシュは苦笑を浮かべる。

 目的地には、もっと多くの馬車の姿があるに違いない。


「やれやれ」


 アッシュは嘆息した。


「今回も、かなり苦労しそうだな」


 アッシュがこの手のイベントに参加しないのは、大抵トラブルに巻き込まれるからだ。

 皇国の誕生祭に参列すれば、テロに出くわした。

 鉱山都市グランゾの『星導石ラッシュ』の時は、暗躍に巻き込まれた。

 こないだの《夜の女神杯》など、ただ見物していただけだというのに、スペシャルマッチとやらに参加させられたぐらいだ。

 とにかく自分は、気付けば、トラブルに巻き込まれていることが多い。

 よって、大規模なイベントには参加したくないのが、アッシュの心情だった。


 だが、今回ばかりはそうもいかない。

 すでに嫁にすると決めた女性が五人。

 もしユーリィも嫁にするとしたら、自分には六人の妻が出来ることになるのだ。

 惚れた女に対しては、自分でも驚くほどに強欲なのだと気付いた今では、さらに増える可能性も否定できない。特に、すでに告白されているミランシャに関しては。

 ただ、仮に増えなかったとしても、別の意味では増えて欲しいと思っている。


 ――そう。子供だ。

 自分の愛する嫁さんたちは、みんな綺麗だった。

 自分には、勿体ないほどの奥さんたちだ。

 運悪く、アッシュに特別に似ない限り、男の子であっても美男。女の子ならば、美人になるのは確実だった。

 亡くなった両親にも、可愛い孫が生まれた報告をしたい。

 遠くで暮らす弟も、きっと喜んでくれるに違いない。

 だが、可愛い子供が生まれても、貧困であっては申し訳ない。

 健やかに育てるためにも、お金は絶対に必要だった。


(そのためには、この機会を絶対にモノにしねえとな)


 手綱を強く握りしめて、アッシュは決意を固める。

 と、その時だった。

 ――コンコン、と。

 車内へと続くドアがノックされた。

 アッシュは視線を向けて「ん? どうした?」と尋ねると、ドアが開けられた。


「師匠」


 そう言って、ドアから出て来たのは一人の青年だった。

 赤い騎士服を着た、精悍な風貌の青年。

 サンク=ハシブルという名の騎士だ。

 王さまが愛娘の護衛につけた、若手の中でも最強の騎士らしい。


「ああ。ハシブルさんか」


 アッシュは破顔した。

 今回の旅では、どうも女性が多いので彼には親近感を抱いていた。

 サンクも、人懐っこい笑みを見せた。


「サンクでいいですよ。師匠。年齢も近いですから」


「おう。そっか」


 アッシュは笑う。


「じゃあ、俺もアッシュでいいよ」


「いえ。自分にとって師匠は師匠ですから」


「……そっか」


 どうにも、この国ではアッシュを名前で呼んでくれる人間が少ない。

 というより、この国で出会った友人で、自分を名前で呼ぶ者は一人もいなかった。


(それにしても、初対面の相手にまで、なんで師匠なんだよ)


 アッシュは小さく嘆息しつつ、


「何か用かい?」


「ええ。そろそろ、御者を代わろうかと思いまして」


「おう。そうか」


 アッシュはふっと笑った。


「ボレストンまで、あと二時間ぐらいか」


 前方を見やる。微かにだが、遠くに巨大な森の影が見えた。

 ――『ドランの大樹海』だ。


「そうだな……」


 大樹海の影を一瞥して、あごに手をやる。


「それぐらいなら、最後まで俺がしてもいいよ」


 そう返すと、サンクは「そうですか」と呟き、


「なら、少し話し相手にでもなりましょうか?」


「おう。そうだな」


 アッシュは頷く。

 牧歌的な光景にも少し飽きてきた頃だ。

 話し相手がいれば、二時間も早いだろう。


「では」


 言って、サンクはアッシュの隣に座った。

 サンクは前に目をやった。視界に映るのは三台の馬車だ。


「やはり、今回は参加者が多そうですね」


「確かにな」


「騎士団からも、長期休暇を取って参加する奴もいますよ。けど」


 サンクは、アッシュの方に目をやった。


「師匠はどうして参加を?」


「う~ん、まあ、それは……」


 流石に言葉を詰まらせるアッシュ。

 すると、サンクは、


「……未来の奥方さまたち・・のためですか?」


 ズバリを指摘してきた。

 アッシュは、「うぐ」と再び言葉を詰まらせた。

 どういう訳か、自分に嫁が多いことは、かなり世間に浸透しているらしい。


「ま、まあ、そう言っちまえば、そうなんだが……」


 真実だけに否定も出来ない。


「そうですか……」


 一方、サンクは神妙な声で呟く。

 そして、


「実は師匠」


 顔を上げて、アッシュに尋ねる。


「相談事があるのですが……」


「? 相談だって?」


 唐突な話に、アッシュは目を瞬かせた。

 サンクは頷く。


「はい。経験豊富な師匠に、是非とも相談したいんです。これは、師匠にしか相談できないことなんです」


「いや、俺にしか相談できないことって?」


 アッシュは、困惑しつつも視線をサンクに向けた。

 青年は真剣……というより、深刻そうな顔をしていた。

 何か、深い悩みがあるようだ。


「まあ、聞くぐらい別にいいが……」


「ありがとうございます。実はオレ……」


 と、サンクが、話を切り出そうとした時だった。


「……いや。待て。サンク」


 不意に、アッシュは言葉を遮った。

 真剣な面持ちで上空を見やる。

 数瞬ほど遅れて、サンクも表情を改めて天を仰いだ。


「――師匠」


「……ああ」


 アッシュは馬車を停車させた。

 その直後のことだった。


「クアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッ!」


 咆哮が轟く。

 同時に、馬車が黒い影で覆われた。

 サンクは、騎士として黒い影に鋭い眼差しを向ける。

 すでに手は腰の短剣に触れていた。


「まさか、街道に現れるとは……」


「珍しいな。まあ、ここは『ドラン』の近くといえば近くなんだが」


 アッシュは皮肉気に笑う。

 そして、


「クアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッ!」


 再び咆哮を轟かせて。

 その黒い影は、アッシュたちの馬車の前に降り立った。

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