第502話 工房ギルド➂

 同時刻。

 王城ラスセーヌの一室にて。

 一人のお父さんが、ニコニコと笑っていた。


「大分、大きくなってきたなあ」


 そう言って、両膝を突き、椅子に座る愛しい妻のお腹を撫でた。

 今にも耳までつけそうなぐらい頬が緩んでいる。


 彼の名は、アロス=アティス。

 このアティス王国の国王である。


 慈悲深く、また聡明。賢王とも称される人物。

 普段は威厳に満ちた姿なのだが、今は完全なプライベート。

 この王家専用の私室には、愛する妻であるサリアの姿しかない。

 だからこそ、アロスはデレデレだった。

 愛娘にも知られていない付け髭も外して、妻のお腹に宿る我が子に愛情を注いでいる。


「もうじきかな? もうじき産まれるかな?」


 ナデナデナデ。

 先程から手の動きが止まらない。

 そんな夫に、サリアは苦笑を浮かべた。


「流石にまだよ。六ヵ月目だし」


「いや。もしかして気が早い子かも知れないじゃないか」


 真顔でそう語るアロスに、


「いやいや。どれだけ気が早いのよ」


 サリアは嘆息して答えた。

 最近のアロスは毎晩こんな感じだ。

 我が子が成長し、産まれてくるのが待ち遠しくて仕方がないのだ。


「楽しみなのは分かるけど、早産は大変なのよ。ルカの時を憶えているでしょう?」


「……う。それは……」


 アロスは、十五年前を思い出して青ざめた。


「確かにルカの時は大変だったな。生まれてきてくれたことは、もうこの上なく嬉しかったが、あまりにも小さかった。医師に連れていかれた時は血の気が引いたよ」


 アロスは、自分の両手を見据えた。


「それを考えると、確かに早すぎるのも不安だな」


「ね。そうでしょう?」


 サリアが言う。アロスは苦笑を零した。


「けど、あの小さかったルカも、今はとても大きくなったものだ」


 アロスは双眸を細めて、自室で休んでいる愛娘のことを想う。


「……そうね」


 サリアも目を細める。

 ただ、父であるアロスとは少し違う。母としての眼差しだ。


(あの子も愛する人を想う歳になったのよね)


 最近、サリアは、以前以上によくルカと話をするようになった。

 というよりも相談を受けているのだ。

 愛する人と結ばれるためには、どうすればいいかをだ。

 あの大人しい我が娘が。

 真っ直ぐな眼差しで相談を持ち掛けてくるのだ。

 しかも、どうやら、とんでもないことを考えているらしい。


(……ルカ。流石にそれはアロスも激怒しちゃうわよ)


 何度かそう告げたのだが、ルカは決して首を縦に振らない。

 娘にとって、それはもう確定事項のようだ。

 恋は盲目……いや、この頑固さと怒涛のような行動力は自分譲りか。


(まあ、あたしだって、周りから見たらあり得なかったし)


 花屋の娘が、王妃になったのだ。

 並大抵の行動力で、どうにかなるモノではない。

 ルカは、間違いなく、そんな自分の血を色濃く引いている。

 もしかすると、父王も世間も説得して成し遂げるかもしれない。


(けど、そうなると……)


 サリアは、ふと夫の顔を見た。

 夫は、にやけた笑顔で、再びサリアのお腹を撫でようとしていた。


「……ねえ。アロス」


「ん? どうかしたかい? サリアちゃん」


 デレ度が大分上がっているため、つい妻を『ちゃん付け』で呼ぶアロス。

 サリアは苦笑を浮かべつつも、


「今日、噂を聞いたんだけど、『ドラン』の調査をするって本当なの?」


「……ん? ああ、あれか」


 アロスは、表情を少しまともなモノに戻した。

 王の威厳が少しだけ出てくる。


「よく知っているな。誰から聞いたんだ?」


「メイドたちよ。騎士が噂しているのを聞いたって」


「……ふむ」


 アロスは立ち上がり、あごに手をやった。


「まあ、隠していた訳でもないしな」


 そう切り出して、『ドラン』の調査について語った。

 友人である工房ギルド長に、調査のまとめ役を一任したことも。


「基本的に、工房ギルドが主体になる。資源の鑑定手段や調査法に関するルールも、ギルドに任せるつもりだ。オーズの奴なら上手く取りまとめてくれるからな。恐らく、騎士からも参加する者が出てくることになるだろう」


「……そう」


 サリアは呟く。それからアロスの顔を見上げて。


「ねえ、アロス」


 夫に提案する。


「その調査。ルカも参加させてあげられないかしら?」


「え? ルカを?」


 アロスは目を丸くした。


「いや、今回の調査は数週間単位の長期間になる。その上、魔獣も徘徊する危険な場所だしな。流石に学生は対象外だぞ。そもそもなんでルカを?」


 アロスがそう尋ねると、サリアはお腹に手を触れて苦笑を浮かべた。


「もしも、この子が男の子だったら」


 目を細める。


「王位継承権はルカより上になるんでしょう? あの子の立場は今よりも弱くなるわ」


「何を言っているんだ」


 アロスは、少しムッとした表情を見せた。


「その子が産まれたら、私のルカに対する愛情が揺らぐとでも思っているのか?」


「それは思ってないわよ」


 サリアは、かぶりを振った。


「けど、それでも、あの子の立場は弱くなるわ。あなたがどれほどルカを溺愛してもね。周りは序列をつけたがるでしょうね」


「…………む」


 妻と娘にはデレデレでも、賢王と称されるアロス。

 権力に関わる権謀術数は心得ている。


「だからね」


 サリアは告げる。


「ルカには、出来るだけ多くの資産を持たせてあげたいの。それも、出来れば王家とは関係ない資産を」


「ああ、なるほどな」


 アロスは、妻の言わんとしていることを察した。


「確かにそういうことなら、今回の調査はうってつけだな」


「ええ」


 サリアは頷く。


「『ドラン』で見つけた資源の二割は、ルカのモノになるんでしょう? 見つけた資源次第ってこともあるけど、結構な資産になるんじゃないかしら?」


「う~ん。確かに」


 アロスは、両腕を組んで唸った。


「それなら、周囲の目を気にすることもないしな。しかし、《業蛇》が死んだとはいえ『ドランの大樹海』はまだまだ危険な場所だしなあ」


 そこだけは納得できない。

 愛娘を危険な場所に送りたいと思う父親などいないのだ。


「それなら大丈夫よ」


 サリアは笑った。


「あたしの女中メイド騎士から選りすぐりを護衛に付けるわ。それなら大丈夫でしょう」


「サリアちゃんの騎士かぁ……」


 ――王妃直属の女性騎士たち。

 メイドでもある彼女たちの実力は、第一級の騎士にも劣らない。アロスも信頼する第三騎士団長の折り紙付きだった。


「……まあ、それならいいかな」


「ありがとう! アロス!」


 パンっ、とサリアは柏手を打った。

 次いでアロスを手招きした。アロスが「ん?」と腰を屈めると、


「愛しているわ」


 サリアは、夫の頬にキスをした。

 アロスは目を丸くして自分の頬を押さえたが、すぐにふっと笑った。


「なんか三人目も欲しくなった」


「もう。それはこの子が産まれてからね」


 夫の冗談に、妻も笑って応える。

 それから、アロスは真剣な顔で妻を見据えて。


「ルカは王家の代表。私の名代として手続きしよう。けど、あの子の護衛には、くれぐれも信頼できる強い騎士を選んでくれよな」


「当然よ。ルカの護衛なのよ」


 サリアはそう答えた。

 そして、


(……ルカ)


 サリアは目を細める。


(あなたが選んだ道なら止めないわ。けど、それは茨の道よ。だから)


 苦笑を浮かべる。


(ここで、花嫁資金を手に入れなさい。まずはそこからよ)


 母は、あえて娘に試練を与える。

 しかし、これが成し遂げれば、ルカの道も切り拓けるはずだ。

 財力は、あの子にとって大きな力となってくれる。


(頑張りなさい。ルカ)


 自分のお腹を撫でつつ。

 無謀な道を行く愛娘にも、愛情を注ぐサリアだった。

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