第501話 工房ギルド②
「……ボレストン?」
その日の夕食時。
ユーリィは、鳥の唐揚げを口に入れて小首を傾げた。
パリッとした衣が絶品だった。
「おう。そうだ」
アッシュもまた、大皿に乗った唐揚げを口にする。
クライン工房の二階。茶の間。
そこには今、四人の人間と一機が卓袱台――食卓を囲んでいた。
ユーリィとアッシュ。オトハとシャルロットの四人。そして部屋の片隅で、何故かトランプタワーをせっせと築き続ける
クライン一家である。
「初めて聞く名前だな」
正座して、シチューを入れた器を手に持つオトハが尋ねる。
「何の名前なんだ?」
「都市の名前だよ」
アッシュが答える。
「『ドランの大樹海』の近くにある都市だ」
「……ほう」
オトハは目を細めた。
「あの森か。懐かしいな」
「うん。懐かしい」
ユーリィも、こくんと頷く。
その小さな手は、二つ目の唐揚げへと伸びていた。
「オトハさんがこの国に来た頃に行った」
「ああ。そうだよな。あの森に行ったのは、確かその頃だったか」
と、アッシュが苦笑を浮かべつつ頷く。
オトハもどこか苦笑していた。
「その森で何かあったのですか?」
と、尋ねるのは、シャルロットだ。
彼女だけは『ドランの大樹海』の一件を知らなかった。
「おう。実はさ」
そう切り出して、アッシュは語り始めた。
かつて『ドランの大樹海』であった事件。
魔獣 《
その魔獣のせいで引き起こされてきた《
さらには、サーシャたちの奮闘。
アッシュとオトハの決闘についても。
「まあ、結果的に言えば、サー……メットさんたちが、この国を《
と、アッシュは締めくくる。
少々長い話になったので、食事はもうほとんど終わっていた。
「……なるほど」
スプーンを置き、シャルロットは納得した。
「《夜の女神杯》の時に、司会者がサーシャさまたちのことを『英雄』と呼んでいたのはそういうことだったのですね」
「……けど」
そこで、ユーリィがオトハを見やる。
「実際のところ、《業蛇》を退治したのは、オトハさんだと思う」
「……私か?」
オトハは、目を瞬かせた。
「確かに一戦は交えたが、倒すまでには至らなかったぞ?」
「けど、オトがいなかったら、そもそもメットさんたちに勝ち目はなかっただろうしな」
と、アッシュが言う。
「どうぞ」と言って、シャルロットがアッシュに湯呑を渡していた。
「……それは時の運だろう」
こないだまで自分の役割だったことを、シャルロットに先を越されて、オトハは「むむむ」と呻きつつ、
「最終的に倒したのはあいつらだ。それよりも」
オトハはアッシュを見やる。
「そのボレストンとやらは、『ドランの大樹海』と何か関係あるのか?」
「おう。つうか、今回のメインは『ドラン』の方だな」
アッシュは、湯呑のお茶を啜って告げる。
「実はな。ボレストンを拠点にして『ドラン』の大規模な調査が始まるんだよ」
「……調査?」
ユーリィが小首を傾げた。
「何を調査するの?」
「主に資源調査だな」
アッシュは答える。
「『ドラン』は王都の近隣では最大の森林だ。けど、《業蛇》のせいで長らく手付かずの状態だったんだ。ギルド長曰く、あの場所は――」
アッシュは、ふっと笑った。
「何が眠っているのか分からねえ。資源はもちろん、森の奥にはところどころ遺跡まであるって話だ。そういったモンも含めると、マジで宝の山だってことらしい」
「……へえ」
ユーリィが呟く。
「そんでさ」
アッシュは、いよいよ本題に入った。
両膝に拳を置いて、三人に告げる。
「俺も、その調査に参加しようと思っているんだ」
「は?」「え?」「はい?」
三人揃って目を丸くする。
「調査はボレストンが主体になる。拠点として都市を解放する代わりに、見つけた資源の所有権は五割がボレストン。三割は王家。けど、残り二割は――」
アッシュは、ニヤリと笑った。
「発見者に譲渡されるらしい」
「……それは、結構な額になりますね」
シャルロットが、少し驚いた顔で呟く。
「もしも銀鉱でも見つかれば、辺境の領主程度の資財になります」
「そういうことさ」
アッシュは、力強く首肯する。
「収入源としては、この上ねえ。『ドランの大樹海』を調査するには、鎧機兵は必需品だからな。それに、踏破した地形を地図に落とし込めば、それも買い取ってくれるそうだ。今回の調査には、多くの職人や商人も参加するだろうな」
こないだの工房ギルドの定例会合。あの白熱した様子から見ると、店を一時期休業してでも参加しようと考えている職人が多そうだった。
アッシュもまたその一人だった。
「……珍しいな。クライン」
オトハが眉根を寄せた。
「お前がそういったイベントに参加するとは」
「うん。珍しい」
ユーリィも頷いて同意する。
すると、アッシュはボリボリと頭をかいた。
「……ああ~、そうだな」
そして、意を決するように口を開いた。
「この際だ。はっきり言っておこう」
アッシュはオトハとシャルロット。そしてユーリィに目をやった。
そして――。
「オト。シャル。サクと、サーシャ。レナも加えて……」
アッシュは告げる。
「俺はお前らを嫁さんにする。誰に後ろ指差されようが、お前ら全員をだ」
「「「――ッ!?」」」
オトハたちは言葉を失った。
が、すぐに「ク、クライン……」「あるじさま……」と、オトハとシャルロットは口元を片手で押さえて頬を朱で染めた。
トランプタワーの建築に夢中だった九号も視線を向けて「……オオ。コウタノアニハ、ダイタン」と呟いた。
一方、ユーリィだけは青ざめていた。
「わ、私は……?」
自分を指差して、恐怖に染まったと言ってもいい顔色で尋ねる。と、
「……ユーリィは」
アッシュは、複雑な表情を見せた。
「正直、今でも複雑な想いだ。俺にとってユーリィは『娘』なんだよ。けどよ……」
そこで嘆息する。
「ユーリィが、俺にとって大切なのは疑いようもねえからな。そうなると……」
数瞬の沈黙。いつしか、胡坐をかくアッシュの膝の近くまで移動したユーリィは、不安そうにアッシュの顔を見上げていた。
「……保留だ」
アッシュは答えた。
「お前の言う通り、お前が十六……いや、そうだな。今のサーシャと同じ年……十七になるまでは保留にするつもりだ。その間に俺も真剣にお前のことを考えるよ。そんで、もしそん時になっても、まだお前の気持ちが変わってないって言うんなら――」
「――アッシュ!」
ユーリィはアッシュに抱き着いた。
「アッシュ! アッシュ! アッシュゥ……」
何度もアッシュの名を呼んで、頬擦りしてくる。
「お、おい、ユーリィ」
流石に、アッシュも困惑した。
「ありがとう、ありがとう……」
一方、ユーリィは少し涙ぐんでいた。
アッシュは、困った顔でポリポリと頬をかいた。
「いや。お前の気持ちが変わってなかったらの話だかんな?」
「それなら大丈夫」
ユーリィは、アッシュにぎゅうっと抱きついて微笑んだ。
「私の気持ちが変わることはない。それは絶対。ううん、なんなら……」
そこで、ユーリィは翡翠の瞳を細めた。
少しだけ離れて、アッシュの顔を見つめる。
頬には微かな朱。
そして口元には『女』の微笑みを湛えて……。
「……なんなら二年も待つ必要もない。今夜にだって、私はアッシュと……」
「それは待ちなさい。ユーリィちゃん」
――むんず、と。
シャルロットに両手で頭を掴まれて引っこ抜かれるユーリィ。
「流石に次こそは私の番です。確約されたのは三番目なのに、サーシャさまのみならず、レナさまにまで先を越されているのですから」
むうっ、と頬を膨らませるユーリィに、シャルロットは言う。
「……まったくだ」
オトハは両腕を組んで、ジト目でアッシュを睨みつける。
「レナの件といい、最近、色々と吹っ切れてきていないか? クライン」
「……う」
アッシュは少し仰け反って呻く。
「そ、その、悪りィ」
「……うむ」
オトハはニコッと笑って、アッシュに両手を伸ばした。
「そうだな。今夜、私を思いっきり愛してくれたら許してやるぞ」
「……オトハさまも吹っ切れてきましたね」
今度は、シャルロットがジト目をオトハに向けた。
ちなみに、ユーリィもジト目だった。
「ま、まあ、ともあれだ」
アッシュは小さく嘆息する。
次いで、表情を真剣なものに改めた。
そうして、
「もうスローライフとか、第二の人生とか呑気なことも言ってられねえしな。お前らを幸せにする。だから俺は……」
グッと拳を固めて、アッシュは嫁たちに宣言する。
「将来のために。今回で目一杯稼いでくるからな」
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