第16部 『巨樹の森の饗宴』①

プロローグ

第495話 プロローグ

 その光景は、壮大の一言だった。

 時節は『七の月』。初夏に入ったこともあり、空には大きな入道雲。

 遥か眼下に見えるのは、果てしない草原。

 公道には、数台の馬車が走っているのが確認できた。

 そして少し遠方には、巨大な樹木で覆われた森も見える。

 あの大樹海が見えることこそが、この場所の存在意義とも言えた。

 そのためにこそ、この場所は存在していたのだ。


 ――そう。かつてまでは。


「……ふむ」


 腕を組み、彼は呟いた。

 年の頃は五十代か。黒い眼鏡に、顎髭を蓄えた風貌の男性だ。

 やや、ゆったりとした服を身に纏っている。


「やはり、ここからの景色は素晴らしいな」


 満足げに双眸を細める。

 初夏の風が、とても心地よい。

 この場所の影響もあるだろうが、実に涼やかに感じる。

 もしくは、今の彼の心自体が涼やかだったためかもしれない。


「この場所も解放したいな。さぞかし名物となるだろう」


 彼がそう呟いていると、


「……市長」


 不意に、後ろから声を掛けられた。

 振り向くと、そこには、彼と同じ五十代の男性がいた。

 少し頭部が薄く、目尻がかなり上に向いた人物だ。

 この都市の市議員の一人である。

 彼にとっては、盟友とも呼べる人物でもある。


「そろそろ、会議の時間ですぞ」


「おお。もうそんな時間か」


 彼は破顔する。

 そんな市長に、迎えにきた市議員は苦笑を浮かべた。


「随分と嬉しそうだな」


 あえて口調を崩す。

 幼き日より、この都市で共に育った友人としての口調だ。


「トム」


 友人の名を呼ぶ。


「仏頂面のお前がそこまで嬉しそうにするのは『奴』が退治された時以来だな」


「なんだと?」


 市長――トム=アイロスは、ムッとした表情を見せた。


「私はそこまで仏頂面か? ハーティ」


 と、市議員――ハーティ=ラマに返した。

 すると、ハーティはくつくつと笑い、


「ああ。というより悪人顔だな。まるで山賊のボスだぞ。その顔でよく市長なんぞになれたものだ。お前の嫁さんなど本当に大した度量の持ち主だと感心しているよ」


「……無茶苦茶言ってくれるな」


 ブスッ、とした様子で腕を組むトム。


「それはお前の言えた台詞じゃないだろう。お前だって悪人顔だろ。何なんだ? その今にも人を刺し殺しそうな目付きは。お前の嫁さんこそ感心するよ」


「はあ? なんだって?」


 ハーティは、トムと全く同じ反応を見せた。


「俺の嫁に文句があるのか。俺のこの目付きこそがチャーミングと言ってくれる嫁に」


「それなら、私こそ、この顔が豪快でいいと言ってくれるぞ」


 と、トムが負けじと言い返す。

 二人は睨み合うが、


「……ふん」


 不意に、ハーティは鼻を鳴らした。


「まあ、その点は五十歩百歩だったか」


「そうだろ」


 トムは、ニヤリと口角を崩した。

 そして二人は「「ははははッ!」」は、揃って笑い声を上げた。

 蒼い空の元、二人の声が響く。

 この国において、最も空に近い場所に強い風が吹いた。


「しかしまあ……」


 ハーティは目元を擦った。


「流石は、賢王と呼ばれる陛下。あの方の配慮には頭が下がる思いだ」


「それは私も同感だな」


 トムが頷く。

 次いで、懐から一通の封筒を取り出した。

 王家の紋章で封蝋された手紙だ。すでに封は切られている。

 トムは、その手紙を両手で開いた。

 もう何度読んだか分からない手紙だ。


「……心より感謝いたしますぞ。陛下」


 トムは双眸を細めた。


「感謝するのは陛下に対してだけではないだろう」


 ハーティが言う。


「何よりも感謝すべきなのは、四人の英雄たちだろう」


「確かにな」


 トムは、大切な手紙をしまって笑う。


「彼らがいなければこうはならなかった。感謝の意を告げるためにも、一度ここに招きたいところだな」


 そう呟き、遠方の樹海に目をやった。

 かつて彼らが味わった四度の悪夢。

 五度目を防いでくれたのは、四人の少年少女だと聞く。

 そして彼らのおかげで、あの悪夢が訪れることは二度とない。


「まさに感謝しかない」


 それが、心からの言葉だった。


「だが、彼らはまだ学生と聞く。彼らを招くのは卒業後の方がいいだろう。もう少し落ち着いてからになるな」


「うむ、そうだな」


 ハーティは頷く。


「その頃には、きっとこの都市も大きく変わっているだろうな」


「ああ。もちろんだとも」


 トムも嬉しそうに頷く。


「この都市は変わる。生まれ変わる」


 かつて、あの大樹海の異変を監視するためにあった拠点。

 幾度も破壊された拠点だが、そのたびに大きく進展して都市にまでなった。

 だが、これからは違う。

 もうこの都市が破壊されることもない。

 そしてこれからは、全く違う未来を進んでいくのだ。


「さあ、会議に出るか」


 ハーティが呟く。


「ああ。そうだな」


 トムはもう一度、空を見上げた。


「行こう。未来へ。私たちの故郷。ボレストンの新たなる未来へと」

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