第483話 極光の意志④

 一方、同じく観客席の一角。

 大いに沸きあげる会場で、そこだけはシンとしていた。

 アッシュたちが座る一角である。

 アッシュたちは、神妙な顔で舞台を見つめていた。

 沈黙が続く。と、


「……これは、意外な結末よね」


 ポツリ、とサクヤが呟いた。


「負けちゃったね。ミランシャさん」


 その呟きにも、アッシュは何も答えない。ユーリィは顔を上げて、アッシュの横顔を見つめ、オトハは、腕を組んだまま黙り込んでいた。

 ややあって、


「……オト」


 アッシュは舞台を見据えたまま、オトハに尋ねた。


「最後のあの動き、どう思う?」


「……そうだな」


 オトハは、神妙な声で答える。


「明らかに動きが違っていた。恐らく恒力値が大幅に跳ね上がったのは確実だろう」


 一拍おいて、


「二万……いや、三万は確実か。《極光石》クラスの出力だ」


「やっぱ、そうだよな……」


 アッシュは、渋面を浮かべた。

 すると、ユーリィが小首を傾げて、


「それって、フォクス選手の機体は、本当は三万超えの機体だったってこと?」


「まあ、そうなるな」


 アッシュは腕を組んで答える。と、今度はサクヤが口を開いた。


「フォクス選手は、本当の恒力値を隠していたってこと? けどなんで?」


 そこで、あごに指先を置いて。


「あ、そっか。いきなり出力を上げれば不意打ちになるから……」


「……それもあるだろうが」


 サクヤの呟きに答えたのは、オトハだった。

 オトハは、サクヤの方に目をやった。


「正直なところ、扱い切れないからだろう。恒力値・三万ジンというのは生半可な出力ではないからな。《七星》か、《九妖星》クラスの力量が必要になる。この国で、そのクラスの出力を使いこなせるとしたら、私とクライン、ミランシャ……あとは」


 少し考えてから、指を二本折る。


「コウタ君と……レナといったところか。戦闘を見る限り、現時点のフォクス選手ではとても扱い切れない出力のはずだ」


「今のフォクス選手には、まだ無理だってのは俺も同意見だな。けどよ」


 アッシュは、再び舞台に目をやった。

 最後の戦闘を思い出す。

 フォクス選手の愛機の動き。

 あれは、出力に振り回されている動きではなかった。


「あの姉ちゃんは、あの出力を使いこなしていた。いくら不慣れな機体であっても、あのミランシャ相手に押し切ってみせた」


 その瞬間、機体の出力みならず、操手の力量も跳ね上がったのだ。

 機体の方は分かる。アッシュの相棒も普段は出力に制限をかけている。それと同じギミックを機体に仕込んでいたのだろう。

 だがしかし、操手の力量に関しては……。


(一体何をして……いや、もしかして)


 アッシュは少し考え込んでから、おもむろに立ち上がった。


「アッシュ?」


 ユーリィが顔を上げた。

「どこに……」と言いかけたところで、「ミランシャさんのところに行くの?」と言い直した。今のタイミングで立つとしたら、そうとしか考えられない。


「ああ」


 アッシュは、ユーリィの頭をポンと叩いて頷いた。


「ちょいと、ミランシャに確認したいこともあるしな。直でやりあったミランシャなら気付いたこともあるだろう。それに」


 そこで、アッシュは苦笑を浮かべて言葉を続けた。


「多分、あいつ今、相当拗ねてるだろうしな」



       ◆



 選手控室。

 ミランシャ=ハウルは、未だ操手衣のまま、膨れっ面を浮かべていた。

 ――負けた、負けた、負けた。

 頭の中はそればかりだ。

 仮にも《七星》の一人が。

 第五座である自分が、負けてしまった。

 悔しい……途轍もなく悔しかった。

 これほどの悔しさは、最近ではオトハに先に夜を越された時ぐらいか。


(……ムムム)


 その敗戦も思い出して、ますます頬を膨らませるミランシャ。

 あの時も。今回の敗北も。

 顔には出さなかったが、内心ではこの上なく悔しかったのだ。

 本当には、叫び声を上げたいぐらいだった。

 けれど、かなりひねくれた負けず嫌いのミランシャは、表面上では平静を装ってしまう癖があるのだ。結果、心の中に不満をため込んでしまうのである。

 そして、一人になると爆発するのである。


「ああ、もうっ!」


 誰もいない控室でミランシャは叫ぶ!


「――悔しいっ! 悔しいっ! 悔しいっ!」


 長椅子に座って、子供のようにバタバタと足を大きく揺らす。


「なんでッ! あと少しだったのに! なんで負けちゃうのよ! アタシの馬鹿!」


 じわあっと涙まで滲んできた。

 今回の敗北だけではない。

 本当は、もの凄く悔しかったのだ。オトハにアッシュを奪われたことは。

 一夫多妻ハーレム自体は、もう受け入れている。


 犬猿の仲だったオトハのことも。

 彼に一番愛されて、いまいち気にくわないサクヤのことも。

 ユーリィも、サーシャも、アリシアも、ルカも、シャルロットも。

 最後に入ったレナさえも。


 彼を支えて、これから共に生きていくことを受け入れていた。

 けれど、それでも自分は最初に愛して欲しかった。

 サクヤに関しては、流石に無理であっても。

 誰よりも、誰よりもライバル視していたオトハにだけは勝ちたかった。


 だけど、負けてしまった。


「………ううゥ」


 そのことが胸に突き刺さる。

 そして今回の敗北で、自分が愛される機会は、さらに遠のいてしまった。

 物理的にも、精神的にも、とても遠のいてしまったのだ。

 ボロボロと、赤い瞳から涙が零れていく。


 ――悔しい、悔しい、悔しい……。

 頭の中は、もうぐちゃぐちゃだった。


「ひっく、ひっく……」


 嗚咽も零れ始めた。

 ゴシゴシ、と両手で涙を拭くが止まらない。

 ――と、その時だった。


『……ミランシャ?』


(……え)


 不意に、控室のドアの向こうから声を掛けられたのだ。

 ミランシャは目を見開いてドアを見つめた。

 それは、彼女の愛しい人の声だった。


『ミランシャ。まだいるか?』


「あ、うん」


 ドア越しにミランシャは答える。


「いるよ。まだ着替えてもないし」


『そっか。なら、少し部屋に入ってもいいか?』


「え? ちょ、ちょっと待って。アシュ君」


 ミランシャは少し焦った。

 なにせ、いま自分は泣き顔だ。こんな無様な顔を彼には見られたくない。

 ミランシャは、何か言い訳を考えて断ろうとするが、


『ちょいとお前に聞きたいことがあるんだ。入るぞ』


 意外とアッシュは強引で、返答を待たずにドアが開かれた。


「え、ま、待って……」


 ミランシャは、水を浴びせられたネコのように顔を両手で隠そうとした。

 その姿を目にして、アッシュは、


「……そこまで落ち込んでたのかよ」


 後ろ手にゆっくりとドアを閉めて、小さく嘆息した。


「ア、アシュ君?」


 困惑するミランシャに、アッシュは近づいてくる。


「……負けちまったな」


「……ううゥ」


 優しい声でそう告げるアッシュに、ミランシャは下唇を噛んで俯いた。


「……けど、あれは仕方がねえ。慣れねえ機体でお前はよく頑張ったよ」


「……ううゥ、けど……」


 ミランシャは、ボロボロと涙を零す。


「アタシ、アタシは《七星》なのに……負けちゃいけないのに」


「……いや。《七星》だって負ける時は負けるさ」


 アッシュは苦笑を浮かべた。


「敗北と無縁の戦士なんていねえぞ。オトの親父さんでさえだ」


「……ううゥ、いま、オトハちゃんの名前を出さないでェ……」


 ミランシャの涙は、まるで止まらない。

 アッシュは、そんな彼女を数瞬ほど見つめた。

 そして小さく嘆息し、


「……お前って、やっぱ泣き虫だよな」


 そう言って近づくと、おもむろにミランシャの頬に両手で触れた。

 落ち込む彼女の顔を少し強引に上に向かせる。ミランシャは目を瞬かせた。


「ア、アシュ君?」


「お前は、本当によく頑張ったよ」


 ミランシャの頬を抑えたまま、アッシュは優しい目でそう告げた。


「だけど、お前って、あんま褒められたことがねえんだろ?」


「そ、それは……」


 ミランシャは眉をひそめた。

 それは事実だった。ミランシャはあまり努力を認められた経験がない。

 打たれ弱さも、結局のところはそこに起因する。


「なにせ、あの偏屈で偏狂な爺さんに育てられたんだしな。甘やかされた経験もロクにねえんじゃあ、そうもなるか」


 アッシュは改めて、ミランシャを見つめた。

 そして、


「おし。なら、頑張ったお前を、俺が今から全力で褒めて甘やかすからな」


「……え?」


 キョトンとするミランシャ。

 そんな彼女をアッシュは腕の中に引き寄せて、ギュッと抱きしめた。


「……ん。よく頑張ったぞ。ミランシャ」


 ポンポンと頭を叩く。次いで、涙で滲んだ瞳を瞬かせて困惑する彼女を少し離すと、くしゃくしゃと両手で彼女の頭を撫で始めた。


「ア、アシュ君!?」


 流石に狼狽してアッシュの腕を掴もうとするが、


「ん、いい子だ。ミランシャは、頑張り屋さんのいい子だな」


 再び、両手で頬を抑えられて硬直してしまう。

 耳にまで指先が触れて、ミランシャは口をパクパクと開いた。


「本当によく頑張ったぞ。偉かったな。ミランシャ」


 ――くしゃくしゃくしゃ。

 優しい面持ちで、アッシュは、さらにミランシャを褒めながら、頭を撫でてくる。

 まるで不機嫌なネコを宥めるような扱いである。


 けれど、その効果はまさに絶大だった。

 ミランシャの顔は、みるみる赤くなっていく。


「や、やめて、アシュ君! 本当に恥ずかしいから!」


「ダメだぞ。今はお前を褒めて褒めて甘やかす時間なんだからな」


 言って、もう何度目か分からないが、両頬を抑えられた。

 流石に少し学習する。

 逃げようとしたり、暴れようとしたりすると、こうされるのだ。

 ミランシャは顔を赤くして、再び体を硬直させた。

 実は、幼かった頃のユーリィが言うことを聞かなかった時にしていた対応なのだが、ミランシャはそこまでは知らない。

 真っ直ぐ彼と視線がぶつかった。黒い眼差しがミランシャの心を射抜いてくる。


(………うあ)


 青年の瞳には、困惑した様子のミランシャの顔が映り込んでいた。

 まるで心の中の鏡を覗き込んだように、彼の瞳から、目を離せなくなった。

 心臓が、激しく高鳴る。


「……や、やあぁ……」


 戦闘時の勝気さからは考えられないほど、か細い声が零れ落ちた。

 けれど、彼は容赦してくれない。

 そうして、その『甘やかし』は、さらに数分間も続いた。

 最初の頃は逃げようとしたり、アッシュの腕を掴もうとしていたりしたミランシャだったが、その手も徐々に力が入らなくなって、少しずつ、表情も変化していった。

 そして最後に、


「本当によく頑張ったぞ。ミランシャ」


 ギュッと、今まで以上に強く抱きしめられた。

 その頃には、もうミランシャは完全に出来上がっていた。

 その顔は火照っていて、唇は艶めいている。実に恍惚とした表情だった。

 涙で滲んでいた瞳は潤んだものへと変わり、今はただただ、アッシュの背中にしがみついている。アッシュは、そんな彼女の肩を両手で掴んだ。

 名残惜しそうに背中から手を離したミランシャに、ニカっと笑みを見せる。


(………あ)


 ミランシャの胸が、強く、強く締め付けられた。

 ゾクゾクと背筋が震えて、ふらっと彼の方に体を崩してしまう。


「お、おい! ミランシャ!」


 アッシュは、慌てて彼女の体を片手で支えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る