第484話 極光の意志➄

 そうして十分後。


「びっくりしたぞ。少しは楽になったか?」


「う、うん」


 長椅子に座り、ミランシャは頷いた。

 しかし、ただ長椅子に座っている訳ではない。

 長椅子に座るアッシュの膝の間に、内股姿でちょこんと腰を下ろしているのだ。


「座っている方が楽」


 そう告げて、アッシュに体を支えてもらっているのである。

 いわゆる恋人座り。

 意外と奥手なミランシャにしては、思い切った甘え方だった。


「まさか、そこまで消耗してたのかよ」


 アッシュが呆れたように言う。


「ま、まあね」


 そう返すミランシャの耳は、真っ赤だった。

 アッシュの腕は、ずっと彼女の腰を支えている。


(うわあ、アタシってば、チョロい)


 ミランシャは、内心で頬を引きつらせた。

 あれだけ不安定だった心は、今や完全に落ち着きを取り戻している。

 それどころか、胸の中は幸せでいっぱいだった。このままキスの一つでもされれば、この場ですべてを捧げてしまいそうなぐらい浮かれていた。


「えへへ……」


 ミランシャは頭上を見るように振り向くと、少女のように微笑んだ。

 アッシュもまた優しく笑う。


「まあ、元気になったんなら、いいことだな」


 ミランシャの顔色は、部屋に入った時に比べて、各段に改善している。

 そのことに、ホッとして、アッシュは目を細めた。

 どうやら『甘やかし』には大きな効果があったようだ。


(ミランシャの奴は、本当にヘコみやすいからな)


 内心で、苦笑を浮かべる。

 腕の中のミランシャは、借りてきたネコのように大人しかった。

 きっと、この内気にも見える大人しさも、彼女の本質の一つなのだろう。


(やっぱ、様子を見に来て正解だったな)


 ミランシャは、以前、祖父と大喧嘩をして、クライン工房に居候したことがある。

 その時から、アッシュにとって、ミランシャは勝気ではあるが、泣き虫で打たれ弱い。そして実は甘えたがり屋という認識が追加されていた。

 事実、それは間違った認識ではないはずだ。

 ミランシャを少し強く抱き寄せて、アッシュは微かに口角を崩した。


 ――今回の敗北。

 間違いなく、ミランシャは落ち込んでいると思った。


 多少拗ねていることよりも、実は、そっちの方こそが心配だったのだ。

 だからこそ、アッシュは、急ぎ、ここにやって来たのである。

 そうして部屋に入って、ミランシャの泣き顔を見た時、自分の予感は当たりだったと確信した。こんな顔をしたミランシャを放っておくことなど出来ない。


 多少強引ではあったが、アッシュは、彼女を甘やかすことにした。

 昔、拗ねた時のユーリィによくしたことだ。

 幼かった頃のユーリィへの対応なので、大人のミランシャ相手だと、かなり過剰なスキンシップとも思わなくはなかったが、アッシュは他の甘やかし方を知らないのだ。


(こればかりは仕方がねえしな)


 それに、本気で落ち込んでいる時のミランシャには、これぐらいでないと効果がないだろうなとも思っていた。

 結果は……まあ、見ての通りだ。

 ここに来たことは、やはり正解だった。

 だがしかし、だ。


(……それにしても……)


 アッシュは、俯くミランシャのうなじ辺りに目をやった。

 こうして身を寄せていると、本当にミランシャは魅力的な女性だった。

 操手衣に包まれた肢体も、華奢でありつつもしなやかで、本当に綺麗だった。

 彼女に魅了されたライザーの気持ちもよく分かる。


 それだけに、今の彼女の……アッシュを信頼しきった姿には、強い不安も覚える。

 名家のお嬢さまゆえに、どうにもミランシャには無防備なところもあるのだ。

 この態勢も、本来は友人同士でやるようなことではないのに、ミランシャは特に警戒する様子もなく受け入れている。

 このまま、もしアッシュが押し倒してきたら、一体どうする気なのか?


(まったく。こいつは……)


 アッシュは、彼女を掴む腕の力を強めた。

 やはり、ミランシャには世間知らずなところがある。

 男の怖さをまだよく分かっていないのだ。


 そういったところを、つけ込まれたりしないだろうか?

 酷い目に遭ったりはしないだろうか?

 その時、また泣いたりはしないだろうか?


 本当の彼女は、こんなにも打たれ弱いのに。

 本当に、大丈夫なのだろうか……。


 そんな想いを胸中に抱く。


(……ミランシャ)


 こんな不安を抱くのなら。

 いっそ、このまま彼女を――。

 アッシュの腕の力が、少しずつ強くなっていく。と、


「……アシュ君?」


 自分を支える青年の力が強まったことに気付いたのか、ミランシャは再び後ろを見上げるように顔を向けてきた。

 アッシュは、彼女の柔らかそうな唇に魅入った。

 そして――。


「……いや、少し考え事をしていた」


 腕の力を緩めて、小さく嘆息した。


(……おいおい)


 まったく。

 何を考えているのか。

 ミランシャは、確かに魅力的な女性だ。

 しかし、ミランシャは、アッシュのことを友人だと思っているのだ。

 それも、信頼を置く親友としてだ。そう公言している。


 サクヤ。オトハ。シャルロット。

 自分のような情けない男を想ってくれる彼女たちとは、全く違うのである。


 敗北で落ち込んでいるところに、こんな逃げられないような態勢にもっていき、さらに口説いたりでもしたら、それこそ最低の男だ。

 しかも、今のミランシャの心境なら、簡単に落とせてしまえる気がする。

 このまま、友人相手だと油断しているミランシャの体を両腕で捕えて、その唇でも強引に奪ってしまえば、ただ、それだけで……。


(……だから、何考えてんだよ。俺は)


 アッシュは眉をしかめて、かぶりを振った。

 本気で最低な考えだ。いくらミランシャがとても魅力的だといっても、許されることではない。彼女の信頼を裏切るような行為である。

 そもそもユーリィの件も解決せずに、四人目など……。


(いやいや。四人目って何だよ)


 再び、自分自身の思考にツッコミを入れて、アッシュは、深々と嘆息した。

 サクヤたちが、今の状況を受け入れてくれていることは理解している。

 アッシュ個人としては、それって本当にいいのか?……という思いが、未だ拭えきれないでいるが、彼女たち三人に関しては、何としても幸せにするつもりだった。

 しかし、それは、別に四人目を作ってもいいという話ではない。

 まあ、ユーリィに関しては悩みどころだが、それはいずれ結論を出すつもりだ。


 ともあれ、今は四人目の話だ。

 これ以上、嫁を増やしてどうするのだ。


(どうも、考え方が変な方向に行ってるような気がすんな)


 そもそも二人も恋人がいて。

 今朝には、シャルロットまで口説いておいて、この状況は何なのか。


(ヤべえ。俺って、あのおっさん化してないか?)


 アッシュは、少し危機感を覚えた。

 これまでの生涯で、ここまでモテたことは初めて(※アッシュ主観)なので、意外と自分でも混乱しているのかもしれない。

 閑話休題。

 ともあれ、ミランシャは、アッシュの腕の中でキョトンとした表情を見せていた。

 無垢なお嬢さまは年齢よりも少し幼く見えて、とても可愛く見える。


(……はァ)


 この体勢はどうにもまずい。

 だが、信頼しているからこそ、この状況を受けて入れているミランシャを、今さら押しのけるような真似も出来なかった。

 アッシュは、とにかく話題を変えた。


「ああ。実はもう一つお前に聞きたいことがあんだよ」


 ここに来たもう一つの目的を告げる。


「アタシに聞きたいこと?」


 ミランシャは顔を上げたまま、目を瞬かせる。

 アッシュは「ああ」と頷いた。


「最後の戦闘だ。フォクス選手、いきなり強くなっただろ?」


「ええ。あれね」


 ミランシャは、ぷくうっと頬を膨らませた。その姿もやはり愛らしい。


「あれって反則よね。絶対 《極光石》を使ってたわ」


「おう。そいつは俺もオトも感じてたよ。けどよ」


 アッシュは双眸を細める。


「どう考えても、フォクス選手の今の力量で扱える代物じゃねえだろ。そこら辺、ミランシャは何か感じなかったか?」


「ああ、それね」


 ミランシャは、ポスンと頭をアッシュの胸板に乗せた。


「確かに、今の彼女の実力で扱えるものじゃなかったわね。なのに、彼女は短時間だけどそれを使いこなしてみせた。いきなり力量を上げてね」


 思い出したせいで少し不快感を抱きつつも、アッシュに甘えるように頭を揺らして、彼女はあごに指先を置いた。


「考えられるのは、薬物による感覚や思考の鋭敏化。けど、前もって服用した遅効性にしては効果が出るタイミングがよすぎた。かといって、即効性でも、あそこまで早く効果は出ない。なら、考えられるのは一つだけよ」


「……そっか。やっぱりそうだよな」


 アッシュは渋面を浮かべた。

 よりにもよって、あれに手を出してしまうとは……。

 手段としては下の下の選択だ。

 若手の傭兵に使用しないように注意される手段だった。


「馬鹿な真似をしちまったな。フォクスさん」


 アッシュが呟く感想には、ミランシャも同意見だった。


「うん。そうよね。まったく無茶をするものだわ」


 そう呟く。

 そして彼女は、再びアッシュの顔を見上げると、一拍おいてポツリと告げた。


「フォクスさん。多分、彼女、《焦熱しょうねつ》にかかってるわよ」

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