第440話 美しき、闘宴の開幕③

 一方、その頃。

 アッシュは困惑していた。


(……何してんだ、俺?)


 思わずそう思う。

 アッシュは今、クライン工房近くの土手で、ダインと二人並んで座っていた。

 まるで、夕日でも見ながら、たそがれているような趣だ。

 まあ、まだ朝の九時を少し過ぎた頃ばかりで、夕日なんてどこにもないのだが。


 クライン工房でダインに呼び止められたアッシュは、ダインと共に、そのまま近くの土手まで移動。しかし、ダインが一向に何も話さないので、困ったアッシュが土手に腰を下ろしたら、ダインも横に並んだのだ。

 そうして男二人で、土手に座り込む事態になったのである。

 それが、五分も続いた。


「……なあ、ダインさん」


 流石に居づらくなって、アッシュは声を掛けることにした。


「そろそろ用件を話してくれねえか?」


 こうしていても埒が明かない。

 そもそも、アッシュにはこれから用事があるのだ。

 それはダインも同じはずだった。


「一体、何の用なんだ?」


 再度尋ねる。と、


「……オイラは」


 ようやくダインが口を開いた。


「もとは雑貨屋の倅なんすよ」


(……おおう)


 アッシュは、顔を強張らせた。

 いきなり身の上話が始まってしまった。

 これは、もしかして相当長い話になるのだろうか……。


「オズニア大陸の西側にある小さな街の古びた雑貨屋っす。オイラはその店を継ぐのが嫌で飛び出したんすよ」


 ダインは、顔を上げて遠い目をした。


「ただ物を仕入れて、毎日店番するだけの退屈な日々でした。オイラは、吟遊詩人が語るような英雄になりたかったんす。だから、実家のことは全部弟に押し付けて、傭兵の世界に飛び込んだっす」


「……そっか」


 アッシュとしては、相槌を打つぐらいしかできない。

 下手に遮ると、また沈黙しかねないからだ。

 ダインは話を続ける。


「最初に入団したのは中規模ぐらいの傭兵団でした。たまたま団員を募集してたんす。オイラは飛びつきました。けど、新人に鎧機兵なんて配給してくれるはずもなくて、オイラは雑用ばかり任されました。けど、そんなある日のことっす」


 ダインは、グッと拳を固めた。


「固有種討伐の大きな依頼が入ったんす。複数の傭兵団合同の。うちよりもずっと大きい傭兵団も参加した依頼でした。けど……」


 ギュッと目を瞑る。


「固有種の魔獣はガチで強すぎたっす。うちの傭兵団は壊滅。最も大きかった傭兵団も蜘蛛の子を散らすように逃げ出しました。もうみんな必死っす。オイラも逃げたんすけど鎧機兵もなしじゃあ逃げきれるはずもなくて、固有種の前に取り残されました」


「……そいつはキツイな」


 流石にアッシュも渋面を浮かべる。

 固有種の前に生身で放り出される。それに絶望を抱かない者はいないだろう。

 恐らくダインも死を覚悟したに違いない。


「もうダメだと思ったっすよ。実家の親父やお袋、弟に心の中で何度も謝りました。ガチで小便まで漏らしました。けど、そんな時だったんすよ」


 ダインはわずかに表情を和らげた。


『――大丈夫か!』


 あの時聞いた声は、今もよく憶えている。


「レナさんがオイラを助けてくれたんす。レナさんだけじゃない。ホークスさんもキャスさんも。オイラが取り残されているのに気付いて、戻ってきてくれたんす。オイラにとってあの人たちは命の恩人なんすよ」


 ダインは拳を固めたまま、アッシュを見据えた。


「その後、みんなに助けてもらったオイラは、レナさんの声掛けで《フィスト》に入団することになりました。《フィスト》のみんなは、オイラにとって恩人であり、大切な家族なんすよ。そしてレナさんは――」


 ダインは、はっきりと告げる。


「オイラの女神さまなんす。心底惚れた相手なんす。あの人には誰よりも幸せになって欲しいんす。――だから!」


 そこで、ダインは立ち上がった。

 拳をアッシュに突き出して宣言する。


「オイラは絶対にあんたを認めない! あんたみたいな最低なハーレム野郎にレナさんは絶対に渡さないっす!」


 静寂が訪れる。

 アッシュは黙って、ダインの拳を見据えていた。

 ――が、ややあって。


「……そっか」


 おもむろに立ち上がり、座って付いた埃を、パンパンと払った。


「まあ、レナも、結構無茶苦茶言うしな」


 そう言って、深々と嘆息した。


「安心しろよ。レナの言ってた決闘の条件は無効だ。今の俺は傭兵でもねえし、そもそも決闘には拒否権もある。受ける義務なんてねえ」


 仮にレナが優勝したとしても、その願いだけは聞かないつもりだった。

 流石に、レナの人生を天秤にかけるような決闘は受けられない。

 自分の工房程度では、とても彼女の対価にはならないと考えている。


「そういう話じゃねえっす」


 しかし、ダインの着目点は別の所にあった。


「レナさんはあんたのことが好きなんすよ。あんたみたいな最低な野郎を。あんた、ハーレムはともかく、少なくとも二股はかけてるそうっすね」


 その話は、キャスリンから大方聞いていた。

 ダインは強い憤りを感じたものだ。

 一方、アッシュは、ダインを見据えて……。


「……確かにな」


 嘆息した。

 その点に関しては、何も反論できない。

 愛する女は一人でいい。

 ずっと、アッシュはそう考えていた。

 そうして選んだのが、サクヤだった。

 彼女と死に別れ、長い月日の果てに、もう一度だけ選んだのがオトハだった。

 そういった意味では、オトハは後妻のような立場にある。

 世間一般でいう二股とは、少し意味合いが違うのかもしれない。

 だが、それは言い訳に過ぎなかった。


(結局、俺は……)


 黒い眼差しを細める。

 改めて、自分の心と向かい合ってみた。

 結局、自分は大切な人を失うことが怖いのだ。

 掌から命が零れ落ちる、あの感覚が心底恐ろしいのだ。


 ――例えば、サクヤが光と成って消えた日。

 ――例えば、ユーリィが《聖骸主》と成ったあの夜。


 あの絶望だけは、もう二度と味わいたくない。


「俺は大切な女を失いたくない」


 彼女たちをこの腕の中に。

 あらゆる災厄から、彼女たちを守る。

 それは、かつての頃の自分には到底できないことだった。


 自分は弱く、愚かだった。

 そのせいで、愛する人を失った。


 だが、今の自分なら――。


「俺は、最低な男でも構わねえ」


 アッシュは、言い切った。


「生涯この手で守る。そう決めたからこそ、俺はあいつらを抱いたんだからな」


「……この手で守るっすか」


 ダインは、不快そうに反芻した。


「それって女が自分の身も守れないぐらいに弱いって決めつけた台詞っすね」


 続けて、そう言い返すと、


「そうは言ってねえよ」


 アッシュは苦笑を浮かべて、かぶりを振った。


「そもそもオトは……いや、ある意味、サクの方もか。あの二人は紛れもない最強クラスの力を持っているぞ。ただ」


 一拍おいて、自分の掌を見つめた。


「後悔だけは二度としたくねえんだよ。あいつらが強いとか弱いとか関係ねえ。俺が弱かったせいで……傍にいなかったせいで失った。あんな想いだけはもう御免だ」


 大切な人。愛しい者だからこそ、この手で守りたい。

 二度と後悔しないために。

 何より、今の自分なら守り通せると自負しているからこそ。


「だから、俺はあいつらを離さない。二人ともだ。でなきゃあ守れねえからな。大切の女は俺自身の手で守りてえんだよ。誰になんと言われてもな」


 改めて、理解する。

 結局のところ、この想いはサクヤとオトハに限ったことではなかったのだ。


 ユーリィに対しても。

 シャルロットに対しても。


 心の奥底では、彼女たちにも同じ想いを抱いている。

 この傲慢で強欲な想いがあるからこそ、答えが出せずにいたのだ。

 それをようやく自覚する。


 ――守りたい者は、すべてこの手に。


 それが、己の深奥に眠っていた本心なのだと。


(……そうだ。俺が本当に望んでいることは……)


 アッシュは、一度瞳を閉じた。

 拳を固めて覚悟を決める。

 そして、ゆっくりと開いてから、言葉を続けた。


「もう一度言うぜ。俺は最低な男でも構わねえ。俺にとって大切な女は離さねえ。他の誰にも託さねえし、渡しもしねえ」


 アッシュは、自分の右手を掲げて強く握りしめた。


「大切だと確信した時。俺はそいつを離さない。必ず守る。それこそ一生な」


 それは、眼前の青年にではなく、むしろ自分自身に語りかけた言葉だった。

 場が、シンとする。

 ダインは、静かな眼差しでアッシュを見据えていた。

 沈黙が続く。そして、


「……本当に、呆れた奴っすね」


 ダインは、眉をしかめて嘆息した。


「それって気に入った女は全員自分のモノにするって宣言してるだけじゃねえっすか。一生って言葉もどこまで本気か知れたもんじゃねえっす。このハーレム野郎」


「うっせえよ」


 確かにその通りでもあるので少しヘコみつつも、アッシュは眉をしかめた。

 何もハーレムを推奨している訳ではないのだ。


「言っとくが、別に俺はハーレムを築きたい訳じゃねえぞ。今の話も本当に大切に想う女に限っての話だ。そもそも俺がこれまでの人生で抱いた女は、それこそサクとオトの二人だけなんだよ。これ以上は増えねえ可能性だって皆無とは――」


「オイラはゼロ人っすよ」


 ……………………。

 ………………。

 ……………。


「……そっか」


 アッシュは、重い口調で告げた。


「なんか、すまん」


 それに対し、ダインも後頭部に手を当てて頭を下げた。


「いや。そこは気にしないで欲しいっす。それよりも」


 ダインは、拳を突き出した。


「やっぱ、オイラはあんたのことが気に入らないっす! つうか、今の話を聞いて、このままだとレナさんが100%犠牲者になっちまうことを確信したっす! レナさんの目を覚まさせるためにも、あんたの化けの皮は剥がさせてもらうっすよ!」


「いや、化けの皮って言われてもな」


 アッシュは、ポリポリと頬をかいた。


「何をする気だよ?」


「作戦はあとで考えるっす!」


 そう告げると、ダインは背中を向けた。


「ともかく、あんたはレナさんの前でぶちのめすって決めたんす! 今日はそれだけを言いに来たんすよ!」


「いや。ならそれを最初に言ってくれよ」


 そう返すが、ダインはすでに聞いていない。

 大股でどんどん進んでいっている。向かう場所は停留所か。

 アッシュは嘆息した。


「珍客は帰ったか。それにしても」


 ボリボリ、と頭をかく。


(改めて、自分を知る機会だったな)


 自分の本当の心を。

 サクヤとオトハだけではない。

 自分の強欲は、自分が思っている以上に大きかった訳だ。


(やっぱヘコむなあ……)


 アッシュは、空を見上げた。

 自分の信条と本心に、ジレンマを感じないといえば嘘になる。

 が、いずれにせよ、自分の本心が分かった以上、そろそろ、シャルロットとユーリィについても真剣に考えるべきだろう。

 しかし、シャルロットの方はともかく、ユーリィの方は――。


「……なんか、俺の人生って、難題ばかりなんだよな」


 深々と溜息をつくアッシュだった。

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