第441話 美しき、闘宴の開幕④

「………アッシュ?」


 その時、ユーリィは後ろを振り向いた。

 しかし、そこにいたのは見知らぬ男性だった。

 男性はほんのり赤い顔で、ボトルに入った発砲酒をあおっていた。


「………ムム」


 ユーリィは、どこかがっかりした様子で前を向いた。


「ん? どうした? エマリア?」


 隣に座るオトハが、首を傾げて尋ねてきた。

 対し、ユーリィは溜息をついて。


「アッシュの声が聞こえたような気がしたの」


 そう返す。結局その勘は外れたようだが。


「この人混みだからね」


 と、呟くのはサクヤだ。

 いつもの炎の華紋が入った白いタイトワンピースを着ている。

 ちなみに、オトハも普段通りの黒い革服。ユーリィは工房のつなぎ姿である。


「アッシュの声と聞き間違えても仕方がないよ」


 と、続けてサクヤが言った。

 ユーリィたち三人は今、吹き抜けになっている闘技場の第三列に並んで座っていた。

 右からユーリィ、オトハ。一つ空けてサクヤの順だ。

 空いている席はアッシュの指定席だった。なお、ユーリィの護衛である九号だが、今日はお休みで、今は兄弟機たちと一緒に王城にいるはずだった。


(………むう)


 正直、この並びはユーリィにとっては不満なのだが、大会は三日間ある。残り二日はアッシュの隣に座らせてくれるということなので承諾した。


 ユーリィは周囲を見渡した。

 アッシュの指定席以外は、すでにほとんどが埋まっている。

 今日の大会のために集まった観客たちだ。

 まだ入場式もまだというのに、熱気と騒々しさが凄まじい。


「お~い、こっちだ!」「ボトルは足りるか?」「この子、迷子みてえだ。ちょっと受付に行ってくるよ」「焼き鳥はいりませんかあ~」


 男性に女性。子供から老人まで。

 様々な声が、あちこちで入り混じっている。

 各通路には主催者側から要請されたのか、第三騎士団の騎士たちの姿も見かけた。

 本当に凄い人数だ。

 これでは、アッシュの声と聞き間違えても仕方がないだろう。


「クラインの奴。少し遅いな」


 オトハが、腕を組んでそう呟く。

 ユーリィも「うん」と頷いた。


「仕事量からすると、そんなにかからないはず。もう来てもおかしくないのに……」


「これだけの人数だしね。入場に手間取っているのかも」


 と、サクヤが頬に手を当てて言う。

 続けて、サクヤは周囲を見渡した。


「けど、私、闘技場は初めてだけど大きいんだね」


 吹き抜けになったすり鉢状の闘技場。

 鎧機兵の戦闘用のため、観客席は舞台よりも七セージルほど高い位置にある。

 そして観客席の最上段。

 そのさらに上にある、今回に向けて増築されたというVIPルーム。煉瓦造りの箱型の部屋だ。外から中の様子は窺えないが、ガラス張りの部屋だった。

 それが三方向にそれぞれある。唯一空いた方向には、ビッグモニターがあった。

 鎧機兵の機能から転用したという新設備である。


「久しぶりに来たけど、なんか凄く豪華になった」


 と、ユーリィが言う。


「けど、VIPルームなんて誰が使うんだろ?」


「それは王族とかじゃないのかな?」


 サクヤがそう言うと、


「ルカが?」


「あ、そっか。ルカちゃんって王族だったよね」


「……忘れるなよ。コノハナ」


 オトハが呆れるように告げる。

 サクヤは苦笑を浮かべた。


「あの子、全然気取らない子だから。凄く可愛いし。それよりオトハさん」


「……何だ?」


 オトハは、怪訝そうな顔でサクヤを見やる。


「私のことはサクヤでいいよ。アッシュやレナみたいにサクでもいいから。それに出来ればユーリィちゃんとか、他の人たちのことも名前で呼んだ方がいいと思うよ」


「??? 何故だ?」


 オトハは少し眉をひそめた。


「いや、他の奴らとも、もうそれなりに親しいからな。シャルロットのように名前で呼ぶのもやぶさかではないが……」


 そこで、オトハはユーリィに視線を向ける。

 ユーリィは、こくんと頷いた。


「名前で呼ばれることは私も別に構わない。けど、どうして急に?」


 最後の質問は、サクヤに対してだった。


「え、いや、だって……」


 サクヤは、ポリポリと頬をかいた。


「私たちが全員『ラストステージ』に至ったら、全員が『クライン』になるんだよ。今から慣れていた方がいいかなって思って」


「……う、そういうことか……」


 オトハが呻く。一方、質問した当人のユーリィは「おお~」と瞳を輝かせた。


「確かに言われてみるとその通り。オトハさん、慣れた方がいい」


「う、む……」


 オトハは、コホンと喉を鳴らした。


「しかし、そうなってきたら、私はクラインも名前で呼ぶことになるんだな」


「それも慣れた方がいいかな」


 サクヤは笑った。


「う、む……」と、オトハは再び呻いた。


 特別な状況ではすでに本名で呼んでいるのだが、意外と恥ずかしいオトハだった。


「まあ、努力はしよう。それよりもだ」


 オトハは前を向いた。その視線の先にはビッグモニターがある。


「あのモニターは意味があるのか? 鎧機兵の操縦席を映すものと聞いたが」


「……うん。それは私も思った」


 ユーリィが言う。


「戦闘になると、みんな鎧機兵の動きに集中する。舞台を映すのならともかく、操縦席内はあまり意味がないような気がする」


「そう言われるとそうだね」


 サクヤも、モニターに目をやった。


「何か別の目的とかあるのかな?」


「どうだろうな。まあ、シンプルに舞台の方も映せるのかもしれないが」


 と、オトハが腕を組んだ時だった。


「おっ、いたな。お前ら」


 不意に声を掛けられる。三人が振り向くと、


「アッシュ!」「トウ……コホン。アッシュ」


 ユーリィとサクヤの双金コンビが、笑顔で迎える。

 一方、オトハは、


「遅かったな。クラ……クライン」


 名前で言い直そうとして、結局、家名で呼んだ。

 サクヤとユーリィは「あ、ヘタれた」といった眼差しを見せていた。

 事情を知らないアッシュは、特に気にすることもなく、


「おう。出かける前に、ちょいと来客があってな」


 オトハとサクヤの間の空席に座った。

 次いで、舞台の方を見やり、


「どうやらギリギリ間に合ったみたいだな」


 そう言って、苦笑を零した。

 アッシュの視線の先には、入場門から現れた司会者の姿があった。

 黒いタキシードに身を包んだ三十代の男性だ。

 彼は軽やかな足取りで、舞台の中央に設置された台座に上る。

 そして、赤い蝶ネクタイをククッと整えてから、


『レディース&ジェントルメーーーン! 大変長らくお待たせいたしました! これより第十八回 《夜の女神杯》を開催いたします!』


 拡声器マイクを片手に、開始の声を上げた。

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