第427話 《夜の女神杯》②
「トウヤ! トウヤ!」
レナは、元気いっぱいに告げた。
「オレは、トウヤを仲間にしたそうに見つめている!」
「……いや。お前、何を言ってんだ?」
鳥が羽ばたく清々しい早朝。クライン工房前にて。
両の拳を胸の前に、キラキラと瞳を輝かせながらそんなことを言ってくるレナに、アッシュは訝しげな様子でそう返した。
しかし、レナは揺るがない。
「――オレはトウヤを仲間にしたそうに見つめているんだ!」
「……うん。俺にも分かるように説明してくれ」
アッシュは嘆息した。
レナと再会した翌日。依頼は受けたばかりだというのに、一日さえも空けずに、レナは再びクライン工房にやって来た。
『おはよう! トウヤ!』
元気に手を振って駆けてくるレナ。
『どうしたんだ? レナ?』
『うん! あのな!』
そう切り出して口にしたのが、先程の台詞だった。
アッシュは首を傾げた。言っている意味がまるで分からないのだが、レナは瞳をキラキラと輝かせるだけで、全く説明しようとしない。
すると、
「……その女が『レナ』か?」
不意に後ろから声を掛けられた。
アッシュが振り向くと、そこには少し不機嫌そうなオトハがいた。
隣には、同じく機嫌が悪そうなユーリィの姿もあった。
「おう」
アッシュは頷いた。次いで、レナの頭をくしゃくしゃと撫でながら、
「俺の友人のレナだ。こう見えても傭兵だよ」
と、レナを紹介する。
「おう!」
レナは、オトハにも劣らない双丘をたゆんっと揺らして胸を張る。
「傭兵団 《フィスト》の団長のレナだ! よろしくな!」
それからニカっと笑い、
「ところで、お前は誰なんだ?」
「……私か?」
オトハは腰に片手を当てて、『敵』を見定めるように瞳を細めた。
「オトハ=タチバナだ。私も傭兵をしている。今は休職中だがな」
「へえ~、同業者なのか」
少し警戒するオトハにも、レナは明るかった。
「けど、なんで休職中なんだ?」
と、素朴な疑問をぶつけてくる。
オトハは「え?」と少し言葉を詰まらせた。
オトハがこの国に滞在している理由は一つだけ。
アッシュがこの国にいるからだ。そして彼女の元々の目的は――。
「その、私とクラインは、昔、同じ傭兵団にいたことがあってな。私はクラインの奴を、もう一度傭兵に戻そうと考えて……」
「えっ! そうなのか!」
レナは目を丸くした。
次いで、ポンと手を叩き、
「そっかあ。じゃあ、オレと同じなんだな」
ニカっと笑ってオトハの手を掴む。オトハは目を瞬かせた。
「え? え?」
「頑張ろうな。トウヤを傭兵にするんだ!」
「いや、それは確かに私も望んでいることだが、え?」
「うん! 頑張ろう!」
「あ、うん。はい」
オトハは困惑しつつも、気付いた時には頷いていた。
すると、ユーリィが、肘でオトハをつついた。
「黒毛女。何を懐柔されているの」
「いや、何か分からない内に……」
オトハはまだ困惑していた。
それに対し、レナの方といえば、ぺかあっと表情を輝かせていた。
「それにしても、オトハも強いな。立ち姿がすげえ綺麗だ! 対人戦なら、多分キャスよりも強いぞ。よし! なんならオトハもオレの団に入るか! トウヤと一緒に!」
「だから、その名前で呼ぶなって」
パカンっ、とアッシュはレナの頭を叩いた。
レナは、自分の頭を押さえて、アッシュを睨みつけた。
「何すんだよ。トウ……あ、アッシュだっけ?」
「そうだよ。つうか、仲間ってそういう意味だったのかよ」
「ん? オレ、最初っからそう言ってなかったか?」
小首を傾げてレナが言う。
アッシュは、深い溜息をついた。
「あのな。俺はようやくこの店を出したんだぞ。固定客も少しついて、それなりに軌道にも乗ってんだ。なんで傭兵に戻らなきゃなんねえだよ」
「けど、傭兵ならもっと儲かるぞ」
と、レナが言うが、アッシュはかぶりを振った。
「それはよく知っているよ。けど、俺は安全で安定した生活をしてえんだよ」
もう波乱万丈な人生はまっぴらだ。
これからは平穏に生きる。そのためにこの国にやって来たのだ。
ただ、この国に来ても、あまり平穏じゃないような気がするのは悩みの種だが。
「ともあれ、俺は傭兵にはなんねえ。以上だ」
「「むむむ」」
アッシュの宣言に、レナと、ついでにオトハが呻いた。一方、ユーリィだけは「私もいつでもお風呂に入れる今の生活の方がいい」と呟いていた。
アッシュは、
「……お前らな」
アッシュは彼女の間をすり抜けるように工房内に入っていく。
そして振り返ってこう告げた。
「とりあえず、朝飯にしようぜ。レナも食ってけよ」
そうして、朝食を取り。
アッシュとユーリィは仕事に、今日は休暇だったオトハとレナは、同じ傭兵同士だったためか、意外と意気投合して談話をしていた。
「……そうか。レナの傭兵団はオズニアで活動していたのか」
「おう。けど、オレはセラ出身でさ。活動範囲を広げたくなったんだ」
と、レナが笑う。
二人は今、クライン工房の隣の大広場にいた。
工房の壁際にパイプ椅子を二つ並べて座っている。わざわざ外にいるのは、仕事をしているアッシュとユーリィの邪魔をしてはいけないという配慮だ。
「まあ、個人的にはオズニアには妹がいねえって、うすうす感じてたのもあったしな。そんで思い切ってセラに戻って来たんだ」
「なるほど……」
オトハは目を細める。
「妹さんと再会できてよかったな」
「おう」
レナはニカっと笑った。
「まさか、伯爵と結婚しているとは思わなかったけどな。年齢の都合でまだ婚約者らしいけど、次に会う時は甥っ子か、姪っ子が生まれてるかもな」
そこで、レナは「うんうん」と腕を組んだ。
「オレも頑張らねえとな。多分、トウヤはまだサクのことが好きだろうし」
「……レナ。お前は……」
オトハは、何とも微妙な表情でレナを見つめた。
「やはり、クラインのことが好きなのか?」
「おう! 大好きだぞ!」
レナは即答した。
やはり推測通りの返答だ。そして改めて実感する。
どれほど性格が違っていても、アッシュを好きだという女性には迷いがない。
彼女も例外ではないようだ。
「そ、そうか……」
ラスボスのようなサクヤも迎えて、ようやく方向性がまとまったと思っていたのに、ここに至って、よもやの新しい参戦者とは……。
流石に顔を強張らせるが、それには一切気付かずに、レナは言葉を続けた。
「オレがトウヤの女になるのは確定だとしても、やっぱ、オレも子供が欲しいな。妹には負けてらんねえし。それに、オレとトウヤの子供ならきっとすげえ強いぞ」
「……ふん。それなら」
絶対に、私とクラインの子供の方が強い。
そう言いかけてオトハは、コホンと喉を鳴らした。
「と、ところでレナ」
やや赤くなりかける顔を誤魔化すように、オトハは別のことを告げた。
「お前がクラインの旧友とは知っているが、その名であまり呼ぶな。私だって、特別な時以外は控えているんだぞ」
「へ?」レナは目を瞬かせた。「特別な時って?」
「え?」
レナの問いかけに、オトハはキョトンとした。
――が、すぐに、今度こそ耳まで真っ赤になって俯いた。
「い、いや、そ、それは……」
両足は内股に、小さく体を縮こませる。
自分の迂闊な失言に、頭から湯気が出てしまいそうだった。
アッシュの本名を呼ぶ。それはオトハの我儘だった。
二人だけの時。
――そう。本当に誰もいない二人だけの時のみに呼ぶ名前なのだ。
それは、あの運命の夜に、彼に『お願い』したことだった。
あの夜、感極まった際に、思わず彼の本当の名前を呼んでしまったのだ。
そこで初めて気付いた。
恐らく、その名前を知った時から、オトハにとっても、その名前は特別な意味を持つものになっていたのだろう。それがつい口から零れ落ちてしまったのだと。
オトハは、今だけはその名を呼んでもいいかと彼に尋ねてみた。
『ダ、ダメか……?』
『……いや、今だけなら構わねえよ』
彼女の愛しい青年は少し躊躇いつつも、受け入れてくれたのである。
流石に、こればかりは誰にも語っていないことだった。
「どうしたんだ? オトハ? 顔が真っ赤だぞ?」
オトハの顔を覗き込んで、レナが言う。
回想から戻ったオトハは、ブンブンとかぶりを振った。
「い、いや、気にするな。それより、気をつけろよ」
「おう。トウヤ……あ、違った。アッシュの名前の件だよな」
レナは素直に頷いた。
どうやら意図的にではなく、素で間違えているようだった。
オトハは緊張と一緒に、大きく息を吐きだした。
「まあ、徐々に慣れていけばいいさ」
オトハは、レナに目をやった。
しかし、ユーリィから話には聞いていたが、本当に若い容姿だ。
オトハも十代後半と間違われることは結構あるが、レナは十代半ばにしか見えない。
とても、自分やミランシャと同い年とは思えなかった。むしろ、これで二十代だと言われても、子供が年齢を誤魔化しているようにしか見えないだろう。
(しかし、この見た目で……)
オトハは、ちらりとレナの胸元に目をやった。
何とも凄いボリュームだ。恐らく、自分やサーシャにも並ぶレベルだ。
オトハ自身は胸に関しては、ミランシャぐらいのが丁度いいと考えていた。
さほど邪魔にもならず、動きやすそうだからだ。
傭兵稼業に就くような女性は、大抵はそう考える。
しかし、今のオトハは、実体験で知っていた。
彼女の愛しい青年は、大きい方が好みであると。
(……むむむ)
内心で唸る。
そう言う意味では、レナは充分すぎるほどに、アッシュの好みということになる。
まあ、彼は性格面こそを一番重視しているようだが。
(それよりも今は……)
オトハは頭を悩ませた。
この新たな参戦者をどう扱うべきなのか。
自分たちの同志にするのか、それとも『敵』として排除すべきなのか。
それを判断しなければならなかった。
「どうしたんだオトハ? さっきから、なんか難しそうな顔をしているぞ」
そんなことは露知らず、レナは無邪気にそう尋ねてくる。
オトハは嘆息した。
一人で考えても、判断は下せない。
ここは、やはり他のメンバーの意見も聞くべきだろう。
「……いや。少し考え事をしていただけだ。それよりも」
オトハは視線をクライン工房の前の方に目をやった。
レナもつられて、そちらに視線を向ける。
――すると、
「あれ? オトハさん? レナさん? そんな所で何をしてるんですか?」
いつものヘルムを片手に抱えて。
これまたいつもの制服、そしていつものブレストプレートを身に着けたサーシャが、不思議そうな顔で覗き込む姿がそこにあった。
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