第428話 《夜の女神杯》➂

「よいしょっと」


 ――ガシャン、と。

 サーシャは、身に着けていたブレストプレートを地面に落とした。

 女性的なフォルムをした鎧であっても、やはり圧迫はされていたようで、サーシャは豊かな胸をたゆんっと揺らしながら、大きな伸びをした。

 ブレストプレートを落とした地面には、すでに銀色のヘルムを置いている。

 そうして身軽になったサーシャは、大広場の中央に移動した。

 そこには、つなぎ姿のアッシュがいた。


「準備は出来たか? メットさん」


「はい! お待たせしました、先生」


 サーシャは両腕を軽くストレッチしながら、アッシュに答える。


「すみません。二日連続で講習をお願いして」


「構わねえよ。昨日は色々あって、ほとんど出来なかったしな」


 アッシュは、レナを一瞥して苦笑いする。

 現在、彼らがいるのは、クライン工房隣の大広場だ。

 そこには、レナとオトハ、ユーリィの姿もある。

 三人はパイプ椅子に座って、サーシャの講習を見物していた。

 サーシャとしては、少しばかり緊張していた。

 それに気付いて、アッシュは「ははっ」と笑う。


「そんなに緊張すんなよ。メットさん。むしろ、レナもオトも現役の傭兵だ。いいアドバイスをしてくれるぐらいと思った方がいいぞ」


「いや、オトハさんがいるんですよ。採点が厳しそうで……」


 と、思わず本音を零すサーシャだった。


「だったら、これ以上緊張する前に、体を動かした方がいいようだな」


 アッシュは、クイクイと手招きをした。

 そして、


「全力でかかってこい」


 師にそう告げられ、サーシャは面持ちを改めて「はい」と頷いた。

 そうして、すっと拳を身構えて――。


「行きます!」


 一気に駆け出した。

 素晴らしく初動が速い。わずか一歩で間合いを詰めると、


「やあっ!」


 愛らしい声と共に、サーシャは拳を突き出した。

 気が抜けるような掛け声とは不釣り合いなほどに鋭い順突きだ。

 しかし、アッシュは、あっさりそれを受け流した。

 パンと払うのではなく、そっと腕に触れて軌道を逸らしたのだ。


「やあっ!」


 さらにサーシャは拳を繰り出す。が、それも音もなく逸らされた。


「むむっ!」


 サーシャは頬を膨らませて息を止めた。

 その後、無呼吸で拳を打ち続けるが、ことごとく逸らされ続ける。

 十数発を撃ったところで流石に息が続かなくなり、サーシャは間合いを取った。

 ――が、すぐに。


「やあっ!」


 雷速のような上段蹴りを繰り出した!

 直撃すれば、頭が吹き飛ぶのではないかという迫力だ。

 だが、それさえも――。


「おっと」


 アッシュには、まるで届かない。

 白髪の青年の両腕が、ゆらりと動くと、


「え? ええッ!?」


 サーシャは目を瞠った。

 今の一瞬で、サーシャは宙に飛ばされたのだ。

 まるで何かに引き寄せられるように、体が上昇する。

 それは、三セージルもの高さにまで上がった。


「ひやあっ!? ひやあああッ!?」


 流石に絶叫を上げる。

 大きな負傷は確実であろう高さだ。

 浮遊感が落下感に変わるのは一瞬だった。

 恐怖から青ざめて、サーシャはギュッと目を閉じるが、

 ――トスンっと。

 落下してきたサーシャは、アッシュの両腕で優しく受け止められた。


「こら。ヤべえ時には目を閉じるんじゃねえよ」


 腕の中でプルプル震えて小さくなるサーシャに、アッシュが苦笑まじりに告げる。


「え?」


 サーシャは、パチパチと目を瞬かせた。次いで、師にお姫さま抱っこされていることに気付き、カアアっと頬を赤くする。

 ただ、以前のように羞恥で暴れたりしない。

 今や彼女にとって、ここより安全で安らぐ場所はないからだ。


「す、すみません。先生」


 ぺこり、と頭を下げる。


「また、危ないところを助けてもらって」


 こうやって、高所から落ちたところを救ってもらうのは初日の講習の時以来だ。

 すると、アッシュはかぶりを振った。


「今回は俺が放り投げたんだけどな。けど、ある意味大したものだよ」


 アッシュは、サーシャを降ろした。


「あそこまで飛んだのは、メットさん自身の力がすげえってことだしな。やっぱ、メットさんは直感と身体能力で戦うタイプだったか」


「ああ、そうだな」


 と、オトハがアッシュに続く。


「フラムは身体能力が極めて高い。その点においては私以上だ。ただ、能力が高すぎるせいか、考える前に動き出す癖があるな」


 多くの生徒の一人ではあるが、サーシャはオトハの弟子でもある。

 サーシャの特徴は、すでに掴んでいた。


「直感で動くこと自体は悪くない。私もそれに救われたことは何度もある。しかし、鎧機兵を操るには、その戦闘法は向いていないのも事実だ」


 オトハはさらに告げる。


「鎧機兵は思考の兵器だ。機体の動きを把握して動かす。それが基礎とも言える。直感で動かすと正確に動きのイメージを再現できないことがあるからな」


 サーシャはオトハに視線を向けた。


「……それじゃあ、私、鎧機兵乗りに向いていないんですか?」


 不安そうにそう尋ねる。と、アッシュが「そんなことねえよ」と言って、くしゃくしゃとサーシャの銀髪を撫でた。


「駆け出しの訓練には向いてねえって話だよ。熟練にもなると、いちいち動きを考えて操る連中の方がほとんどいねえからな」


「おう! そうだぞ!」


 その時、レナが叫んだ。


「オレなんて、そんなこと考えたこともねえし!」


「……おう。そっか」


 アッシュは、レナの方を見て、少し頬を引きつらせた。

 どうも、この八年で、レナの考えなしぶりが悪化しているような気がする。

 レナの隣に座るユーリィの「この人、大丈夫?」といった表情が印象的だった。

 ともあれ、今はサーシャだ。

 アッシュは、サーシャに視線を戻した。


「メットさんはまず直感よりも、頭を使って動く訓練をした方がいいな」


「頭を、ですか?」


 サーシャがキョトンとした表情を見せた。

 それから、両手を揃えて上下に動かし、


「ヘルムで相手を殴るとか?」


「……いや。そういう頭じゃねえよ」


 何だかんだでこの子も武闘派だなあ、と思いつつ、アッシュは答えた。


「どう腕を動かすのか。どう動けば効率的なのか。相手の思考を考えるんだ」


「……相手の思考?」


 サーシャは、眉をひそめて反芻する。

 アッシュは「そうだ」と頷いた。


「相手の弱点は何なのか。どこを突くのが最も効果的なのか。まず、それを考えるんだよ。それから体を動かすんだ」


「……相手の、弱点」


 サーシャは考え込む。アッシュはふっと口角を崩した。


「そうだな。やっぱ実践してみるのが一番か。今から俺が意図的に弱点を作る。そこがどこなのか探って挑んで来い」


 言って、アッシュは、再びクイクイっと手招きをした。

 サーシャは「はい!」と頷いた。すっと身構える。


「じゃあ、行きます」


「おう。来い」


 アッシュがニヤリと笑う。

 そうして――……。




「やあっ」


「考え込みすぎだ。初動が遅い」


「えいっ」


「何故、そこで蹴りを出す? 掴まれるだけだぞ」


「へあっ」


「いきなり跳び蹴りはやっちゃダメだろ。直線的すぎるぞ」


「ていっ」


「だから、なんですぐ相手を蹴ろうとするんだ?」


「たあっ」


「だからやめろって。とりあえず蹴っとばそうとするな」




 と、そんなこんなで、およそ二十分間。

 サーシャは頑張った。とにかく頑張った。

 数えれば、数十回にも及ぶ組手。

 しかし、結局、アッシュからは一本も取れなかった。

 すべての攻撃は受け流されるか、かわされる。五本に一本は、宙に飛ばされてお姫さま抱っこをされた。時折、「こら。隙が多いぞ」と、ぺしんっと頭を叩かれた。

 あまりにお姫さま抱っこが連発されるので、途中でレナが「オレも! 次、オレの番!」と叫び、「なんで現役傭兵のお前に講習しなきゃいけねえんだよ」と、アッシュに一蹴される一幕もあったが、対人訓練は、さらに十五分ほど続いた。


 そして――。


「や、やあっ!」


 額から玉のような汗を流しつつも、サーシャは拳を繰り出した。

 しかし、途中で足を絡ませて、倒れ込んでしまう。


「おっと」


 アッシュは、倒れ込むサーシャを咄嗟に抱きとめた。


「流石に限界か。今日はここまでだな」


 言って、サーシャの頭をポンポンと叩き、背中を支える。

 彼女の制服は、背中までしっとりと汗が染みこんでいた。


「大丈夫か? メットさん」


 アッシュが、心配そうに声を掛ける。

 と、サーシャは、「だ、大丈夫、です」と答えて、


「まだ、やれ、ます」


「いや。ダメだ」


 アッシュは、かぶりを振った。

 今にも倒れそうな彼女の体を軽く抱き直す。


「もう体力が限界なんだろ。今日はここまでだ」


 サーシャは「……ん」と呟くと、顔を上げてアッシュを見つめた。

 その表情には、疲労の色が濃く浮かんでいた。

 だが、それでも、琥珀色の瞳には不屈の意志があった。


「で、でも」


「でも、じゃない」


 アッシュは、優しい声で諭す。


「メットさんはよく頑張った。だから、今日はもう休むんだ」


「………はい」


 サーシャは、渋々といった様子で頷いた。

 アッシュは微笑み、腕の中の愛弟子の後頭部を、再びポンポンと叩いた。


「おし。もう立つのもしんどいだろ。俺が運んでいくけどいいか?」


「え……」


 サーシャは一瞬だけキョトンしつつも、すぐに顔を少し赤く染めて、こくんと頷いた。


「おし。分かった」


 言って、アッシュは、サーシャを横に抱きかかえた。

 疲労困憊の彼女を落とさないように、しっかり密着させる。一方、サーシャは耳まで赤くしつつ、アッシュの胸元の服をキュッと片手で掴んだ。


「……あれこそ、まさに弟子フラムの特権だな」


 その様子にオトハが、ポツリと呟く。


「エイシスが、弟子にしてもらえなくて不満な気持ちなのもよく分かる。そもそも、クラインの馬鹿は弟子に甘すぎだ」


 しかし、そんな不満に満ちた呟きも、アッシュには聞こえない。

 愛弟子を心底大事そうに抱えて、オトハたちの元へと向かってくる。

 オトハは嘆息しつつ、「終了か?」と、アッシュに尋ねた。


「おう。流石にメットさんも限界だしな」


 アッシュがそう告げる。と、


「ずるいぞ! サーシャ!」


 レナが、突然そんなことを訴えだした。

 次いで、アッシュの腕の中でキョトンとするサーシャに詰め寄った。


「お前、お姫さま抱っこされすぎだ! 何回キャッチ&リリースされてんだよ!」


「……うん」


 ユーリィもレナに並んで頷く。


「私もそう思った。今日のメットさんはお姫さま抱っこされすぎ。時々、動きが凄く雑になった時もあったし、確信犯っぽい時があった」


「え……」


 サーシャは、少し頬を引きつらせた。


「ち、違うよ! 私は本気で訓練を……」


「……本当に?」


 ユーリィが、アッシュに抱かれたままのサーシャをジト目で睨んだ。


「それでも頑張りすぎ。いつもなら歩くのもしんどくなるまで訓練しない。わざわざ二日連続で講習をお願いしたりして、どうにも怪しい」


「え、えっとね……」


 サーシャは、ますます頬を引きつらせた。

 流石はユーリィ。その推測は、ある程度は図星でもあった。

 レナが現れたことに焦りを抱いて講習を連続で受けたことも。お姫さま抱っこを乱発してもらえるこの機会を手放したくなくて頑張りすぎたことも。

 どちらも紛れもない事実ではある。


 ――ただ、それだけがすべてではないが。


「おいおい」


 その時、アッシュが口を開いた。


「メットさんは訓練に熱が入りすぎただけだろ。それ以外に何があるんだよ」


 未だ、サーシャの気持ちにまでは気付いていないゆえの台詞だ。

 サーシャは、アッシュの頬をつねりたくなったが、今は溜息だけで我慢した。

 ――が、その代わりに。


「あのね、ユーリィちゃん」


 ユーリィへと話しかける。ユーリィは眉をひそめた。


「……なに?」


「えっとね。まあ、色々とあるけど、私が訓練を頑張るのには理由があるの」


 と、サーシャが告げる。ユーリィは少し目を丸くした。


「……そうなの?」


「うん」


 頷くサーシャ。これにはオトハも興味を抱いた。


「そうなのか? 別に近日に試験などもなかったと思うが……」


 サーシャの騎士学校の臨時講師でもあるオトハが、あごに手をやった。

 それに対し、サーシャは苦笑を浮かべた。


「試験とかじゃないです。ただ、近々大きなイベントがあるんです」


「「「イベント?」」」


 その台詞には、アッシュやレナも含めて反芻した。

 すると、サーシャは、少し気恥ずかしそうに笑って、


「ええっと、私ね……」


 一拍おいて、彼女はその名前を告げるのだった。


「実はね、《夜の女神杯ルナミスナイツ・カップ》に出るつもりなの」

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