第415話 想いは変わらず③

 長い船旅を経て、およそ二週間後。


「おお~、意外といい国じゃないか」


 アティス王国の市街区にて。

 キャスリンは、感嘆の声を上げた。


「もっとド田舎だと思っていたのだけどね」


 石畳で舗装された大通り。一定間隔で設置された恒力を利用した街灯。遠く見える高台には白亜の王城も見える。歩道と車道は明確に区分けされている訳ではないようだが、通行人も馬車も互いルールを守った通行を心掛けているようだ。


「へえ、これなら『鉄鋼車輌』が走っても問題なさそうっすね」


 と、ダインが呟く。

『鉄鋼車輌』とは、オズニア大陸の東方地区で普及されつつある馬を必要としない馬車のことだ。鎧機兵の技術を活用した恒力を動力にする輸送車である。

 非常に便利ではあるが、馬よりも速すぎて法整備や公道の舗装が徹底されていない場所では、些細なことで大事故を起こしやすいという問題もある。

 そのため、ごく一部の地域のみで、試行的に運用されているのだが、技術的にはもうほとんど確立しているとも言えた。


 ちなみに現在、『鉄鋼車輌』の開発、運用テストは鎧機兵発祥の地であるセラ大陸でも行われている。皇国や、エリーズ国のような大国では率先して行っていた。

 課題や問題点はまだあるが、それらも徐々に解決されつつあるので、『鉄鋼車輌』が世界的に認可される日も近いのかもしれない。


「治安も……よさそうだ」


 ハークスが、双眸を細めて呟く。

 彼の瞳には、老人に声を掛ける黄色い制服の騎士の姿が映っていた。

 大荷物を代わりに持ってあげようとしているようだ。


「ここならゆっくり出来そうだね!」


 キャスリンが、ニカっと笑う。

 しかし、それに対してレナの表情は、


「……そうだな」


 まだ暗いままだった。

 二週間の船旅でも、ずっと同じ顔をしていた。

 やはり相当重症のようだ。


(う~ん)


 キャスリンは、頭をかいた。


(これは根が深いね。やはり仕方がないか)


 キャスリンは、レナの友人だ。

 時々一緒に入浴もするし、親友と呼んでもいい間柄だ。

《フィスト》の立ち上げ時からの相棒であり、最も親しい人間でもある。


 だからこそ分かる。

 いや、分かりやすいぐらいか。


 レナは、何度も聞いたその村の少年に、恋をしていたのだ。

 恐らくは初恋だったのだろう。

 話の内容からも、それは読み取れる。


 傭兵団を一人で潰したとか。殴ると人が飛んでいったとか。


 レナが嬉しそうに語っていたその少年は、とんでもない逸話ばかりを持っていた。明らかに話を盛っている……というより、思い出補正で美化されているのだろう。

 傭兵を拳で吹き飛ばす農民がいるはずもない。


 レナは、ずっと、その少年への想いを大切に保管していたのだ。あれほどの美貌と、羨ましいほどのお胸さまを持っているのに浮いた噂が一つもないはずだ。

 ずっと、彼との再会を願っていたに違いない。

 それが理不尽に壊されてしまった。


 レナのショックは、相当なものだったのだろう。

 しかし件の少年は、結局のところ、レナの初恋の――思い出の相手に過ぎないのだ。

 それも、片思いしていただけの少年だ。


(件の少年が生きているのならともかく、過去の相手に囚われるのはよくないね)


 キャスリンは、視線を落とすレナを見つめた。

 レナは親友だ。当然、幸せになって欲しい。

 ならば、どうすべきなのか。


(決まっている。過去よりも未来が素晴らしいと分からせればいい)


 かつての自分のように。

 堕ちた家名に囚われ、自分たち家族を陥れた叔父への復讐ばかりを考えていた日々。

 それを救ってくれたのが、レナと――ホークスだった。

 特にホークスには、世界観まで変えられてしまった。


 自分が憎悪や確執を抱くことはもうない。

 彼に、どれほどの安らぎを与えてもらってきたことか。

 キャスリンはホークスに近づくと、思わず彼の左腕を掴んだ。


「……どうした? キャス……」


「ん~ん。なに。ぼくは幸運だと思ってね。やはりこれしかないだろう。よし、ダイン君」


「ん? 何すか、キャスさん」


「ちょっと耳を貸したまえ」


 言って、クイクイっと手招きした。

 ダインは、キャスリンたちに近づいていく。

 レナは仲間の様子に気付くこともなく、大通りを歩き続けていた。


「一体何の用っすか?」


 ダインがそう聞くと、キャスリンは声を落として告げた。


「ダイン君。君、レナを抱きたまえ」


「……へ?」


 ダインが目を丸くする。


「要は、レナとエッチしろと言っているんだ」


 そんなことを告げるキャスリンに、ホークスまで目を丸くした。

 すると、ダインが顔を真っ赤にして。


「な、何言ってんすか!? キャスさん!?」


「うるさい。声が大きい。この童貞め」


「ど、どどどどど童貞ちゃうわ!」


「うるさい。その反応が童貞なんだよ。いいかい。よく聞くんだ」


 キャスリンは、レナには聞こえないように話を続ける。


「レナは今、過去に囚われている。思い出の中の少年に心を奪われたままなんだ。それは分かるよね」


「……そりゃあ、見てりゃあ分かるっすけど……」


「思い出を大切にすること自体は悪くない。ぼくにも忘れたくない思い出があるしね。だけど、そのために未来を放棄するのは間違っているよ」


「……そうだな」


 神妙な声でそう呟くのは、ホークスだった。

 彼の視線は、歩き続けるレナの背中に向けられていた。

 キャスリンは「うん」と頷く。


「結局のところ、息抜きだけじゃダメなんだ。あの子の気持ちを変えるには、レナに過去よりも未来の方が大切であると理解させなきゃダメなんだよ。いいかい。そのための今回のバカンス。そして君なんだ」


「……オ、オイラ?」


 自分を指差すダインに、キャスリンは力強く頷いた。


「恋には恋さ。君がレナを口説き落とすんだ。昔の男を忘れるぐらい、彼女を君に夢中にさせるんだ。ぼくとしては苦肉の選択だけど……」


 キャスリンは、指先を額に当てた。


「なにせ、大切な親友の相手だしね。並みの男なんて認めたくないのが本音だよ。ダイン君は……まあ、仲間のよしみで、ギリッギリ合格ってことにしておくよ」


 そこで、自分よりも、ずっと背の高いホークスを見上げた。


「流石に、こればかりはホークスにお願いする訳にはいかないしね」


「当然……だ」


 ホークスは、キャスリンを見据えて不機嫌そうに言う。

 キャスリンは「え……」と目を丸くした。


「団長は……人としても……女性としても、魅力的な人だ。だが、俺が……これからの生涯で、抱くのはお前、だけだ。それだけは……絶対だ」


「う……」直球すぎる愛の言葉に、思わずキャスリンの顔が耳まで赤くなる。「う、嬉しいことを言ってくれるね。うわあ、今夜すっごく甘えちゃいそうだよ……」


 と、呟いたところでハッとし、ブンブンと頭を振った。


「と、とにかくだ!」


 それから照れ隠しのように、ダインの方を睨みつける。


「ダイン君は今回のバカンスで、レナにアタックするんだ。猛烈にね。宿の部屋はぼくとホークス。君用と、レナ用で三部屋とるつもりなんだけど……」


 グッと親指を立てる。


「帰る頃には二部屋になっておくこと! それが君のミッションだ!」


「お、おおお……」


 ダインは、感嘆にも似た声を零した。


「オイラに力を貸してくれるんすか、キャスさん……」


「仕方がなくね。よし。君のやる気を俄然に上げる朗報を一つ教えてあげよう」


 キャスリンは、こっそりと告げた。


「レナは、まだ初めてだよ」


 一拍の間。

 ――ブオッ、と

 ダインは鼻血を噴き出し、慌てて鼻を押さえた。

 キャスリンは「うわあ……」と表情を歪めた。

 ホークスまで「お前、それは、ないだろう……」と渋面を浮かべている。

 ダインの顔は真っ赤だった。


「……はあ」


 思わず、キャスリンは溜息をついた。


「そういうところが童貞なんだよ。う~ん、こんなのしか選択肢がないなんて……」


「ち、違うっす! これはただのチョコの食いすぎっすよ!」


「君、甘いものが苦手だったろ。それよりもレナだよ」


 キャスリンは、立ち止まっている自分たちを置いたまま、一人だけどんどん進んでいくレナに目をやった。


「うちの団長、どこまで行くつもりなんだい? 何かに引き寄せられてるみたいに全然足が止まらないし。このままだと街外れまで直行していきそうだよ」


「……本当に、心ここに、あらず、だな……」


 ホークスが心配そうに呟く。


「とにかく一度あの子を回収しよう。それから宿を探そうじゃないか」


 キャスリンが、そう告げた。

 この後、彼らは市街区の宿で三部屋とった。

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