第八章 小鳥は羽ばたく

第373話 小鳥は羽ばたく①

(静かな森ですね)


 愛機の中で、ボルドは瞑想していた。

 そこは、『ラフィルの森』の深奥。

 大きな木々と、繁みに覆われた場所だった。

 そして、その森で佇むのは、異形の鎧機兵だ。

 全長はおよそ四セージル。全身を覆うのは藍色の鎧。胸部装甲には黒い太陽と逆十字の紋章が刻まれている。右手に柄の長い銀色の戦鎚を持ち、下半身は虎を彷彿させる四足獣という半人半獣の姿である。

 恒力値・三万七千五百ジンを誇る《九妖星》の一角。《地妖星》だ。


(さて)


 ボルドは瞑想を止めて、口角を緩めた。


(クラインさんと死合うのも、これで何度目でしょうか?)


 ボルドは、《九妖星》の中でも最も多く、アッシュ=クラインと対峙してきた。

 ある時は、《商品》確保の任務中。

 ある時は、騎士団との遭遇戦で。

 ある時は、お得意さまと商談中にも。


(ああ、そういえば)


 ボルドは、周辺の景色に目をやった。

 胸部装甲の画面モニターに映るのは、静かな森の景観。


(森の中での撤退戦というものありましたね)


 確か、カテリーナが配属される一か月前のことだ。

 思えば、彼女は配属された時から言葉が辛辣だった気がする。


「だからこそ」


 ボルドは呟く。


「私は彼女が気に入っていたのでしょうね」


 彼女が、赤い眼鏡を上げる仕草を思い浮かべる。

 実に知性に溢れた部下だった。

 そんな部下から、知性と貞操を奪ったのは自分だった。


「……やれやれ」


 ボルドは、指を組んで深々と嘆息した。


「私もヤキが回りましたかね」


 戦闘の前に、女のことばかり考えるとは。

 それだけ彼女を気に入っていたということか。


【――グフフ。そんなにお気に入りなら、もっぺん抱いとくか?】


 若き日の声が聞こえる。


【――あれを一晩で捨てんのは勿体ねえだろ。いっそ調教でもするか?】 


 まるで、悪魔のように。

 若き日のボルド。《外道狸》が囁きかけてくる。

 ――が、


「お黙りなさい」


 今のボルドは、揺らがない。


「確かに私は彼女を自分の都合だけで抱きました。まさに犯罪者です。ですが、彼女を犠牲にしたのは、すべて今日の日のためなのです」


 ボルドは、自分の裡に語りかける。


「そして今日を万全の体調で迎えた今、二度と彼女に負担をかけるつもりはありません。あなたの出番はもう終わりだ」


 そして、一拍おいてボルドは宣告する。


「失せなさい」


 意志が込められた言葉。

 沈黙が、訪れる。

 そして、


【――グフフ。そうかよ】


《外道狸》が、そう呟いた。


【――まあ、いいさ。じゃあまたな】


 続けて、そう告げてくると、それ以降、声は聞こえなくなった。

 ボルドは嘆息した。


「二度と出てこないで下さないね」


 まあ、仮に出てきても、その時はすでに自分の傍にカテリーナの姿はないだろうが。


「彼女を失ったのは痛恨です。なればこそ」


 ボルドは、細い目をわずかに開いた。


「この戦いは、彼女に恥じぬものにしなければなりませんね」


 言って、操縦棍を握りしめる。

 ザワザワ、と。

 森が、ざわつき始める。近くの獣も、魔獣も逃げ出し、鳥たちは一斉に羽ばたいて空へと退避していく。

 ボルドは《万天図》に目をやった。

 ただ一つ、輝く光点。

 ――恒力値・三万八千ジン。

 強大な力が、凄まじい速度で接近してきていた。


「ふふ、クラインさん」


 ボルドは、楽しそうに嗤った。


「小細工はなしですか。一気に押し潰すつもりですね」


 ――それでこそ最強。

 自分の宿敵に、相応しい相手である。

 すでに光点は、百セージルにも迫ってきている。

 接敵もすぐにだろう。

 戦闘に備えて《地妖星》が戦鎚を身構えた――その瞬間だった。


(――ッ!)


 ボルドが、目を見開く。

 突如、前方の木々が大きく歪み、根っこごと浮き上がったのだ。

 さらには突風が吹き、大地まで震動し始める。


(これはッ!)


《地妖星》が戦鎚を自分に突き立て、防御の姿勢を取った。

 突風は、再び吹き荒れた。

 何度も、何度も。

 そうして、遂には――。

 ――バキバキバキッ!

 周囲の木々は吹き飛ばされ、大地には亀裂が奔る。

 唯一、《地妖星》のみ残した状態で、世界は一変した。

 深い森の風景は、いつしか荒地に変わった。

 ぽっかり、と。

 空からみて、そこだけ空点のように、森が平地にされてしまった。

 そして、ズシン、ズシンと近づいてくるのは《朱天》だ。


『これはまた……』


 ボルドは、思わず苦笑を浮かべてしまった。


『無茶苦茶しますね。クラインさん』


『しゃあねえだろ』


 その感想に対し、《朱天》は肩を竦めた。


『どうも俺は狭苦しいところでの戦闘は苦手でな。広いところが好きなのさ』


 そう告げて――。

《朱天》と《地妖星》。

 無理やり生み出された荒地にて、異形の二機は対峙するのであった。

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