第三章 迷い猫

第356話 迷い猫①

 その日、少年は焦っていた。


(うわあ、どうしよう……)


 腰に白布を巻き付けた黒い騎士服の少年。

 黒い髪と、同色の瞳が印象的な十代半ばの少年だ。

 ――コウタ=ヒラサカ。

 エリーズ国からの来訪者であり、アッシュの実の弟である。

 彼は今、一人だけで市街区を駆け足で走っていた。

 目的は、とある迷い猫を見つけるためなのだが、少々変わった事情を持つ子猫のため、王城の人員は勿論、一緒に来たメルティア達の助力も得られない状況だった。

 唯一、捜索に協力してくれているのは、親友であるジェイクだけだ。

 コウタは、本当に焦っていた。


(一体どこに行ったんだろ?)


 キョロキョロと辺りを見渡すが、街並みにの姿はない。

 今朝までは、彼女はルカにお願いして用意してもらっていた個室にいた。

 彼女との再会は、本当に唐突だった。

 コウタは動揺し、とりあえず誰にも告げずに匿ったのだ。

 まあ、流石にジェイクにだけは後で相談したが。

 しかし、そんな相談も意味がなかったのか、彼女の部屋に戻ってみると、いなくなっていたのである。

 自由奔放な彼女を強引に部屋に押し込めたのはまずかったのかもしれない。


(本当にどうしよう……)


 コウタは、本当に困り果てた顔をしていた。

 実のところ、彼女の向かいそうな場所には心当たりがある。

 朝食の時、彼女がをしたいと言っていたからだ。

 だが、は非常にまずいのだ。

 彼女の立場的には致命的ともいえる。

 出来れば、そんな事態に陥る前に彼女を確保したいのだが……。


(けど、こうも見つからないと、もうあそこに行ってる可能性が高いのか……)


 そう思うと、胃辺りが痛くなってくる。

 正直、今はまだ、あそこには行きたくはない。

 何故なら、姪っ子と、仲があまりよろしくないからだ。

 そのため、本来ならば、兄に伝えなければならない重要な話を、未だ告げられない状況になっているぐらいだ。本当に姪っ子には避けられている。

 そこへ彼女を連れて行けば、本格的に姪っ子に嫌われてしまうのは確実だ。

 だからこそ、彼女にはどうか自重して欲しいと頼んでいたのだが、彼女にとっては、半日が限界だったようだ。


(まあ、彼女も頑張ってくれたとは思うけど)


 コウタは駆け足の速度を落とし、深々と溜息をついた。

 色々と躊躇って、早々に姪っ子と仲を改善しようとしなかった自分のミスか。

 いずれにせよ、


「仕方がない。行くしかないか」


 コウタは、覚悟を決めて呟く。


「兄さんの所へ。クライン工房に」



       ◆



「結局、昨日はあまり情報を得られなかったわね」


 市街区の一角。飲食系の店舗の並ぶ大通りにて。

 学校帰りのアリシアとサーシャは、並んで歩いていた。

 今日は、ルカの姿はない。今日は、午前中しか学校の講習がなかったので、客人のために、早く帰城しているのだ。


「……先生の本当の名前か」


 サーシャが、眉を落として呟く。

 結局、昨日のルカとの話ではコウタの性格や、異国での生活。メルティアを筆頭に、彼の近くにいる女の子達の関係――しみじみ彼がアッシュの弟であると実感できた――などは聞けたが、アッシュの本当の名前については全く分からなかった。

 ルカにしても本当の名前があること以上に知らないのだから、仕方がないことだ。

 従って、今日こそはと講習が終わった直後にオトハの教官室に向かったのだが、残念ながら今日も行き違いになってしまった。

 どうもここ数日、オトハはミランシャ達と行動を共にしているらしい。


「あの三人って、何だかんだで仲が良いのよね」


 アリシアが歩きながら呟く。

 年長組の三人、オトハ、ミランシャ、シャルロット。

 オトハとミランシャは、犬猿の仲のようなところもあるのだが、何だかんだで意見が一致することが多い。シャルロットは険悪時の二人の間を取り持つことが多く、三人はそこで上手く機能していた。


「……オトハさん達って、全員、先生の本名を知っているのかな?」


 と、サーシャが呟いた。

 アリシアは、サーシャに視線を向ける。


「……多分ね」


 そして微かに嘆息した。


「メルちゃんが知っているぐらいなら、ミランシャさんも、シャルロットさんも知っているでしょうね。オトハさんだけは分からないけど……」


「けど、オトハさんって一番付き合いが長いんだよ。きっと知ってると思うよ」


 と、サーシャが答える。

 続けて、片手に持つ銀色のヘルムに触れながら、ポツリと。


「知らないのは、きっと私達、年少組の方だけだよ」


「……そうよね」


 アリシアが話を継いだ。


「一応、これから確認するけど、多分ユーリィちゃんも知らない気がするわ。これって、正直に言って私達って……」


 と、本来は活発な少女が表情を暗くする。

 どうしても、子供ゆえに蚊帳の外に置かれているような気がするのだ。


「結局のところ、アッシュさんにとって私達ってまだまだ子供なのよ。重要なことは教えてもらえない。対等に……まだ女として見られていないんだわ」


「……そうだよね」


 と、サーシャもまた暗い表情を見せた、その時だった。



「――いや、そうではなかろう」



 不意に後ろから声を掛けられる。

 サーシャとアリシアは「え?」と振り向いた。

 すると、そこには――。


「確かに相手は《七星》最強。対等と呼ぶのには無理があるのは事実じゃ」


 そう語る、一人の少女がいた。

 サーシャ達は、唖然として足を止める。

 不意に現れた彼女は、驚くほど美しい少女だった。

 年の頃は十四、五歳か。

 髪の色は淡い菫色。背中を覆うほど長く緩やかに波打っている。

 ちなみに、頭の上にはネコ耳を彷彿させるような癖毛も持っていた。

 首には蒼いチョーカーを巻き、かなり低身長でありながら、思わずアリシアが「ぐぬぬ」と小さく唸るほどにスタイルは抜群だ。少し大きめのワンピース型の蒼いドレスを纏っており、両足には紐付きの長いブーツを履いている。

 少女はなお語る。


「されど、お主らの美貌で女として見られないことにもまた無理があるぞ。仮にお主らがわらわの夫の愛人ならば、側室に認めるのもやむなしの美貌じゃな」


 随分と古風な口調の少女だった。


「え、えっと……」


 とりあえず容姿を褒められているようなので、アリシア達は少し頬を染めた。

 対し、菫色の髪の少女は、ふふっと笑う。


「よもや、このような場所で出会うとはのう。お主らがサーシャ=フラム殿。そしてアリシア=エイシス殿なのじゃろう?」


 言って、優雅に礼をした。名前まで呼ばれてアリシア達は困惑した。

 少女はまじまじとアリシア達を見つめた。


「ふふ、それにしても、二人とも見事な美貌じゃな。サーシャ殿も、アリシア殿もそれぞれの魅力に溢れておる。タイプが全く違うこれほどの美少女達を揃ってモノにするとは義兄上も中々どうして……」


 と、どこか微妙な表情を見せつつ、あごに手をやる少女。

 アリシア達はますます困惑する。


「え、えっと、あの……」


 やむをえず、アリシアは率直に訊いた。


「その、一応、褒めてくれてるみたいで嬉しいけど、あなたって誰なの?」


 どうも向こうは自分達のことを知っているようだが、アリシアにしてみれば、完全に初対面の少女だった。仮にどこかですれ違っていたとしても、これほど強い印象を持つ少女を忘れるとは思えない。面識はないはずだ。

 横を見ると、サーシャもまた眉根を寄せている。と、


「ああ、すまぬ。名乗り遅れたな」


 少女は、告げる。


「わらわの名はリノ=エヴァンシードじゃ。そしてこやつは――」


「……ワガナハ、サザンクロス、デアル!」


 言って、両腕を上げる少女の隣にいた物体。


「え?」「あなたって……」


 サーシャ達は目を見開いた。

 少女の印象が強すぎて気付くのが遅れたが、彼女の隣には小さな騎士がいたのだ。

 それも見覚えのある騎士だ。

 何やら竜を象ったようなお面を被り、全身の鎧は蒼いカラーリングではあるが、それは間違いなくメルティアのゴーレムだったのだ。


「いずれ会うつもりではあった。しかし、先程、偶然にも義姉上と再会したばかりだというのに、これは運命を感じるのう」


 リノと名乗った少女は口元を指先で押さえる。

 そして、満面の笑みでこう告げた。


「お会いできて光栄じゃ。そして以後よろしく頼む。わらわの――義姉上達よ」

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