第355話 悩める者たち③
「そんで、ルカ嬢ちゃんのところに行かせたんだよ」
クライン工房一階。作業場にて。
アッシュは、帰宅したオトハにそう伝えた。
オトハは、しばしの間、ジト目でアッシュを見つめていたが、
「………はァ」
不意に溜息を零した。
「な、何だよ。オト」
アッシュが尋ねると、オトハは額に手を当ててかぶりを振った。
「まったく。お前は」
「ええっと、ダメだったか? ルカ嬢ちゃんなら何とか出来ると思うんだが」
「別にその選択肢自体は悪くない」
オトハは、じいっとアッシュを見据えた。
「エマリアは王女と仲がいいからな。確かに気分転換にはなるだろう」
「だったら……」
「私が呆れているのは別のことだ」
アッシュの声を遮って、オトハは指でアッシュの胸板を押した。
「抱っこまでは……まあ、今のところは許容しよう。だが、同衾とは何なのだ! どうして、そんな約束をする!」
「い、いや、けどよ」
アッシュは言い訳する。
「それを聞かなきゃ、ユーリィは受けてくれなかったぞ。それに」
アッシュは頬をかいて告げる。
「流石に最近はもうなくなっていたけど、昔は一緒に寝ることもあったしな。眠るまでの添い寝ぐらいならいいだろ」
「……お前な」
オトハは、再び自分の額に手を当てた。
「いつまでエマリアを子供だと思っているのだ。見た目は幼く見えても、あいつはもうじき十五なんだぞ」
「いや、まあ、そうなんだが……」
アッシュは困ったような表情を見せた。
「俺にとっちゃ、どうしてもユーリィは可愛い娘なんだよ」
「……その気持ちは分からなくもないが」
オトハは。ふうっと嘆息した。
「女というのは早熟なんだ。特に心は男よりも成長が早いんだぞ」
「……そうなのか?」
「うむ。そうなのだ」
オトハは腰を手に当てると、たゆんっと大きな胸を反らして告げた。
「十五にもなれば、大抵の女は恋も知るものだ。かくいう私も、初めて恋を知ったのは十四の時だったしな」
珍しいオトハの恋の話に、アッシュは目を丸くする。
「へえ。そうだったのか。相手は誰だ?」
と、そんなことを聞いてくる。
オトハは「……おい」と額に青筋を浮かべた。
そして、
「そんなのお前に決まってるだろうが!」
ガッ、とアッシュの首元を左右から掴んだ。
「えっ? そ、そうだったのか!」
アッシュはギョッとした。
その態度に、オトハの青筋がますます浮かび上がる。
「あのな! 思い出してみろ! 私が十四の時にお前以外の男が私の傍にいたか! お前、人には散々女として無防備だとか宣うくせに自分の鈍感ぶりは何なのだ!」
言って、オトハは、ぶんぶんとアッシュの頭を振った。
一方、アッシュは愕然とする。
「ええ、えええ!? いや、だってお前、そんな素振りは――」
「お前が認識できる素振りってどんなレベルなんだ!? 私の気持ちはお前以外の団員は全員気付いてたぐらいなんだぞ!?」
「――嘘だろ!?」
「――驚愕なのは私の方だぞ!?」
そう叫び、オトハは、はァはァと息を切らせて手を離した。
すでに想いを遂げた上に一線まで越えた今となっては、これまで言えなかったツッコミもはっきりと言えるオトハだった。
「う、う~ん、そうだったのかぁ……」
ここまで直球に伝えられると、流石にアッシュでも理解する。
「けど、あの頃は俺も相当思い詰めていた時期だったし、特にそういった感情にはかなり鈍感になっていたんだろうな」
「いや、絶対あの頃だけの話ではないと思うが……」
と、オトハが呆れるように呟く。
「まあ、その、悪かったな、オト」
アッシュはボリボリと頭をかくと、ゆっくりとオトハの腰を抱き寄せた。
オトハは「え?」と目を見開く。
「マジで悪かったと思う」
アッシュは、オトハを強く抱きしめると、ポンポンと頭を叩いた。
「ちょいと鈍かったかもしんねえ。これからは気をつけるよ」
言って、オトハの髪を梳かすように撫でる。
そこには、深い愛情があった。
「そ、そうか」
赤い顔でアッシュの腕の中に納まるオトハ。
次いで、おずおずとアッシュの背中に手を回す。
アッシュの腕の力がさらに強まると、オトハの顔がますます赤くなる。
晴れて結ばれても、まだまだ初心なオトハだった。
――が、そこで、
(――はっ!)
彼女は目を見開いた。
不意に、脳裏にあの言葉が蘇る。
『その、何だかんだ言って、現時点ではオトハさまだけがクライン君に異性として扱われているのですよ? 私達の前に、あと二、三戦はオトハさまが先に経験するのでは?』
オトハの顔が、ボッと赤くなる。
「ま、まさかこれから二戦目か!? い、いや、私はもうお前の女だし、応じるはやぶさかではないが、そ、その、や、やっぱりダメだ! もう少しインターバルは欲しい! 今二戦目に入ると、私は多分、明日は立っていられない気がするから!」
「へ? 二戦目って?」
オトハの台詞に、アッシュは眉根を寄せたが、すぐに意味に気付く。
「い、いや、それは……」
アッシュは、コホンと喉を鳴らす。
「流石に今それは考えてねえよ。まだ時間帯も早えし、これからユーリィも王城まで迎えにいかなきゃなんねえし」
と、少し気恥ずかしそうに言う。
「そ、そうだな……」
口走ってしまったオトハは、思わず頬を赤く染めた。
次いで、両手をアッシュの胸板に添えて体を押し出した。
「は、早くエマリアを迎えに行ってやるがいい。私は夕食の準備をしておこう!」
そう言って、オトハは赤くなった顔を隠すように二階へと消えていった。
しばしの沈黙。
作業場に残されたアッシュは、ポリポリと頬をかいた。
「……しかし、マジでオトの気持ちには気付かなかったなぁ」
当時の傭兵団の同僚達が聞けば、「マジでか!?」と驚愕する台詞を吐くアッシュ。
「もしかして俺って少し鈍いのか? なら直さねえとな」
ポツリ、とそう呟く。
しかし鈍感を直すと言いながら、結局、最後までオトハが実は少しだけユーリィに嫉妬していたことには全く気付いていないので、その道は果てしなく困難なように思える。
ともあれ。
「女の子の成長は早いかぁ」
どこか、しみじみとした様子で呟くアッシュであった。
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