第354話 悩める者たち②
時刻は五時過ぎ。少し遅い時間。
(……アッシュ)
ユーリィは、一人王城の渡り廊下を歩いていた。
ふと足を止める。
長い廊下の窓からは、街並みが見え、日の光が差し込んでいた。
彼女は少し目を細めた。
あの後、ジェイクとアイリ、ゴーレムと共に王城までやって来たのだ。
しかし、来たのはいいが、ルカはまだ帰城しておらず、とりあえずユーリィは、用事があるというアイリ達と別れてルカの部屋に向かうことにした。
王城に招かれたのは初めてではない。だから、ルカの部屋は知っていたし、彼女の友人として王城内を出入りすることも許されていた。
ユーリィは、大きな窓の景色を時折、目をやりつつ、廊下を進んだ。
正直、アッシュと離れると、不安が溢れ出すような感じがした。本来なら楽しいルカとの会話も早々に終わらせて、ユーリィは早く帰りたいと思っていた。
帰って、早くアッシュに抱きしめてもらいたかった。
(……アッシュ)
窓の外を一瞥しつつ、ユーリィは心の中で青年の名を呼ぶ。
正直、アッシュが気分転換を勧めるのもよく分かる。
自分でも、今の精神状態はおかしいと感じていた。
ただ、それは恐らくルカと話しても改善はしないだろう。
ユーリィ自身が、納得しないといけないことだった。
(私はコウタ君に嫉妬している)
それがユーリィの感情の正体だ。要は、アッシュの本当の家族に会って、自分の居場所が奪われるような想いを抱いたのである。
勿論、実際にはそんなことはない。再会の日、シャルロットも言っていたが、弟が現れたところで、アッシュのユーリィに対する愛情が変わることなどない。
自信をもって、自分もまたアッシュの家族だと言える。
だが、それでも不安が消えないのである。
(……私は)
ユーリィは眉根を寄せて、廊下を進む。
いつしか、ルカの部屋の前に到着していた。
ルカはまだ留守のはずだ。加え、考え事をしていたため、ユーリィはノックを忘れてドアを開けた。そしてトボトボと部屋の中に進み、
「……え?」
唐突な声に顔を上げた。
そして少し驚く。
王女さまらしい大きな室内。ベッドも机も豪勢だが、似つかわしくない工具の山が散らばっているのが少し景観を崩している。
そんな部屋に一人だけ――いや、正確に言えば、二機のゴーレムと、壁際に立つ前面を開口した巨大な鎧。そこから丁度降りてきたばかりの一人の少女がいたのだ。
金色の瞳に、紫がかった銀髪。その上にはネコミミが生えている。白いブラウスと黒のタイトパンツを身に着けており、そのスタイルは抜群だ。
ネコミミ少女は唖然とした表情でユーリィを見つめていた。
彼女には、見覚えがある。
エリーズ国・アシュレイ公爵家の令嬢。ルカの鎧機兵開発のお師匠さま。
そして、アッシュの弟の幼馴染という少女だ。
「……メルティアさん?」
「ユ、ユーリィさん、ですか?」
ネコミミ少女――メルティア=アシュレイは、挙動不審な声で返すのだった。
◆
意図せず出会った二人は、そのままルカの部屋で相対することになった。
椅子は使わず互いに床の上で正座をし、見つめ合っているのである。
(なんで、こんなことになったんだろ?)
疑問に思うが、可能性としてはあり得なくもない。
メルティアはルカの師匠であり、友人でもあるらしい。
きっと、ルカの部屋で彼女の帰りを待つつもりだったのだろう。
そこでたまたまユーリィと鉢合わせた訳だ。
ただ、ユーリィが平然としているに対し、メルティアはガチガチに緊張していた。
ユーリィは、ちらりと壁に立った状態の着装型鎧機兵に目をやった。
(そういえば、彼女は対人恐怖症って話だっけ)
そのため、普段はあの鎧で姿を隠しているという。
あまり会話もしたことのない人物と二人きり――一応、ゴーレムたちもいるが、彼らはこの場では数にはカウントしないことにする――というのはキツイだろう。
「……席を外そうか?」
ユーリィが気を利かせてそう提案すると、メルティアはかぶりを振った。
「い、いえ。あなたはお義兄さまの娘。コウタの義理の姪です。よい機会ですし、お話をしてみたいと思います」
と、返してくる。ちなみに、ゴーレム達は「……オオ、メルサマ」「……ヨクゾ、イッタ」と拍手を贈っている。
ユーリィはゴーレム達を一瞥した後、メルティアに視線を戻した。
「分かった。私もあなたとは話がしたいと思っていた」
――メルティア=アシュレイ。
彼女は、アッシュの弟と最も親しい人物だと聞く。
ユーリィとしても興味深い相手だった。
「じゃあ、率直に訊くけど」
ユーリィは翡翠色の瞳でメルティアを見つめた。
「あなたは、本当の所、コウタ君とどういう関係なの? 幼馴染なのは聞いているけど、ただの使用人と、お嬢さまって関係でもないんでしょう?」
そう呼ぶには、二人はとても親しすぎる。
使用人であるはずのコウタが、彼女を愛称で呼んでいるぐらいだ。
「……私とコウタですか? そうですね」
メルティアは、あごに手をやって告げた。
「率直に言えば、婚約者ですね」
一拍の間。
「………え?」
ユーリィは目を見開いた。
メルティアは言葉を続ける。
「父にはまだはっきりと告げられた訳ではありませんが、父が将来的にそう考えていることは分かります。きっと十代の間に結婚することになって、その後、コウタはアシュレイ家の家督を継ぐことになります」
「え? え?」
想定外な話に、ユーリィは目を丸くした。
「か、家督? コウタ君って公爵さまになるの? え? アッシュの弟ならコウタ君も山村出身なんでしょう? いいの? それって?」
「うちとしては別に構いません。結構、新参の公爵家ですし。その点でいうと、お義兄さまが《七星》の一人であったことはコウタに箔がついて良いことですが、まあ、それもどうでもいいことですね」
と、告げるメルティアにユーリィは、さらに目を丸くした。
「どうでもいいことなの?」
続けてそう尋ねると、メルティアはこくんと頷いた。
「私は……」
そして彼女は、ユーリィでさえ見惚れるような笑顔で言う。
「コウタを愛していますから」
それは、照れも迷いもない声だった。
「……あ、愛?」
ユーリィは喉を鳴らした。一方、メルティアは話を続ける。
「コウタに箔や肩書があるかどうかなど、私にとっては本当に些細な話なのです。仮にコウタがアシュレイ公爵家に入れなくても、その時は、私はコウタと共にアシュレイ家を出ていくことにするでしょうし」
と、生粋の
「……メ、メルティアさん、そこまで覚悟しているの?」
ユーリィは唖然とした。メルティアの愛の深さを思い知ったような気がした。
だが、当のメルティアは不思議そうな顔をしていた。
「そんなに不思議なことですか? これは覚悟というよりも、私にとっては『公爵令嬢』という立場よりも『コウタの幼馴染』――いえ、『コウタの妻』という立場の方が、ずっと大事だということです」
「……え」
メルティアの台詞に、ユーリィはさらに茫然とした。
それは、彼女にも置き換えられることだった。
仮に自分なら、それは『娘』であることよりも――。
メルティアは、ふっと笑う。
「流石に、家を出ると苦労するとは思います。発明品で稼ぐつもりですが、私は着装型鎧機兵がないと、ロクに外も出れませんし、コウタには凄く甘えてしまうと思います。ただ、コウタはそんな私でも受け入れてくれるでしょうけど……」
言って、顔を赤く染めて両頬を押さえるメルティア。
実のところ、これは彼女の願望や妄想ではない。ユーリィはおろか、兄であるアッシュでさえ知る由もないが、それぐらいに二人の絆は強いのである。
ジェイク達には未だ結ばれていないのが、不思議に思われているぐらいである。
一方、ユーリィは、
(……優先順位。そっか。私の『望み』の優先順位は……)
少し動揺していたが、その表情は徐々に落ち着いたものに変わっていく。
「あの、ユーリィさん」
そこで今度はメルティアが尋ね始めた。
ユーリィの同世代とは思えない豊かな胸を両腕で潰してもじもじと。
「その、本当の所、ユーリィさんはお義兄さまと、どういった関係なのでしょうか?」
それは奇しくも、最初にユーリィが発した質問とほぼ同じだった。
ユーリィは、クスリと笑った。
そして二人は互いの好きな人のことを語り始める。
二人ともあまりコミュニケーションに長けた人間ではない。
けれど、それが返って会話を弾ませた。
互いの好きな人が似ている――兄弟なのだから当然だが――ためか、共感できる点がとても多かったことも会話を進める要因になっていた。
「本当に鈍くて困っている。メルティアにも分かる?」
「ええ。よく分かります。ユーリィ。まったく。そうですよね」
いつしか二人は互いを名で呼んでいた。
楽しい時間は瞬く間に過ぎた。
そして、ユーリィはおもむろに立ち上がった。
「……ユーリィ?」
メルティアはユーリィを見つめて顔を上げた。
すると、ユーリィは、
「……メルティア。あなたと話せて良かった」
一瞬だけ微笑み、
「けど、もうそろそろ日も暮れる。アッシュが迎えに来てくれるから、今日は帰る。ルカによろしく」
「そうですか。分かりました。お義兄さまにはよろしくお願いしますね」
「うん。分かった」
そう言って、ユーリィは部屋を出た。
メルティアは、扉を閉める寸前まで手を振ってくれた。
ユーリィは廊下を歩き出した。
その顔は、部屋に入る前から一変していた。
すでに沈んだ様子はない。
微かにだが、笑みさえ浮かべている。
「……ありがとう。メルティア」
新しい友達に、礼を言う。
「……そうだったんだ。恐れる必要なんてなかったんだ。だって、私の……」
そこでユーリィは目を細める。
気付かせてくれた友達に、本当に感謝する。
――ああ、なんて簡単なことだったのか。
「私の一番の『望み』は、ずっと前から決まっていたのだから」
そう呟き、廊下を進んでいくのであった。
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