第一章 スクランブル・サミット

第350話 スクランブル・サミット①

「……してやられたわ」


 少女が呟く。

 時刻は午後四時過ぎ。そこは《獅子の胃袋亭》。

 丸いテーブルを囲んで三人の少女がいた。

 テーブルの上にはもう冷めた紅茶。三人はかなり長い間、その席に座っていた。


「まったくもう……」


 一人は絹糸のような長い栗色の髪を持つ少女。

 切れ長の蒼い瞳に、美麗な顔立ちを持ち、スレンダーな肢体にはアティス王国騎士学校を纏っている。勝気そうな少女だ。

 アリシア=エイシスである。


「……確かにそだね」


 と、神妙な声を上げるのは銀色の髪の少女。

 銀のヘルムを机の上に、アリシアと同じ制服の上に鎧と短い赤マントを着ている。古の騎士のような格好に、群を抜いた美貌。まるで物語の女性騎士を思わす少女だ。

 ただ、その性格はとても温和なのだが。


 アリシアの幼馴染。サーシャ=フラムだ。

 アリシアとサーシャは、溜息をつくと、視線を別の方へと向けた。


 そこにいるのは最後の一人。

 淡い栗色のショートヘアに、澄んだ水色の瞳。長い前髪が印象的な少女だ。二人同様に騎士学校の制服を着ているが、アリシアと違い、そのスタイルは実に存在感をアピールしている。まあ、サーシャの方は鎧を外せば、彼女さえ上回るのだが。


 ルカ=アティス。

 このアティス王国の第一王女であり、アリシア達の幼馴染でもあった。


「え、えっと。お姉ちゃん達……」


 ルカは、少し頬を強張らせて笑った。

 対し、


「……ルカ」


 アリシアが、妹分の名を呼ぶ。

 アリシアとサーシャは、ルカをジト目で見据えた。


「ルカは知ってたのよね? コウタ君がアッシュさんの弟だって」


 アリシアが言う。サーシャは何も言わないが、笑顔で圧力をかけてくる。

 ルカは「ひ、ひう」と呻いた。


「わ、私も知ったのは前日の晩、です。その時、初めてお師匠さまから聞きました」


「……そう。メルちゃんから……」


 と、サーシャが呟く。

 それから、さらに深い溜息をついた。


「ルカの友達って、みんな知ってたんだよね。コウタ君と先生のこと。だから、ずっとあんな感じだったんだ」


「ええ。そうね。そして、それは当然、ミランシャさんやシャルロットさんもね。本当にしてやられたわ」


 と、アリシアが頬杖をついて告げる。

 あの衝撃の展開から、丸三日が経っていた。

 本当にあれは衝撃的だった。ユーリィほどではなかったが、アリシアにしろ、サーシャにしろ、本当に驚いたのだ。

 まさか、遠い異国の地からやって来たルカの先輩が、想い人の弟だったなんて、どうやって気づけというのか。


(救いなのは、うっかりコウタ君に嫌われるような態度を取っていなかったことよね)


 思わず嘆息するアリシア。

 ――と、


「……けど、オトハさんは、あんまり驚いてなかったよね」


 ふと、サーシャがあごに指を当てて呟く。

 アリシアは顔を上げて「……そうね」と返した。


「確か、初日にシャルロットさんがクライン工房に行ったじゃない。たぶん、オトハさんはその時、聞いたんじゃないかしら? 思い返せば、オトハさんもコウタ君に対しては最初から神妙な様子だったし。まあ、いずれにせよ」


 アリシアは視線をルカに戻した。


「ミランシャさんがコウタ君を可愛がるはずだわ。何せ、アッシュさんの実の弟なんですもの。私達がかなり出遅れたのは間違いないわよね」


「……うん。そうだね」


 サーシャは眉を落として頷く。


「コウタ君が、ミランシャさんやシャルロットさんを信頼しているのは、見てて分かるもん。私達は大分遅れた感じがするよ」


「『将を射んとする者はまず馬を射よ』は当然の戦術だしね。だからこそ」


 アリシアは、改めてルカを見つめた。


「攻略相手を知ることも戦術の基本よ。ルカ」


「は、はい」


 姉貴分に名を呼ばれ、ルカが姿勢を正した。


「コウタ君のことで、知っていることを洗いざらい話して」


「あ、洗いざらい、ですか?」


 ルカがおどおどした様子で返すと、アリシアは「ええ」と答えた。


「コウタ君の趣味とか、特技とか、性格とか。何でもいいわ。とりあえず『お姉ちゃんアピール』は始めたけど、まだまだ弱いからね。あと、特に重要なことがあるわ」


 そこで、アリシアは少しだけ躊躇うような表情を見せた。

 幼馴染の躊躇に、サーシャも気付く。

 数瞬の沈黙。


「……そうだね」


 サーシャは、親友の代わりに尋ねた。


「コウタ君の家名のこと。どうして先生と違うのか。それが一番知りたい」


 ――そう。これこそが。

 サーシャ達が、あの少年がアッシュの弟であると気づけなかった最大の要因だろう。あの少年の家名が『クライン』ではなかったからだ。


「『ヒラサカ』ってアロンの家名よね? オトハさんの『タチバナ』と同じで」


「うん」


 サーシャが頷く。


「セラ大陸では、あまり聞かない家名だよね」


 家名の違う兄弟。考えられるとしたら、やはり養子縁組だろうか?

 あの少年は、兄とは八年ぶりの再会だと言っていた。

 何かしらの理由で、幼い頃に養子に出されていた可能性もある。


「コウタ君って、養子なの?」


 と、アリシアが、ルカに率直に訊いた。

 すると、ルカは神妙な顔でかぶりを振った。


「違います。その、コウ君はアシュレイ家にお世話になっているけど、別の家の養子じゃない、です。ヒラサカはコウ君の本当の家名。だから」


 一拍おいて、ルカは告げる。


「仮面さんの、なんです」


「「………え?」」


 アリシアとサーシャは目を見開いた。


「え? ちょ、ちょっと待って。え? それって、どういうこと?」


 そう言って、アリシアが困惑した様子でテーブルの上に身を乗り出した。

 サーシャは乗り出しこそしなかったが、ルカを凝視していた。

 ルカは少し返答を躊躇う。

 しかし、アリシアとサーシャは幼馴染であり、姉同然の人達だ。

 何より、今や彼女達とは志を同じとする仲間だ。

 ある意味、これから人生を共にする予定の家族だった。

 ――アッシュ=クラインの妻達として。


(だ、だったら、言っとかないと)


 ルカは、そう決断する。


「お、お師匠さまが言ってたん、です。仮面さんの名前は、失った仮面さんの故郷――クライン村から取ったものだって。本当の名前は別にあるって」


 一拍の間。アリシアは「え?」と声を零した。


「……せ、先生の本当の名前……?」


 次いで、サーシャが茫然と呟く。


「……何、その話?」


 アリシアが立ち上がり、テーブルの上に乗り出した。


「失った故郷って何? どういうことなの? ルカ」


「え、えっと」


 言い淀みつつ、ルカはとても悲しそうに眉をひそめた。


「仮面さんの故郷は、八年前にある組織に襲撃されて、村人は皆、こ、殺されてしまったんです。仮面さんと、コウ君は、生き延びたけど、離れ離れになって……」


 サーシャとアリシアは、息を呑んだ。

 それは初めて聞く話だった。

 ルカは、さらに言葉を続ける。


「わ、私もお師匠さまから、聞いたので、仮面さんや、コウ君から聞いた訳じゃありません。けど、仮面さんはその時から、今の名前を名乗っているみたいです」


 言って、ルカは指先を組んで深く俯いた。

 長い沈黙が続く。


「……それって」


 ようやく、アリシアが口を開いた。


「……『アッシュ』の方も違うってことなの?」


 コウタという名前は、オトハ同様にアロン風だ。

 そう考えると、『アッシュ』というのは、兄弟にしては不自然な気がする。

 アリシアが身を乗り出したまま尋ねると、ルカはフルフルとかぶりを振った。


「そ、そこまでは、私も知りません。お師匠さまは、そこまでは自分が教えるべきことじゃないって言ってたから。ただ、コウ君は当然知っていて……」


「……そう」


 アリシアは、ドスン、と椅子に座り直した。


「……アッシュさんが、昔、何か大切なものを失ったことがあるってのは、オトハさんやユーリィちゃんの話から薄々気付いていたけど……本当の名前なんて」


 片手で額を押さえて、深々と息を吐き出す。

 自分が、何も知らないことを思い知った気分だ。

 正直、弟がいたことよりもショックだった。


「……アッシュさんの本名って、ユーリィちゃんとオトハさんは知っているのかしら?」


 アリシアは、空いた二人分の席に目をやった。

 今回の緊急サミット。本来ならば、アティス滞在組の五人を全員招集するつもりだったのだが、結果としてユーリィ、オトハは欠席となった。

 ユーリィは昨日の内に声を掛けたのだが、アッシュから離れたがらず、


『……私はいい』


 と、欠席を告げてきた。一方、オトハは、騎士学校の授業が終わってから彼女の教官室に行ってみたのだが、すでに不在だった。

 再び訪れる静寂。

 すると、サーシャが、ポツポツと語り出した。


「……オトハさんは私達よりも、先生との付き合いがずっと長いから知っているかも。けど、ユーリィちゃんの方は……」


 そこで言い淀む。


「……多分、知らないかも」


 直感だがそう感じる。アッシュが弟の前でまで名乗らなかった名前だ。

 ユーリィにさえも教えていない気がする。


「……これはまた、コウタ君と仲良くなる前に、大きな課題が出てきたわね」


 アリシアは溜息をついた。

 サーシャとルカも、神妙な顔で頷く。


「アッシュさんの本当の名前か」


 愛する人の本当の名前。

 当然、知っておきたい。

 けれど、


「……知っちゃダメな気もするわね」


 小さく嘆息しつつ、アリシアは告げる。


「ここは、まずオトハさんの話が聞きたいとこね」

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