エピローグ

第348話 エピローグ

 ――港湾区。

 その時、大きな帆船が港に着いた。

 ゆっくりと慎重に着港。

 船が固定されてから木製の桟橋が降りる。

 そうして着港して数分後、ゾロゾロと乗客が降りてきた。


 商人、旅行者、帰国者。

 はしゃぐ子供に、鞄を持つ大人。杖をつく老人まで。


 様々な人達が降りてくる中に、彼女達もいた。

 旅人なのか、肩に小さなサックを掛けた二人である。

 彼女達はしばしの間、人の流れに身を任せていたが、途中で外れ、人が比較的に少ない場所で足を止めた。

 そこには、行き交う人々も、忙しく動く船員もいない。

 蒼い海をゆっくり眺められる場所だった。

 海鳥が空を舞い、潮風が強く吹いた。


「……う~ん、長かったね」


 言って、彼女は両腕を上げて背を伸ばした。

 同時に、大きな胸がたゆんっと揺れる。


 歳の頃は十六、七歳ぐらいか。

 黒曜石のような黒い瞳と、腰まである長い黒髪が印象的な少女だ。

 温和そうな顔立ちは、神秘性を宿すほどに鼻梁が整っており、プロポーションもまた恐ろしく神懸かっている。

 女神もかくや、と言った少女だった。

 服装は、背中や半袖の縁に炎の華の紋が刺繍された白いタイトワンピース。どこか制服に似たコートを思わせるデザインだ。すらりとした足には黒いストッキングと、茶色の長いブーツを身につけていた。


「二週間の船旅は、流石にキツかったね」


「申し訳ありません。姫さま」


 言って、頭を下げるのはもう一人の人物。

 彼女もまた相当な美女だった。

 歳の頃は二十代前半。

 腰には短剣を携え、動きやすそうな冒険服を着ている。

 毛先がやや乱雑な黄色い短髪が印象的な女剣士だ。

 無愛想な表情もあって、中性的な男性のような印象もあるが、顔立ちもプロポーションも中々のものだ。何より髪に触れる仕草など、彼女の動きにはどこか艶やかさがある。

 彼女を男性と間違える者はまずいないだろう。

 彼女の名は、ジェシカと言った。

 黒髪の少女の護衛兼従者であり、友人でもある人物だ。


「鉄甲船が使えれば、良かったのですが」


「それは仕方がないよ」


 黒髪の少女は笑う。


「鉄甲船は今のところ主流じゃないし、高額だしね。貴族御用達だよ」


 そこで、パタパタと手を振る。


「私なんて実際のところ、ただの村娘なんだし」


「姫さま」


 ジェシカが、呆れた表情を見せる。


「もはや、姫さまは村娘などとは呼べないと思うのですが」


「私は村娘だよ」


 黒髪の少女は、言う。


「クライン村のサクヤ。それが私だよ。だから」


 少し苦笑を零す。


「その姫さまもやめてよ。ジェシカ」


「……承知しました。サクヤさま」


 不本意そうだが、了承するジェシカ。

 すると、黒髪の少女――サクヤは、両手で彼女の頬を押さえた。


「そんな顔をしない」


 サクヤは、悪戯っぽく笑う。


「ジェシカは、もっと笑った方がいいよ。折角綺麗なんだから」


「今さら愛想をよくせよと?」


 主君に不敬と思いつつも、ジェシカはしかめっ面を浮かべる。と、


「今さらじゃなくて、今だからだよ」


 サクヤは、言う。


「コウちゃんに好かれたいんでしょう?」


「………う」


 その台詞に、ジェシカの顔は一気に赤くなった。

 無愛想さが消え、少女のように指先を組んで、もじもじとし始める。

 ジェシカはサクヤの義弟と面識がある。

 その際、恋心を……と言うより、もっと強い想いを抱くようになっていた。


「や、やはり……」


 ジェシカは、ボソリと尋ねた。


「コウタさんは――《悪竜の御子》さまは、愛想のよい女が好みなのでしょうか……」


「う~ん、愛想はよい方がいいとは思うけど」


 サクヤはジェシカの頬を離し、自分のあごに指先を当てた。


「アイリちゃんとかは、あまり愛想がいい方でもないし……」


 義弟に想いを寄せる異性は様々だ。タイプも似ているようでかなり違う。ジェシカも含めれば、本当に癖の強い異性が多い。

 なにせ、高貴な血筋から小さなメイド。果ては《妖星》までいるのだ。

 まあ、聖女と呼ばれる少女から《星神》のハーフ。王女さままでいる兄も大概か。


(まったく。あの兄弟は)


 サクヤは心底疲れた表情をする。と、


「……いえ。愚問でした」


 何も答えない内に、ジェシカが自分の答えに至った。


「私は《悪竜の御子》さまの刃。やはり愛想など不要です」


 凜とした、それこそ刃のように鋭い眼差しで宣言する。

 それは、まるで王に仕える女性騎士のような面持ちであった。

 ただ、英雄譚における、そういった役柄の女性は――。


「それでも『王の寵愛』は受けたいんでしょう?」


「――はうっ!」


 ジェシカは、再び顔を赤くして硬直した。


「義姉の私が言うと、生々しく感じて嫌なんだけど、ベッドの上でコウちゃんに『君はボクのものだ』って言って欲しいんでしょう?」


 かつて、ジェシカはそんなことを言っていた。

 若干苦笑を浮かべつつサクヤがそれを告げると、ジェシカはますます赤くなった。


「そ、それは……」


 激しく動揺するジェシカ。

 サクヤもまた、顔を赤くした。


「うわあ、なんか本当に恥ずかしい」


「そう思っているのでしたら、わざわざ言わないでください!」


 ジェシカが、涙目でそう告げる。

 サクヤは、少し驚いて目を瞬かせる。

 そこそこ長い付き合いだが、涙目の彼女は初めて見た気がする。


「ごめん、ごめん」


 サクヤが、クスクスと笑う。


「私も何だかんだで緊張しているの」


「……サクヤさま」


 ジェシカが眉根を寄せた。


「ん。そろそろ宿を探そうか」


 言って、サクヤは歩き出した。

 コツコツ、と足音が響く。

 ジェシカも「はい」と応えて、主君の後に続いた。

 静かな移動の中、サクヤはポツリと呟いた。


「本当に緊張しているのよ」


 一拍おいて、


「なにせ、愛しい人に逢いに行くのは私も同じだからね」


「……サクヤさま」


 ジェシカが、神妙な声で主君の名を呟く。

 天真爛漫な主君が実のところ、とても緊張していることは、背中を見れば分かる。

 しばらく二人は無言のまま、港湾区を歩いた。

 街並みは徐々に移りゆく。

 潮の香りが少しずつ薄れ、港から人が住む街へと光景は変わっていく。

 店舗や露店が多く並ぶ大通り。

 人も多く、とても賑やかだ。

 そこは、すでに市街区の一角だった。


(ここがアティス王国)


 ――彼が住む街。

 ここまで来るのに、本当に長かった。

 躊躇い、戸惑い、道にも迷った。

 醜い嫉妬も、抱いたこともあった。

 一歩も前に進めない日々だった。

 どうしても、再び、彼に逢う勇気が持てなかった。

 けれど、ようやくこの地に立てた。

 ――義弟と、彼に逢うために。


「……サクヤさま」


 大通りで立ち止まるサクヤに、ジェシカが声をかける。

 すると、サクヤは振り返り、


「さあ、行きましょう。ジェシカ」


 ジェシカに手を差し伸べる。

 そうして彼女は、笑顔と共に告げるのだった。


「私達の、それぞれの愛しい人に逢いに」





第11部〈了〉

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